第二十四話 最低の茶番劇
ルクリツ公国の城から戻ったその夜、宿でナイラは布団に身を包みながら、ぽつりと「……気分がすぐれないの」と呟いた。その声音には、身体の不調というよりも、心に澱が残っているような響きがあって、私はどうしても一人にする気になれなかった。
「じゃあ、私も今日はここにいるわ。無理して城なんて行かなくてもいいし」
そう言って隣に腰を下ろすと、ナイラがふいに顔を上げた。珍しく、懇願するような目で私を見る。
「……セレ、お願いがあるの」
「なに?」
「お父様に……あの人がこれ以上、近づかないように見張ってきて」
その一言には、普段のナイラからは想像できない切実さが込められていた。強く見えて、でもやっぱりどこか脆くて――それを感じ取った私は、静かに頷いた。
「了解。万が一、妙な動きがあったら、ナイラの仇はしっかり取ってくるから」
そう言って、私はセリーヌ侯爵に同行し、再びルクリツ城へ向かうことにした。もちろん、事前にしっかり釘は刺した。
「おじ様。今日は“本当に”挨拶だけして帰りますからね? 公女とハグ、頭ぽんぽん、一切ナシです。分かりましたね?」
「……う、うむ」
不満そうに眉をひそめる侯爵を引き連れて、謁見の間へ向かう道中。案の定、「おじ様!」という声が飛んできた。やれやれと前に出ると、昨日のような甘ったるい空気はどこへやら、リーリア公女の表情は何かに追われるように切羽詰まっていた。
ただし、こちらとしては“触らせるつもりは一切ない”ので、横にいたエリオットの腕を咄嗟に引っ張り、盾に仕立て上げる。
「行ってらっしゃい。全力でどうぞ」
本人には事後承諾だ。エリオットは無言のまま立たされ、何が何やらという顔をしていたけれど――構わない。
リーリア公女は勢いよく駆け寄って抱き着いて「おじさま……」と涙ながらに声を上げた瞬間、自分が抱きついた人が“まるで知らない人”であると気づき、硬直した。
その後ろからはサマイエル伯爵が慌てて駆けてきて、戸惑う妻を受け止めるように引き取ってくれた。
「……ご挨拶すべき方が不在のようですし、失礼いたしましょうか」
そう言って、私は踵を返そうとした。そのときだった。
視界の端に、城の高い塔が見えた。
その頂に、細い影が立っていた。
……嫌な予感がした。
よく目を凝らすと、それは仮面の青年――ライオネル公主だった。そして、次の瞬間、その身体が――宙を舞った。
「ふざけんなあああ!」
咄嗟に風の魔法を放ち、彼の身体を包み込むようにふわりと持ち上げ、地面への衝突を避けるよう、速度を緩めながらゆっくりと降下させた。
私は自分でも呆れるほど頭に血が上っていたらしい窓の縁に手をかけて今にも飛び降りようとした――が。
背後から、ぐっと腕を掴まれる。
「……はっ」
振り向くと、エリオットの手が私の腕をしっかりと掴んでいた。さすがに我に返る。
……そうよね、階段使えばいいじゃない。魔法って便利だけど、心まで短絡的になってはいけない。
急いで階下へと走り、着地したライオネルの元へ駆け寄った。彼は柔らかく地に降りたまま、まだ意識を失っていた。ふざけんなと思いながら、私は顔に冷水を浴びせてやった。
「……っは」
彼が目を覚ました瞬間、潤んだ目が涙をあふれさせて、口から絞り出されたのはただ一言。
「……なぜ、死なせてくれなかったんだ……!」
私は呆れた目とため息をついて。大きく手を叩いて、わざとらしく場の空気を切り裂いた。
「はいはい、ルクリツ公国劇場、ここにて閉幕です!」
彼のそばにしゃがみ込み、吐き捨てるように続けた。
「で、なんで今朝飛び降りようと思ったの? 悲劇の王子様の幕引きは、観客が多い方がよかった? それとも、突然の死にたい病が発症したのかしら? だけど、周囲を巻き込むのだけはやめて。本気で死ぬつもりなら、昨日のうちに誰にも気づかれずひっそりと飛び降りてるわよ。違う? ああ、なるほど、“中二病”ってやつね。25歳にして“皆見てくれ!俺は悲劇の王子だ!”とか言い出す、ちょっとこじらせた男子特有のやつ」
ライオネルの顔がひきつっていたが、私は止まらない。
「片腕がないから絶望? 顔が潰れたからって絶望? 悪いけど、元々そんなに整ってなかったでしょ。たいして変わり映えはないわよ。だったら内面を磨きなさい。見た目なんて、どうとでもなる。生きてるなら、なおさらでしょ?」
彼は言葉を返せず、ただ唇を震わせていた。
「それだけ言っても、どうしても死にたいなら、そのときは盛大にやりましょ。街中に宣伝して、観客いっぱい呼んで、“悲劇の主人公”のタスキでも巻いて、もう一度塔から飛び降りたらいいわ。それくらい見せ物になったら、やっと本気って認めてあげるから」
そのとき、後方からリーリア公女が駆け寄ってきて、泣きながら叫んだ。
「そんなこと言わないで! お兄様に……なんてひどいことを!」
私は振り返り、にこやかに、けれど鋭く言い放つ。
「リーリア公女、あなた十九歳よね? 私より六つも上のお姉さまが、他国の公務中に、男性に勢いよく抱きつくのはごく一般的な風習なのでしょうか? だったら学園でも教えておきますね。“ルクリツ公国には出会いがしらに男に抱きつく公女が存在する”って。大変申し訳ないのですが巻き込み事故は勘弁ですわ。」
言い終えると、ふぅっと息を吐いてセリーヌ侯爵を振り返った。
「……おじ様、もう茶番は終わりにしましょう。ナイラのところへ戻ります。こんな寸劇を見せられたら、チケットの払い戻しを要求したくなるくらいですわ。では――ごきげんよう」
それだけ言い残して、私は侯爵の腕をとって背を向けた。
後ろから、誰かの声が追ってきたような気がしたが――聞こえなかったことにした。
ナイラが待っている。あの子が、笑顔を取り戻せるように。それだけを胸に、私はまっすぐ歩き出した。




