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第百話 静かなる決断

久しぶりに戻ってきた後方支援局での生活は、あまりにも穏やかで、かつての日常を取り戻すような日々だった。けれど、その安らぎの中にあっても、セレスティアは自分の胸の奥でひとつの思いを抱えたままにしていた。


——レオンハルトとのことを、けじめなくこのままにはしておけない。


彼はマーレン王国において、多くの人々から必要とされる存在だ。いつまでも、自分の手の中に留めておけるはずがない。それは、誰よりも彼女自身が理解していた。けれど、それでも——。


その日の午後、セレスティアは事前に御者へ目的地を告げていた。向かう先は、セイレーン神殿の奥にある「光の塔」。街全体が見渡せる、高台に建てられた静かな塔だった。


馬車の中で、ふとレオンハルトが彼女を覗き込むように言った。


「エリー、今日はいつもと何か…違う気がする。何かあったのか?」


彼女は柔らかく微笑んで、わずかに首を横に振った。


「何でもないの。ただ少し、付き合ってほしい場所があるの」


「……ああ、いいよ」


レオンハルトはそれ以上問うことなく、頷いた。きっと、彼も何となく察していたのだろう。言葉にする前から、ふたりの間に漂う空気が、今日という時間の重みを物語っていた。


馬の蹄が石畳を打つ音だけが、やけに耳に残る。普段なら他愛もない話を交わす時間が、今日はただ静かで、長く感じられた。


塔に着くと、セレスティアはためらいがちに階段を登り始めた。足取りは重く、一段一段、心を整えるように踏みしめていく。


「エリー、大丈夫か?疲れてないか?」


「……うん、大丈夫よ」


「おんぶしようか?」


「いいえ、もう少しだから」


「なら、別の日でも……」


「違うの。今日じゃなきゃ駄目なの」


彼の気遣いが嬉しくて、でもどこかで胸が痛んだ。こうして彼が優しくしてくれるほど、揺れ動く覚悟に、自分の心が切なくなる。


やがて、塔の最上階に辿り着いた。そこには、夕陽に染まる街の姿があった。まるで絵画のように、美しく、儚く、そして温かい。


セレスティアはそっと息を吐き、覚悟を決めるようにレオンハルトの方を向いた。


「レオンハルト様……わたくし、この場所から見下ろす街の風景が、一番好きなのです。この国に生きる人々の暮らしや鼓動を、遠くからでも感じられるようで……わたくしは、これからもこの国の一員として、誰かのために、必要とされる場所で力を尽くしたいと、そう思っています」


その言葉を聞いたレオンハルトは、苦しげに顔を歪め、今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。



そして彼女は、もう一つの想いを、勇気を込めて口にした。



「……わたくし、セレスティア=サフィールは、世界の誰よりもレオンハルト=ヴァルゼンを愛しています。だから、わたくしと結婚してください」


風が吹き抜け、二人の間に沈黙が落ちた。


「……」


レオンハルトは呆然と立ち尽くし、その瞳からは大粒の涙が溢れていた。


「レオンハルト様……お返事は、頂けませんか?」


しばらくして、彼はゆっくりと首を縦に振った。そして掠れた声でようやく言葉を紡いだ。


「……今日、別れを告げられるのかと思ってたんだ。もう、エリーとは一緒にいられないのかと、そう覚悟してた。君がこの国を大切に思ってるのも知ってたし、マーレンには来られないって……だから、今日は振られるんだって」


「ちょっと……私、愛してるって言ったのよ? なのに『振られる』前提って、もしかして私、あなたに振られたのかしら?」


「違う……違う! 俺は、誰よりもエリー、いや、セレスティアのことを愛してる。もう、全身全霊で、手放せないほどに愛してる」


「じゃあ、もっと早く言ってよ。すごく緊張したのよ?生まれて初めて、自分から愛を告げたのだから」


「なぁ、エリー……抱きしめても、いいか?」


「ふふ、いつもしてるじゃない」


「違う。今度はちゃんと、お互いに想い合ってる“両想いのぎゅう”だから」


「そう思うと……少し照れくさいけど」


二人は静かに、深く、互いを抱きしめ合った。


「エリー……愛してる」


「ハルト、私の方が何倍も愛してるわ」


「いや、俺の方がいっぱい愛してる」


「もう……二人とも、ほんとバカップルね」


「そうだな」


そしてふたりは、笑いながら口づけを交わした。


***


塔を降り、馬車へ戻ると思われたその時、セレスティアはレオンハルトの手を引いて神殿の中へと向かった。そこには、あらかじめ頼んでおいた若い神官エドが待機していた。


「セレスティア様、遅いですよ。随分待ちました」


「ごめんなさい、エド。緊張してて、階段登るのも一苦労だったのよ。それで、書類は?」


「はい、準備しています。……今回は“婚約”じゃなく、“婚姻”でよろしいのですね?」


「もちろん。もう誰にも邪魔されたくないもの。強硬突破よ!」


戸惑うレオンハルトをよそに、セレスティアは書類を差し出した。


「ハルト、ここにサインして」


言われるままに署名を済ませた彼に、さらにもう一枚を渡し、書き終えたそれが魔法で転移されたのを見てようやく事態を把握した。


「……これって、婚姻届!?」


「そうよ。これで私たちは正式な夫婦になったの」


「えっ、でも、大丈夫なのか?手続きとか……」


「もちろん。私はもう17歳で親の許可もいらないし、仕事もしてるし、それにこの届出は、サダールとマーレン両国の神殿に提出済み。どちらの国でも、私たちは正式な夫婦よ」


「すごいな……でも、よくそんな方法思いついたな」


「神殿の裏知識よ。2国間で神殿が受理した婚姻は、神の加護の下、外的な力では解消できないの。だから誰にも引き離されない。それに転移陣を使えば、どちらの国にも簡単に行き来できる。仕事が終われば、毎日一緒に過ごせるのよ。ハルト、ダメかしら?」


「ダメどころか、最高だ。……仕事の間は会えなくても、終わればずっと一緒か。うん、それなら寂しくないな」


「はいはい、おふたりとも。もう遅い時間ですから、話は屋敷でどうぞ。婚姻届は確かに受理しました。末永くお幸せに」


「エドって、ほんと冷たいわね。今度サマイエルに言いつけるわよ?」


「父さんに言いつけたところで、ですよ。では、お帰りください」


半ば追い出されるように神殿を後にしたふたりだったが、セレスティアは満面の笑みでレオンハルトを見つめた。


「さぁ、旦那様。お屋敷に帰りましょうか?」


彼もまた、少し照れたように微笑んで応じた。


「妻よ、帰ろう」


ふたりは顔を見合わせ、くすくすと笑いながら馬車へと戻っていった。


——この出来事が、また新たな一騒動の幕開けになるとは、まだ知らぬままに。


ここまで読んでくださった皆さまへ。


物語「今度は私の番です。」、ついに最終話まで辿り着きました。


この物語は、たった一人の少女が「誰かのために生きる」ことを選び続け、その中で自分自身の願いを見つけていく過程を描いたものです。


セレスティアという存在は、不器用ながらもまっすぐに歩み、誰かの苦しみを、涙を、言葉にできない想いを、そっと拾い上げてきた。そんな彼女が「私の人生を生きる」と決めたその姿こそが、本作の核だったのかもしれません。


最終話は、別れの気配が漂う静かな幕開けから、やがて温かな約束と確かな未来へと繋がっていく——そんな構成にしました。セレスティアにとって、人生は常に「誰かの番」に寄り添うものでしたが、ようやく「今度は私の番です」と、胸を張って言える日が来たのだと思います。


彼女が選んだ道は、決して華やかではありません。けれど、たしかに彼女自身が「望んで歩く」と決めた人生です。そしてその傍らに、レオンハルトがいてくれる未来があること。それこそが、彼女への最大のご褒美だと思っています。


長い連載を通して、ここまで見守ってくださった皆さま、本当にありがとうございました。この物語に込めた願いや祈りが、少しでも誰かの心に届いていたのなら、これ以上の幸せはありません。


いつかまた、どこかで。


その時は、どうかまたページをめくっていただけますように。


心からの感謝を込めて。

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