第九話 満ち足りた日々と、守られた自由
王立学園高等部特別科での生活が始まってから、早くも三か月あまりが過ぎた。
朝は学園へ通い、放課後は魔道院での日々の魔力測定などで、ますます存在感を放ち、特に魔法学の実技では、年上の生徒たちを圧倒する精度と発想を見せることも珍しくなかった。だが、彼女はそれをひけらかすことなく、あくまでも“可憐な年下の努力家”として、柔らかな笑顔と礼儀正しい振る舞いを崩さなかった。
自然とクラスの空気はなごみ、彼女を中心にした輪ができ始める。
そして、ナイラとの関係も、最初の腹の探り合いから一転、毒舌と本音のやりとりを交えながらも、信頼と理解で結ばれた特別な絆に変わっていった。互いに背伸びも遠慮もせず、時に辛辣に、けれど真っ直ぐに意見を交わせる友人がいるということ――それは、セレスティアにとって新しい世界の始まりだった。
家に帰れば、そこにもまた優しさがあった。
婚約を白紙にして以来、家族の空気がどこか変わった。以前よりもずっと、セレスティアを“ひとりの娘”として大切にしようとする気配に満ちていたのだ。
父カイゼルは、いつになく言葉少なに娘の様子を気にかけ、時折、不器用ながらもぽん、と頭を撫でるようになった。母マリエッタは、ふとした折に「今日は疲れてない?」とお茶を淹れてくれることが増え、温かな手で背中をそっと支えてくれた。
さらには、婚約希望の話が絶えないというのに、父はそのすべてを水際でせき止めていた。
「今は学業が第一。娘はまだ十三だ」と。
ある日、父にそれとなく将来の婚約について尋ねられたことがあった。少し迷った末にセレスティアが「結婚するなら……父様とがいいな」と微笑んで返したとき、カイゼルは一瞬きょとんとし、それから頬を赤らめて黙ってしまった。その横で、母マリエッタは肩をすくめて苦笑し、「焦らなくていいのよ。結婚しなくても、あなたの好きにしていいから」と優しく頭を撫でてくれた。
兄アレクはと言えば、「卒業したら俺が稼いで来るから、妹くらい養えるさ。婚約者なんか要らないだろ?」と真顔で言い放ち、姉のリディアは「無理に誰かを好きになる必要なんてないわよ。大事なのは、あなたが幸せかどうか。それだけ」と静かに頷いた。
――家族は、誰一人として急かさなかった。
それどころか、娘が“自分の意志で生きる”ということを、これまで以上に尊重してくれた。
おかげで、セレスティアはかつてないほど肩の力を抜いて過ごせていた。
本当のところ――今は、誰かの婚約者になるつもりなどまったくなかった。
一度その立場に立ち、自由を縛られたあの感覚を、彼女はまだ生々しく覚えていた。そして、自分で選び取った今の生活を、何よりも大切に思っていた。
結婚してしまえば、また自由は奪われるかもしれない。だから、せめて今だけは。この“自由”という宝物を、両手いっぱいに抱きしめていたかった。
そして、心の奥底では気づいていた。
今のこの温かな日常は、あのとき婚約を断ち切ったからこそ得られたものだということを。
そう――あれは、始まりだったのだ。
失ったものではなく、手に入れた新しい人生の第一歩として。