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第8話 嫌なこと思い出した①グループホーム編

 微睡みながらうんざりしている。どうせ嫌なことを思い出すとわかりながら、嫌な夢を見ると知りながら、眠りに落ちていく。


 それはとても風の強い日だった。私はあるグループホームで働いていた。そろそろ夜勤と交代になる時間帯、二階の女性棟のゴミを集めていると、ドスドスと階段を上る足音が聞こえてきた。


(施設長だ)


 嫌な予感と同時に施設長は現れる。おそらく50代男性であろう彼は、大柄で腹が出ている。「俺、仕事が忙しくて全然休んでいないだよ。ご飯を食べる暇もない」というのが口癖セットなのだが、そのわりに、でっぷりと太っている。


「ああ、藤井さん」


 目があった途端、施設長はニヤニヤと近づいてくる。そして、


「日曜日出られない?」


 と、告げた。


「他の人は予定があるらしいんだよね」


 私は先週も、その前も、休日出勤をしている。今週はさすがに休みたい。


「別に大丈夫です。出られます」


 心の声とは違う返事をしていた。その時、後ろから声がする。


「私でますよ」


 それは山川さんだった。小柄な山川さんは大柄な施設長を見上げていった。


「私が出ます」


「いいよ。山川さんは夜勤メインだから」


 施設長は慌てて断るが山川さんは引き下がらない。


「大丈夫です。私が出ます。今月稼ぎたいし。それより、夜勤メインなの初耳なんですけど」


「それは……」


 それは今思いつきで言っただけなのだろう。施設長はシドロモドロになっている。


「何何? 揉め事?」


「あらやだ、聞かせて」


 パートさん二人もやってきた。この二人は同じ年頃の女性同士で話が合うのか、何かと一緒にいることが多い。施設長とも年が近いためかズケズケと意見したりする。


「藤井さんに日曜日出勤してほしいそうです」


 山川さんが言うとパートの二人はニヤニヤと施設長を舐め回す。


「えっ? 藤井さんに?」


「また?」


「私たちも出られるのに、施設長なんで聞かないの?」


 すっかり劣勢かと思いきや、施設長もニヤニヤしていた。


「いや、藤井さんは社員だし。ちゃんと社員がいないとね」


 パート二人は顔を見合わせる。


「常時社員がいないといけない決まりがあるの?」


「いつもパートだけ施設に残して、施設長はケアリーダーと二人でどっか行っちゃうじゃないね」


 ケアリーダーとは、職員の統括役の現場職員なのだけれど、この施設では現場に入らず施設長と事務室で何かしている人になっていた。2人は不倫しているらしいという下らない軽口は軽口で終わるだけで噂にもならない。みんな毎日の業務に追われていて、いいから働けと言いたい、それだけなのだ。

 その日は、たまたまケアリーダーが休みだった。それでも施設長が余裕綽々なのは、陰で私の悪口を言い合う仲であるパート二人は味方になってくれると思ったのだろう。施設長のいないところでは施設長の悪口を猛烈な勢いで言っているのを知らないのかもしれない。あてが外れ、施設長のニヤニヤはさっさと消えた。途端に子どもに話すように優しく山川さんに語りかける。


「藤井さんに頼むのは、日曜日に出勤してもらうからだよ。藤井さんは独身だけど皆さんは家族がいるでしょ?」


「私も独身です」


 ぴしゃりと山川さんが言い返す。既婚か独身かという危うい話題をするな、と視線でも釘を刺す。


「先週も、その前も藤井さんが休日出勤だったじゃないですか。他の人には頼んだんですか?」


「いや、頼んだけど断られたよ」


「私聞いてませんよ」


「私も」


 施設長の言い分をパートのお二方がすかさず覆す。


「藤井さん一人に休日出勤を押し付けているのは明白なんです。このことを動画で流そうとしている人がいるんです」


 その場にいた全員が凍りついた。


「誰?」


「言いませんよ」


 山川さんが跳ね返した、その時、事務所で電話が鳴り、利用者さんが呼ぶ声が聞こえて、話は強制終了となる。


「藤井さん」


 山川さんが私の顔を覗き込む。


「ちゃんと怒ったほうがいいよ」


 言いなりの私を心配してくれている。


「ありがとう」


 ああ、山川さんは頼りになる人だ。パートの2人も頼りにはなるけれど、お互いがいないところでは相手の悪口を言い、二人そろうとその場にいない人の陰口を叩くから、信用はできない。輪に入る気にもなれない。だから孤立を選んだ。仕事を押し付けられても仕方がない。職場なんてそんなもんだ。そうではない山川さんが、今日みたいに助けてくれることもある。それで充分。全く山川さんは眩しい存在だ。


(山川さんが施設長かケアリーダーならいいのに)


 実際の施設長は、誰が動画を撮っているのか疑心暗鬼になっているのか、スマホをいじり始めた。


(情けないね)


 私はフロア中から集めたゴミを持って、ゴミ捨て場へと向かった。風が強く吹いて、ゴミ袋を吹き飛ばされそうになる。

 情けないのは私も同じ。休日出勤を断れない小心者のくせに施設長をどこか小馬鹿にしている。


(ーー後は帰るだけ)


 気を取り直して、びゅんびゅんとした風に吹き付けられながら、駐車場の奥にあるゴミ捨て場へ向かった。1日分のゴミを捨て、スチール製の蓋をしめて振り返り、私は足を止めた。

 動くことができなかった。

 見たことのある男が空から降りてきたからだ。光沢のある虹色の翼を背中から生やしている。その翼はわずかに光を放っていた。


(光る翼を生やした人が空から降りてきた) 


 それが根岸だとすぐに気づいても、声をかけることができなかった。大きく深呼吸をしてみる。それでも「光る翼を生やした人が空から降りてきた」という異様な光景は消えない。私の動悸も止まらない。


(痛っ)


 光が目の奥にチクリと染みる。施設の窓から漏れる明かりに照らされる根岸の後ろ姿から、私は目を離すことができない。


(虹色の羽……)


 根岸はエアコンの室外機の前に降り立つと同時に翼は消えてしまった。ゴミ捨て場以外からは死角になるような場所だった。

 同じ施設で働く同期の根岸。目の前の出来事を飲み込めない。

 根岸はすぐに立ち尽くす私に気づいた。


「見た?」


「見た」


 正直に答える。


「光る翼で根岸が空から降りてくるのをこの目で見た」


 根岸は頭を抱えてしゃがみこんだ。


「やってしまった!」


 地面に向かって叫び、勢いよく立ち上がる。


「藤井さん。死んでしまう」


 嘘みたいに真剣な眼差しで私の顔を見下ろし、クソ真面目に言い放った。


「このままじゃ死んでしまう」


「……どういうこと?」


「見たら死んでしまうということだ」


 根岸は、私の周りをおろおろと歩き始めた。背の高い男が私の視界を行ったり来たりしている。 


「どうしたらいいんだ」


 うろうろしながら呟かれても、こちらは事態を理解できていない。まだ羽の生えた根岸に激しく動揺しているのに、突然死の宣告を受けたのだ。

 もしかして、根岸はふざけているのか? いや、どんなにふざけても、普通の人間に翼は生えない。では、根岸は国家レベルのシークレットで、私のような底辺一般市民に知られたら、否応なく命を奪ってもいいということか? 

 どこからか命を狙われる?

 不幸な事故として処理されるの?

 そんなこと信じられるわけもなかった。


「冗談はさておき」


 立ち話をしていたらだいぶ肌寒くなっていた。時間も立っている。そろそろこの話を終わりたい。


「遅刻するから事務所に行ったほうがいいよ」


 根岸は目を見開いた。


「冗談じゃないよ。本当なんだよ」


 困り顔で大きな声を出す根岸に背を向け、施設へ戻ることにした。


「大丈夫、見なかったことにするから」


「大丈夫じゃないんだよ」


 根岸が慌てて追いかけてくる。


「あの光を見たら死ぬんだよ」 


「夜道に気をつけるから大丈夫」


「待って藤井さん、待って」


「遅刻するよ」


「待って!」


 根岸は強引に私の手をつかみ、真剣な眼差しで見つめた。


「明日М駅に来て」


「М駅?」


 この施設の最寄りの駅だ。


「明日は無理。入院中の父親のお見舞いに行くから」


明日土曜日は有給を取って休ませてもらったのだ。


「一刻を争うんだよ」


 手を握り、顔を近づけ、迫ってくる根岸にすっかり気圧されてしまった。


「明日の午後からなら何とか大丈夫かな」


 私は仕方なく呟いた。


「それなら、明日午後2時に」


 根岸は気をつけをして、勢いよく頭を下げた。


「お願いします!」


「ーーわかったよ」


 完全に圧に押されてしまった。頷くと、にっこりと笑う根岸。


「念の為、お泊りセット持ってきてね」


「えっ!」


「詳しいことは明日説明する」


(泊まりなの?)


 根岸はさっさと施設の中へ入っていってしまった。ペアを組んで働くことは対してないのによく喋りかけてくる。明るくて見た目も良くて、利用者さんに人気がある。山川さんがいる日だけ手伝いに来る。それだけの男、根岸。空には星がちらほら見え始めている。

 私は勤務を終え、根岸はこれから始まる。



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