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第5話 大丈夫

 見えてきた家は平屋の一軒家だった。レトロな青い瓦屋根が可愛らしい。庭は仕立てられたモッコウバラが咲き乱れている。

 ミントグリーンの玄関ドアも、イカ釣り漁船の電球みたいなポーチランプも、大きな掃き出し窓も、全部がただのおしゃれな家だった。 


「玄関から入らないように」


 魔女はたしなめるように言う。


「そっちは現世と繋ぐ用ですから」


 その一言で、今置かれている状況のおかしさと怪しさがリアルになる。せっかく見ないようにしているのに、空恐ろしさがまとわりついた。


「こちらから入れば大丈夫」


 魔女が掃き出し窓を開けた。鍵をかけていないようであっさり開いた。不用心だ。


「どうぞ入って。少し待っててください」


 魔女はサンダルを脱ぎ捨てるとカーテンをかき分けて、先に部屋の中へと消えていった。私も靴を脱ぎ、恐る恐るカーテンを押しのける。


「お邪魔します」


 室内は昼間だと言うのに薄闇に包まれている。どの窓もカーテンや雨戸が閉じられているからだ。わずかな隙間から漏れた日差しが舞い散る埃をチラチラと照らしてもどんより暗い。

 部屋の真ん中にソファがぽつんとひとつあるだけなのも寂しい。

 家具を含め、ソファ以外の物は殆どなかった。隅の方に段ボールやらなんやらがほんの少しだけ積んであるのみ。

  魔女は奥のカウンターキッチンに入り、収納を漁っている。


(これは死骸だ)


 片付いているとか、生活感がないとかではない。空き家に入ったという感覚じゃない。死んでいる。家が死んでいる。家の中の物のほとんどが骸っぽい。清水和馬の家のほうがよっぽと散らかっていたのに、正常だったのだ。この家は焼けてもいないのに煤けている。


「しまった」


 部屋の奥で魔女が声を漏らした。


「薬を切らしていました」


 カウンターからこちらを見ている。困った顔をしている。 


「すぐ用意できますから、ちょっと待っててください」


「あ、大丈夫です」


 私は反射的に答えていた。さっきまとわりついたはずの空恐ろしさはあっさりと消え去った。


「大丈夫ってどういうことですか?」


 魔女は首を傾げた。


「このままだと帰れませんよ?」


「実は、あまり帰りたくないんです」


「どうしてですか」


「根拠はありません」


 和馬に言われたとおり、不思議と帰りたくなかった。魔女は怪訝な顔だ。キッチンを出て、カーテンを開け、窓を全開にする。魔女のすっきりとした切れ長の目が静かにこちらを見ている。


「このままでは死ぬんですよ?」


 私は引くことができなかった。


「でも、大丈夫です」


「この状況で、どこが、何故、大丈夫なんですか?」


「ーー根拠はありません」


 不思議と大丈夫な気がした。いや、無理やり大丈夫と思い込もうとしていた。帰るよりここにいさせて欲しい。そんな気持ちが心の大半を占拠していて、頭は考えることを拒否している。

 魔女は呆れ顔でため息を吐き出す。


「川を渡って、大切なことを忘れているのかもしれないです。こちらに来たきっかけも。思い出せたら帰りたくなるかもしれない」


「いいえ。それはないです、それに、なんとなく思い出したんです」


「なんとなく、とは?」


「根岸の龍の翼を職場で見た……と、オモイマス」


 詳しくは思い出せない。ぼんやりしている。はっきりしているのは帰りたくないという気持ちだけ。


「ずいぶん曖昧ですね。だったら薬でもう少しはっきり思い出しましょう。帰りたくなります。きっと」


 魔女の言葉に心拍数があがる。そんなことは起きない。絶対。


「怖い」


 するりと本音がこぼれ落ちた。


「怖いです。思い出したくない」


 明るくなった部屋で、魔女はゆっくりと私に向き直る。


「大丈夫ですよ」


「大丈夫じゃない!」


 何故叫んでしまったのか、自分でもわからない。知らない世界へ来たことより、指先が青くなったことより、いずれ変な魚になってしまうという事実より、元の世界へ戻るほうが嫌なのだ。


「……逃げたい」


 溢れ出た想いはもう止められなかった。


「逃げます。私、逃げます。怖いです。弱いですから。根っからの臆病者ですから」


「いいえ、大丈夫です」


 魔女は涼しい顔でいう。


「大丈夫。あなたなら」


「嘘です」


「嘘ではないですよ。根拠はあります。あなたは強い。それを隠しているだけです」


「逃げようとしているんですよ! どこが強いんですか!」


「あなたのそのまま、すべてがですよ」


「私たち今日あったばかりじゃないですか」


 私の何がわかるというのだろう。


「そうですね。その通りです。それを言われてしまったら、本音を言うしかないですね」


 淡々と答えて、魔女は私をじっと見つめた。優しい眼差しだった。なじられたというのに穏やかに私を見ている。本音ってなんだろうと、一度身構えたけれど、魔女は私と目が合うと困ったように笑うから、警戒をほどかれてしまった。


「嬉しかったんですよ。あなたとお喋りできたから」


「お喋り?」


「ええ。本当に久しぶりに人と喋ったんです」


 そんなことで何が変わるというのだろうか。私は拍子抜けしてしまった。お喋りしたくらいで自分の評価が高くなるなんて信じられない。


「そんなことで?」


「お喋りは簡単なことではありません。ここへ来る人はだいたい、自分のことしか話しませんし。例えばあなたと同じく異形の龍なりかけたときなんて明白です。自分はどうなるのか、どうしたらいいのか。何も悪いことをしていないのに何故こんなことになったのか。自分のことを案じます。自分のことを話しまくります。それは当然です。命の危機ですから」


「でも、かっちゃんは?」


「かっちゃんはただの変わり者です。それに、そこまで喋りませんよ。私を人嫌いの変人だと思っていますから」


「私と話したって言っても、ほんの少しじゃないですか」


「ほんの少しでも、私には心地の良かった。ひとりぼっちになったことのない人には理解が難しいかもしれません」


ーー私だってひとりぼっちだ。


 その言葉が喉まで出かかって、やっぱり引っ込めた。ひとりぼっちは私の背中にピタリと寄り添って、ずっと一緒にいたのに何故忘れていたのだろう。なんなら幼い頃から、ずっとひとりぼっちと一緒だった。

 ああ、だから帰りたくないんだ。


「あなたには異形の龍にならないでほしい」


 魔女はエプロンを脱ぐとソファに投げおく。


「これから龍になりますが、驚くなら適度に驚いてください」


「龍になる?」


「根岸より派手なので」


 魔女は裸足のまま、窓の外へと飛び出していった。

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