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第4話 初めまして、魔女

 


 クローゼットの中からベージュの作業用エプロンをつけた、細身の女性が顔をのぞかせた。


(あれが魔女?)


 背は私より少し高いだろうか。ぱさついた髪を雑に一つに縛り、エプロンの下は色褪せてヨレヨレのTシャツにスウェットパンツという姿だった。身につけているものは着古されていて、見るからにくたびれているし、顔に化粧っ気もない。でも、背筋が伸びているせいで不思議とだらしなく見えない。涼し気な目元も相まってシャープな印象だった。やや清潔感はないけど。


「緊急風船を飛ばしましたね」


「飛ばしたよ。根岸がまたやらかしたらしい」


「またか」


 魔女は舌打ちをした。


「こちらの方がその人。藤井さん」


「はあ……藤井さん。根岸はどこですか?」


 二人の視線が私に集まる。


「いなくなりました」


「どこへですか」


「川をわたった後、崖の向こうへ帰りました」


 魔女は小さくため息をつき、頭を掻いた。


ーーまた人に迷惑をかけてる。自分でなんとかしろ。全くお前は。どうせこうなると思ったんだよ。誰かに尻拭いしてもらわないと生きていけない。お前は邪魔なんだよ。


 頭の中で私が私を責める。


ーー見ず知らずの人に助けてもらおうとして、施してもらおうとして、図々しい。 


 責められて苦しい。息が荒くなっていく。


「あの。このまま自然に治るとかないでしょうか」


 つい訊いてしまった。突然の質問に魔女は無表情のまま黙っている。何か悪いことを言ったのだろうか。


「ないよ」


 固まったまま何も答えない魔女の代わりに、清水和馬が答えてくれた。


「しかも、人間が異形の龍になったら、こちらの世界でしか生きられないんだよ。帰ったら死ぬ」


「どういうこと?」


「本来は、あの毒が体を蝕んで、龍になる前に死んでしまう。持って一週間らしい。そうしたら青くなった皮膚はもとに戻って、原因不明の突然死になるのかな。でも、こちらの世界には、回復の川が流れているから、その川に生息していればなんとか生きられるんだよ。途中で川から出てくる龍を見たでしょ? あれはみんな龍になった元人間」


 さっきの光景が蘇り、背筋が凍った。あの魚たちは龍にされ、仕方なくこの世界にいる不幸で不運な人間なのか。でも、回復のために川にいるとしたら、治療中ということなのかもしれない。


「あの川に浸かれば龍はいつか人間に戻れるんですか?」


 希望を持って聞いてみる。


「いや。完全に解毒はされないから、ずっとあの姿にまま。魔女の薬も魚になってしまうともう効かない。手遅れだ。思考も失っているから、川にいるのは無意識の延命だね」


「川の水を飲めば治るってことはないんですか」


「もしかして飲む気? いやいや。川の水を飲むのはやめておきなよ。ばっちいよ」


 笑う和馬を呆然と見つめた。それではあの魚たちは、いつまでも救われないじゃないか。


「だいたい、あの魚たちは望んで魚になったから」


「そんなまさか」


「でも、藤井さんだって元の世界に帰りたがらないでしょ?」


 見透かされて私は押し黙る。まだ思い出せない本音を遠慮なしに引きずり出された。


「ここはそういう場所だしね」


 明らかに嫌な顔をしたのだろう。取り繕うように優しい声色で和馬は言うが、そういう場所とはどういう意味なのか。問い詰めてみたかった。 このままでは私も『あれ』になる。そう思ったら言葉が出なかった。記憶がおぼろげだからか、あまりに非現実的なことが続くからか、どこかお気楽だった私もさすがに怖くなった。


「大丈夫だよ。藤井さんはちゃんと戻れるから」


 和馬は飄々と言った。


「いいから魔女に治してもらいなさいな。無料だから心配ないよ。ね?」


 和馬が魔女に視線を移すと、彼女はゆっくり頷いた。その表情はさっきよりは柔らかい。 二人の顔を見る。


「ご迷惑おかけします」


 私は頭を下げた。


「いいんだよ。誰だって龍になりたくないもん」


 和馬がそう言うと、魔女は大きくため息をついた。


(やっぱり怒っているのかな)


 少し不安になる。厄介事に巻き込まれ、この人は怒っているのかもしれない。わざわざ知りもしない私のために薬を提供するなんて。


「いきましょう」


 魔女がクローゼットへ向かう。人間のままでいるにはついていかなくてはならないらしい。 

 私は和馬にパーカーを差し出た。


「ありがとうございました」


「パーカーはあげるよ」


 和馬は魔女の方を向くと、


「そのほうがいいよね。におい隠しに」


と言った。魔女は強く頷いた。


「異形の龍へ変化している最中は匂いを出すから、襲われやすいです」


 それは初耳だった。


「私、臭いですか?」


「人間にはわからないから大丈夫です」


「よかった」


 何だかホッとした。


「夜は冷えるから着ておきな」


 和馬のニカッと笑った顔につられて、私も思わず頬が緩んでしまった。さっきまで怖いことを言っていたのに。ズルい笑顔だ。

 不思議なことに彼の家は居心地が良かった。魔女が現れるまで自分を責めるクセも忘れるほど。それはこの笑顔のおかげかもしれない。


「ありがとう」


 私はパーカーを着てからリュックを背負うと、魔女の後を追ってクローゼットから出発をした。



 再び田んぼと茶畑の景色に戻った。さっきまで暑かったのに、風が吹いて少し涼しい。

 魔女のすぐ後ろに追いつくと、黙ってそのまま歩き始めた。


「あの」


 魔女と呼ばれる女性に話しかけてみることにした。


「お名前を教えていただけますか」


「名前など、どうでもいいんです」


 魔女は言った。名前を答える気はないらしい。やっぱり怒っているのかもしれない、と思って私も黙り込む。 

 水を張った田んぼを風が揺らし、空を映した水面が波立つ。銀色の海の中の一本道みたい。幻想的だ。


「根岸が悪いことをしました」


 不意に魔女が背中を向けたままそう言った。やや低くて落ち着いた声に私はホっとする。彼女は怒っていない。


「根岸は友人ですか?」


 ずっと気になっていたのだ。根岸は何者なのだろう。


「あの子は親戚です」


「どういった類の親族ですか?」


「類?」


「魔法使いの一派とか、宇宙人とか。超能力家族とか」


 魔女は振り返り、私の顔をまじまじと眺めた。


「ーーワクワクしてます?」


「不謹慎ながら、してます」


 私が正直に答えると、魔女は微笑んだ。優しい大人の笑みだ。


「我々の人類は龍と人間の混血らしいです」


 また背中を向けて歩き出したので、その横をついていく。


「混血ですか」


「ええ。混血は半龍に変身できます。でも、その姿を見ると人間は毒に侵され、異形の龍になってしまう。だから我々一族はこの狭間の世界を逃げ場所にしているのです」


「狭間の世界って異世界みたいな感じですか」


「異世界を知らないので何とも言えませんけれども、根本的に楽しい場所ではありません。私はここが好きですが」


 ここまで話して、魔女は慌てて口を抑えた。歩く速度を速め、


「つまらない話をしました」


 と、投げ捨てるようにつぶやいた。


「いいえ。面白いです」


 私は力強く否定をする。


「失礼ですが、すごく面白いです」


 本物の龍の話だ。どこがつまらないのだろう。


「もしかして、龍になりたいですか?」


「それは、遠慮します」


 思わず即答する。それとこれとは別だ。 


「龍との混血っていうことは、龍ともお知り合いなんですか」


「いや」


 面食らってから、魔女は少し困ったように笑う。


「龍がいたのは遥か昔の話で、すでに龍も、純粋な混血種も絶滅しています。人間の中に隠れ、人間として存続することで半分龍に変化する力を残してきた半龍が細々と血をつないでいましたが、それも終わる。もう生まれないんです。力を持つのは私と根岸だけ」


「血が薄くなってしまったんですか」


「そうでしょうね」


「どこかに隠れているとか」


「ないと思います。一族から離反したものがいたとしても、鱗粉で人間を異形の龍にしてしまう性質がありますし。何より必要のない力の持ち主ですから。消えていい力です」


「いつか消えてしまう力なんですね」


 思わずしみじみと言った。


「戸籍とかどうなっているんですか? それより病院とか大丈夫なんですか?」


「すっかり人間の世界に紛れているから問題ないです。いや、それなのにあいつは関係ない人を巻き込んで……」


 魔女は立ち止まり、深い溜め息をつく。あいつとは、どうやら根岸のことらしい。


「まあいいです」


 また、黙って歩きだす。

 日が沈み出し、ますます風が冷たくなってきた。


「こんなに話したのは何日ぶりでしょう。喉がつかれました」


 歩きながら魔女が言う。


「わかります。私もです」


「わたしも?」


「人見知りなんで」


「嘘おっしゃい」


 魔女は振り返り、真顔でいう。


「あなたは人見知りじゃない」


「嘘じゃないです。社会人になって多少鍛えられたけれど」


「いや。かっちゃんと仲良くなれたなら人見知りじゃない」


 そう言われて納得できるような、できないような。魔女はもう背を向けて歩き出し、微妙な心持ちで私もついていく。


(人間嫌いといっていたけど)


 この魔女はそこまで怖くはない。

 そして、緩やかにカーブした道の向こうに魔女の家がようやく見えてきた。



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