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第二章 北の恋歌 2

蘭涼が慣れない手で賽を振った結果、歌う順は郭氏の妓官からとなった。


夜更けまでかかって三人分の歌を聞いた結果、大体の話の流れは把握できた。



 歌われているのは三百年前――第四代双樹下王たる麗寧王の時代に起こったカジャール族の反乱だ。


当時、双樹下北方の清江の北は、「平原のカジャール」と呼ばれるサルヒ、ゲレルト、アガールの三氏族が住まっていた。

三氏族はいちおうは江の南の双樹下王に臣従してはいたが、年ごとに決められた数の馬を貢ぐほかの税は課されず、江の北に京から官吏が遣わされることもなかった。


そんな時代を背景に「波薩三姫伝」は始まった。


 そもそもの発端は、平原のカジャール三氏族に、それぞれ美しい姫が生まれたことから始まる。

サルヒのオドヴァルとゲレルトのアマラ、アガールのウーリントヤだ。

 三姫は女であれ弓馬の技を嗜むカジャールの伝統に従って育てられ、長じてのちは共に狩猟に興じていた。

 その三姫が、あるとき、水清きサヤーの――双樹下人の呼ぶところの清江の渓谷で、怪我を負った一人の男を援けた。


 男ははるかな大北嶺を超えた先に住まう「高地のカジャール」の雄族、マルガトゥ氏族の長の息子でインドゥニラルといった。


そのころも今も双樹下に臣従しない高地の氏族がサヤーの渓間で何をしていたのかは分からない。

三姫はこの男を援け、傷を癒して高地へと戻らせてやった。

 インドゥニラルは高地へ戻ってからすぐ、求婚のための財貨を調えて平原へと使者を送った――……



 ――そこまで韻文に整え直したところで、蘭涼は懊悩した。



 ――この先をどうしたものかな……



 この「インドゥニラル求婚」の一節こそが、三氏族それぞれに伝わる歌が少しずつ違ってしまった最大の要因なのだ。



               ◆



「――よろしいか斑竹房どの、マルガトゥの若鷹が求婚したのは森のサルヒの白き鹿のごときオドヴァル姫だからな?」と、サルヒ氏族の宋金蝉は強弁した。


「いやいや斑竹房さま、高地の若子が求婚したのは水清きサヤーの水よりも清きゲレルトのアマラ姫だと我らは歌い継いでおります」と、ゲレルト氏族の郭彩濵(かくさいひん)は反論した。


「いいえ斑竹房さま、インドゥニラルが求婚したのは当然ながらアガールの暁たるウーリントヤ姫でございます」と、アガール氏族の蕎紫水(きょうしすい)は主張し、なぜか妙に勝ち誇ったように言い添えた。

「斑竹房さまも当代の柘榴庭たる蕎月牙(きょうげつが)は御存じでありましょう? あれはアガール氏族です。あのべらぼうな美貌を見れば、三氏族随一の美姫が誰であったかは知れたこと」


「ああ、それは確かに――」

 蘭涼は説得されかけた。


 今もって「柘榴庭」の通称で知られる蕎月牙は、今は後宮からは切り離された旧・外宮地区の警備を担っている元・外宮妓官の頭領である。


この人物は結構な有名人だ。

なにしろ美しいのだ。

遠目に見ると役者みたいな絶世の美青年に見える系統の美貌で、内宮に上がってくるたびに柱の陰に密かな見物人が鈴なりになっていた。


「月牙は確かに美しいが、あれが美姫といえるか? 美姫とはもうちっとこう嫋やかなものであろう」

 金蝉が身もふたもないことを言ってフンと鼻を鳴らす。

それはそのまま金蝉自身にも当てはまるなと蘭涼は思った。

この端麗なサルヒ氏族の老女は若いころはさぞや美しかっただろうが、嫋やかな美姫という表現からは程遠かったはずだ。





いま手元にある『波薩三姫伝』は、インドゥニラルの求婚相手を「三氏族随一の美姫」とだけ記している。


考えてみると巧いやり方ではある。

 これならば誰ととるかは読み手次第だ。



 ――よし、私もこれでいこう。



 蘭涼は中堅官吏らしい事なかれ主義を発揮して前例を踏襲することにした。

誰を選んだって残りの二氏族から闇討ちされかねないのだ。

これは正しい自衛というものだ。



 ――折角だから、北の若鷹には従者が二人いたことにしようかな?



 そうすれば、残り二姫の伴侶も自動的に発生してくれる。

 実際のところ、インドゥニラルが求婚したのが三姫の誰であれ、そのあとの大きな筋立ては全く変わらないのだ。



 ――たぶん、これは恋ではなく、初めから反乱のための同盟だったのだろうな。



 高地の氏族が平原の氏族の姫を娶ろうとしているという噂が江の南の双樹下王のもとへ届くと、王は平原の氏族に叛意を疑い、三姫を人質として後宮に入れるようにと要求した。

 その要求に三氏族は怒り、本当に反乱を起こした。


 彼らはマルガトゥ氏族からの援軍を期待していたが、生憎とその年、高地は寒波に見舞われて、多くの馬が死んでいた。北からの援軍は来なかった。三氏族は追い詰められ、全滅を覚悟で最後の戦いをしようと決めた。


 決戦の日取りが決められた日の夜、カジャール三姫は密かに戦陣を抜け出し、馬を駆って江の南へと走った。

 そして、京の東の後宮の門前へと至ると、馬の背から泣きながら呼ばわった。


 王の后よ、王の母よ、どうか我らを質としてこの宮に入れてくれ。けれど妾にはしないでくれ。われらの馬と弓をとりあげないでくれ。


 往事の慈悲ある王太后は、この声を聞いて憐れみ、三姫を後宮へと迎え入れると、弓馬の技で宮を守護するようにと命じた。




「……――これが双樹下後宮の珍花たる武芸妓官の創始(はじめ)である――と」


 最後にそう結んだところで、蘭涼は何とも言えない充足感を覚えた。

 今記したこの歌――これは双樹下側の正規の史書には一行で記されている些事だ。



  麗寧六年晩冬月 北夷献三姫後宮



 ――たった一行のあいだに、いろいろなことがあるものだなあ。



 きっと私の今の不遇の源になったこの国の大激動も、三百年後の史書には一行で記されるだろう。

そう思うとなぜか心が晴れた。



彩濵って、もしかしてパンダにいた?

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