エピローグ
蘭涼と阿爾婁陀はその午後ずっと茶を飲みながら四方山話をしていた。
話題は主に書物と詩だ。
二人ともその知識は潤沢で、沈黙が重くなることはなかった。
じきに香炉の煙が尽きるころ、阿爾婁陀は名残惜しそうに立ち上がった。
「ではわたくしはこれで」
「先に行くのか?」
「後からすぐ迎えの籠が参りますよ」
阿爾婁陀は茶道具を箱に片付ける手を止めないまま答え、頭巾を被り直すと、蘭涼には一瞥もくれずに扉へと寄っていった。
広い白い背中が扉の前で止まる。
「斑竹房さま、どうかお気をつけて」
「そなたもな。無理はするなよ」
「ありがとうございます」
阿爾婁陀がようやく振り返り、今にも泣きだしそうな表情で笑った。
まるで迷子の子供がようやく帰り着いたどこかから立ち去ろうとしているような顔だ。
蘭涼は殆ど痛みに近いほどの哀しさを感じた。
「――知賓どの」
「なんです?」
「蘭涼だ」
「え?」
「私の名。紅蘭涼だ。これからも報せをくれるなら覚えておくといい」
すると阿爾婁陀は目を瞠り、顔中をぐしゃぐしゃにして笑った。
「蘭涼さまですね。死んでも忘れません」
阿爾婁陀はそれだけ言い置いて堂を出て行った。
そなたの生まれ持った名は何というのだ――と、蘭涼は心の中でだけ訊ねた。
男の巨きな白い体がなくなってしまうと、がらんとした堂の内部がひどく虚ろに感じられた。
やがて迎えの籠が来た。
外は幸いもう薄暗がりで、籠を担う供華衆たちがどんな表情をしているかは見なくてもすんだ。山路を揺られて南門まで戻ると、外でもう周桂花が待ち受けていた。
目になじんだ妓官装束の、きりっとした顔立ちの中背の若い娘は、蘭涼の姿を見とめるなり、背筋を正して深々と頭を下げた。
「斑竹房さま、お役目ご苦労様です」
その声からは深い敬いが感じられた。
「ご祐筆さまはことなく後宮にお着きです」と、桂花が石段を降りながら囁いてきた。「お手紙はすぐ東院に届けられ、駅鈴を携えた早馬が南へと発ちました」
「――そうか」
答えるなり、全身の力がどっと抜けるような安堵が湧いてきた。
「柘榴庭は、巧くやってくれるだろうか?」
「当然ですよ」と、若い元・外宮妓官は不本意そうに答えた。