第十一章 密書 1
黛玉の房は位置も造りも、桃果殿東廂の玉楊の居室とよく似ていた。
違うのは二丈四方の坪庭の真ん中にまだ若そうな芙蓉が植えられていることと、狭い控えの間に坐すのが白袍の女導士であることだけだ。
扉を備えた奥の間には黒檀の円卓が据えられ、背もたれに螺鈿で花紋を散らした三脚の椅子が添えてあった。
「玲林、斑竹房のぶんも斎食を運ばせてくれ」
「承りました」
内宮妓官の装束をした都管が恭しく応じて奥の間を出ていく。
外から扉が閉まるのを見計らったように、黛玉が張り詰めた顔で訊ねてきた。
「――斑竹房、秘めたる故事とは何ぞや?」
先ほど院主の謁見の間で聞いたときとは全く異なる口調だった。
蘭涼は慌てて背後の扉を見やった。
あの外に女導士が一人控えているはずだ。
――誰が味方で誰が敵かは全く分からないのだ。気を付けて動かなければ。
目の前で黛玉が不安そうな表情をしていた。
蘭涼は慌てて表情を取り繕った。
「なに、上つ方のお耳に入れるほどのことでもありません。ときに盧遮那さまーー」
「なんだ?」
「お斎食をいただく前に、書道具をお貸しいただけますか? 連れてきた従者に急ぎの文使いを頼みたいのです」
たぶん、こういっておけば、乱行に耽る高位女官が口うるさい従者を追い払おうとしているように思われるはずだ。
「いますぐか? むろんかまわないが」
黛玉は訝しげに小首をかしげながらも、自ら隣室へ向かって、黒漆塗りの大きな硯箱と紙とを運んできてくれた。
「お手ずから恐れ入ります」
「なんの。これも修行だ」と、黛玉が得意そうに笑う。
蘭涼も思わず笑ってから、手早く書き物の支度を調えると、紙に質問を書いた。
〈院内のどこにも耳目があるため筆談で失礼致します。わたくしは桃果殿さまの御下命により、この蘭渓道院の企てる謀を探りにきました。声を立てずにお答えください。あなたさまは南院の首座導師さまの御出自をご存じですか?〉
蘭涼は喋るのと同じ速度で字を書くことができる。
すらすらと書かれた文字列を必死で読み取ったあとで、黛玉が緊張しきった面持ちで首を横に振った。
蘭涼はほっとした。
やはりこのお方は無関係だ。
ならばいっそお教えしてしまおう。
〈首座導師さまは先々代の主上の御落胤なのだそうです。院主さま法狼機の血を引く御子が先々即位することをお厭いになり、今の主上を退位させ、首座導師さまを王位に着けようとご画策です。そのために、近頃海都から上洛してくる法狼機の使節を暗殺しようとお考えです〉
暗殺、に二文字を見てとるなり、黛玉は零れんばかりに目を瞠った。
〈これは無謀な策です。法狼機は強い。もしこの企てが行われれば、必ずや大きな報いを受けることになるでしょう〉
黛玉は瞬きさえ忘れて紙面を凝視していたが、じきに表情を引き締めると、じっと蘭涼を見つめながら、ゆっくりと唇を動かした。
わ・た・し・は・な・に・を・す・れ・ば・い・い?
蘭涼は胸の奥がカッと篤くなるような感動を覚えた。
この物柔らかな風情の前の貴妃さまは、まちがいなく大嬢とよく似た高貴な魂をお持ちなのだ。
〈これから書く手紙を私の従者に持たせてください。あなたさまの御名で託されたお手紙であれば、誰も中身を検めないでしょう〉
黛玉は熱心に頷いた。
ちょうどそのとき、外から玲林の声が響いた。
「盧遮那さま、斑竹房さま、お待ちかねのお斎食が届きましたぞ!」
蘭涼と黛玉は顔を見合わせると、慌ててすべての紙片にざっと墨を塗ってから、丹念に一枚ずつ丸めて硯箱に詰め込んでおいた。