第九章 御前会議 1
「ところで周大姐」と、雪衣が不意に訊ねる。「ひとつだけちょっと疑問なのだけれど」
「なんでございましょう?」
柳花が泣きはらした目のまま、日ごろの落ち着きを取り戻して訊ねる。
雪衣はひょいと眉をあげて揶揄うように訊ねた。
「ご下賜のお菓子はどうしたの? まさか大溝に捨てちゃった?」
「いえ、まさか」
柳花ははにかみ笑いを浮かべ、右腕から垂れる袖の先を軽くゆすってみせた。「あんな上等のお菓子を棄てたりいたしません。このとおり、この袖の中に」
「あはは、まさしく袖の下だね!」と、雪衣が今しがたの真摯さとは打って変わった気さくな調子で笑う。「じゃあね、ひとつお願いしていいかな?」
「……なんでございましょう?」
「たぶん聞いていると思うけど、そのお菓子は東院桃果殿東廂にいらせられる新内侍さまからの――前の石楠花殿さまからの賜り物なんだ。それを橘庭どのに届けてほしい。紅梅殿の判官からのお裾分けだってね」
「このお菓子を、でございますか? わたくしの袖の中の?」
「うん。そのお菓子を。それねえ、よく見ると表面に石楠花の焼き印が押してあるんだよ。新内侍さまはもうずっと死ぬまで石楠花殿の特権を使ってもいいって、主上がお許しになっているからね。誰からのお菓子かは一目で分かるんだ」
雪衣がやや人の悪い笑みを浮かべて説明する。
柳花はまだきょとんとしていたが、蘭涼はすぐに雪衣の意図に気付いた。
――やっぱり食えない女だ。
明るく気さくで大雑把で、性根は真摯な廉吏。
一見そんな風にだけみえるが、京洛に有力な後ろ盾のない海都の商家の出自で今の地位までのし上がってきたのだ。ただそれだけの愚直な存在であるはずがない。
この主計官、自らが竹簡の存在を知っていることと、大嬢の後援を得ていることを、それとなく橘庭に仄めかすつもりらしい。
これは負けてはいられないと蘭涼は勇み立った。
手柄をすべて横取りされるわけにはいかない。
いつだか督が言っていた通り、立身を望むならたまには博打を打たねば。
「お言葉ながら紅梅殿の判官よ――」
「なんだね斑竹房の判官?」
「そこな女嬬はわが白梅殿の属吏、紅梅殿のお方の馳せ使いをする道理はない。――柳花!」
「は、はい判官様!」
女嬬がぴしりと背筋を正す。
蘭涼はできるかぎり重々しく告げた。
「その菓子は斑竹房の判官からと。それから、お捜しの品についてはこの斑竹房が誉れにかけて房に保つゆえ、お入り用ならいつでもお声がけくだされと。罪を償うつもりがあるならそのように伝えなさい」
「はい判官様。必ず」
柳花は恭しく応え、白い袖を蝶の羽のように広げて坐り直すと、両膝の前に指を据え、額を床に擦り付けるような古雅な礼をした。美しい所作だと蘭涼は見ほれた。
――ウチのしょうもない英華あたりに指南してもらいたいくらいだ。
そう思ったとき、それまでじっと黙っていた月牙が、控えめに口を挟んだ。
「柳花どの、先ほど近しい御身内がないと仰せでしたが――」
「ええ、それが何か?」
女嬬が強張った声で応じる。
「幼いころ、桂花はあなたのことをよく同輩に自慢しておりましたよ。――お作法のことならみんな習った、長いこと内宮に仕えている叔叔が手紙でみんな教えてくれたと」
「そうですか」
柳花は本当に嬉しそうに笑うと、軽い一礼を残して房を出て行った。