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第八章 透明な犯人 4

 つむじ風みたいな小娘が立ち去ったあとで、柳花はようやく我に返った。房内にいる同室者たちが興味津々といった視線を向けてくる。

「お、お礼を申し上げなければ」

 どうにかそれだけ口にすると、柳花は菓子の包みを手にしたまま、後庭の木戸を出て南の表門へと向かった。北側の通用門は朝夕の決まった時間以外は締め切りになっているのだ。



 表門の内宮妓官は古参の女嬬を知っていた。

「おや周大姐、ずいぶん急いでいるね。どうしたんだい?」

「いえね、急な御用を言いつかって、ちょっと紅梅殿へ」

「ああ、もしかして紅梅殿(あちら)の判官様の御用かな?」

 妓官は柳花の手にする菓子の包みを一瞥して腑に落ちたように頷いた。

 柳花はますます焦った。


 件の謎解き判官様が、本当に白梅殿(こちら)に来ているのだ。



 表門を出た柳花は、白梅殿と紅梅殿のあいだの幅一丈〔*約3m〕の石畳の路をまっすぐに北へと駆けて北院の裏庭へと出た。


 洒掃所の婢たちが朝夕汚物の手車を引くために深い轍の跡ののこる土のままの道の向こうに竹の疎林(はやし)が広がっている。

 柳花は用心深い小さな獣のように左右を確かめてから、迷いのない足取りで竹林のなかの小径を走った。


 じきに目の前に見慣れた大きな高床小屋が現れる。


 主屋を囲む簾はすべて上げてある。


 廊にも周囲にも人の気配はない。


 柳花は再び左右を見回し、ついでに後ろも見てから、はーッと安堵の息をついて七段の階をあがった。

右手の壁際に丸めた簾が幾本も立てかけてある。

 柳花はそのうちの一本に手を伸ばすと、慣れた手で紐を解いて廊に広げた。

 真ん中に巻き込んであった竹簡も一緒に広がる。

 柳花は手早く竹簡を巻くと、しっかと胸に抱きしめて階を降りた。

 

 柳花がまた前後左右を見回してから、高床小屋に背を向けて走り去ろうとしたときだった。


 

「――そこまでです。止りなさい」



 背後から静かな低い声が聞こえた。


 柳花は凍り付いた。



 いまどこから声が聞こえたのだ? 

 女とも男ともつかない静かで厳しい声が、ものすごく高いところから聞こえてきた気がする。



 ――天網恢恢疎にして漏らさず――



 脳裏をそんな成句がよぎった。


 恐る恐る振り返ると、杮屋根の棟木の上にすらりとした人影が立っていた。


 白い筒袖と浅葱色の括り袴。

 鮮やかな緋色の帯。

 箙と刀こそ帯びていないが、その人物が何者であるかは古参の女嬬には一目で分かった。



「――柘榴庭さま……」



 柳花は呆然と仰ぎながら呟いた。

 月牙は屋根と廂のあいだへ軽やかに跳躍し、そこでぐっと膝を折るなり、廂を飛び越えてダン、と音を立てて地面へと着地した。


 すらりとした痩躯が立ち上がる。


「斑竹房付きの女嬬の周柳花どの――ですね?」

「ええ」

 柳花は乾いた声で応えた。

 すると、月牙は思いがけないことを訊ねてきた。

「南荘曲水邑の周桂花とは近しい身内ですか?」

 柳花は愕いた。


 南荘曲水邑――


 それはもう長いこと帰っていない柳花の故郷の(むら)の名だった。

 同じ邑出身の元・外宮妓官の周桂花は遠い身内だ。母方だけがカジャール系という不利な条件だというのに幼いころから鍛錬を重ねて十四で柘榴庭の妓官として入った果敢な小姐(おじょうさん)だ。

「――ええ。父方の従兄弟の孫にあたります」

 途端、月牙は思いがけないほど親しげな笑顔をみせた。

「ああ、やはり。斑竹房さまからお名前を聞いた時からそうじゃないかと思っていました。知っての通り、あの子は今も私の配下で、尚書省付き洛東巡邏隊の第三小隊を率いています。曲水邑からも何人か隊士が出ていますよ。私のところの第一小隊に周楊春というのがおります。知っていますか?」

「いえ、その子は知りません。帰ったところで身内もありませんし、もうずいぶん宿下がりもしていませんから――」

 答えながら柳花は戸惑っていた。


 この美しい捕縛者はなぜこんな埒もない世間話をしているのだろう?


 そして不意に不安になった。

「柘榴庭さま、同郷の若い者たちは何の関わりも――」


 竹簡をきつく抱きながら言い募ったとき、背後から二つの足音が聞こえてきた。

 月牙が眉尻をさげて何となく申し訳なさそうに笑った。

「ああ、判官様がたがようやくお見えです」

 振り返ると、いつのまにか赤い入日に照らされ始めた竹林の中を来る二人の若い――柳花よりははるかに若い高位女官たちが見えた。


 

 ああ、なるほどと柳花は納得した。


 今までの親しげな会話は単なる時間稼ぎだったらしい。

 

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