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第八章 透明な犯人 1

「首座導師どの? 生憎と知らんな」

 玉楊は些かならず口惜しそうに応じた。「雪衣、知っているか?」

「たしか洛南の塩政秦家の――太上王后さまのご生家の庶子と聞きました」

「その首座導師が赤心党の密かな後援者だったのか?」

「いえ、そちらについては何も分からないのですが、蘭渓道院さまが仰せになるには、その首座導師さまは、先々代の主上の秘された御落胤なのだと」

「どういうことだ? なぜ御子が秘される?」

「なんでも、おん父君の喪中に婢に産ませた御子で、往時この東院にいらせられた慎氏の王太后さまとそのご一族が乱倫を退位を促してくるのを恐れて、蘭渓道院さまご自身が往時の橘庭の督に命じて母子とも宮の外へと匿われたのだとか」

「慎氏と秦氏の諍いか! なるほど説得力はあるのう」と、玉楊が呟く。

「そして、慎氏の王太后さまが身まかられたのち、十五代さまが東崗を再興なさって御子をお入れになられたと、そういう流れなのですかね?」と、雪衣が訪ねてくる。

「おそらくは」

 蘭涼はやや心もとなく答えた。「実は、その秘事の確かな証になりそうな竹簡がわが斑竹房に残っていたのですが――」

「ほう」と、玉楊が興味深そうに応じる。「どんな記録だ?」

「光祀元年の『柘榴庭諸事日記』です」

「ほほう」と、今度は雪衣が面白そうに応じて月牙を一瞥する。当代柘榴庭は緊張の面持ちで背筋を正していた。

「その日記に何が記してあったのだ?」

「毎月朔日に、当時の柘榴庭の頭領が、『東左京御乳母君』なる人物に五十両ずつ届けているのです」

「――なるほど」と、雪衣が呟く。「残っていたということは、その記録は今はもう失われているのですか?」

「ええまあ」

 蘭涼は口を濁した。「失われたというか、忽然と消えてしまったというか」

「――どういうことだ?」

「その――なんと申しますか――私の記憶が確かなら、半月前までは間違いなく書棚にあったのです。それが、いざ今朝確かめようとしたら、いつのまにか棚からなくなっていたのです」

「誰かが持ちだしたのか?」

「その場合記録をつけております」

「斑竹房に鍵は?」

「このとおり、私が常に持参を」

「ほう――」

 玉楊は興味深そうに唸ると、妙にキラキラした目つきで雪衣を見やって訊ねた。


「どうだ謎解き判官。この謎どう判じる?」



「いやあ、いきなり訊かれましても」と、雪衣は困ったように頭を掻いた。「紛失した状況ってものがもう少し分かりませんと」

「紛失ではない。消失だ」

 雪衣相手にはつい意固地になってしまう蘭涼がすかさず正す。主計判官は柳眉をひょいとあげた。

「どこが違うので?」

「紛失といったら私が過失で失くしたようだろう。竹簡は消えたのだ。いいか? 消・え・た・の・だ」

「相分かりました。消えたのですね。ならその消失に至るまでの過程をお話しくださいよ。ええと、まず、その竹簡を最後に確認なさったのがいつかは、明確に覚えておいでで?」

「ああ」蘭涼は自信を持って答えた。「先月の中旬七日目だ。私はその前日まで橘庭の客殿に拘禁されていた。解かれてすぐ、拘禁前に手を付けていた竹簡の修繕の続きにとりかかった。光祀元年の『柘榴庭諸事日記』はそのなかのひと巻だったから、この時まであったのは確実だ」

「なるほど。確かに確実そうですね」と、雪衣が納得する。「そして修繕を終えた竹簡を書棚に戻された、と」

「ええ」

「その日から今日まで書房を訪れた者は?」

「――皆無だ」

 蘭涼は屈辱と口惜しさを抑えて答えた。

紅梅殿の正殿につめて多忙を極めているのだろうかつての好敵手に、今の自分の閑職ぶりをつぶさに打ち明けるのは辛かった。

 雪衣はそんな蘭涼の内心を特に察した様子もなく無造作に頷いた。「斑竹房どのは――ああ、どうも紛らわしいな。蘭涼どのと御名で呼んでも?」

「ご随意に」

「ありがとうございます。蘭涼どのは、勤務中、斑竹房にはお一人で?」

「房付きの女嬬が一人」

「蘭涼どのがいないときにその女嬬が房に入ることは?」

「させていません。退出も一緒ですから、無断で物を持ち出すこともできないはず」

「房にはいつも鍵を?」

「ええ。空けるときは必ず」

「合鍵はないのか?」と、玉楊が口を挟む。

 蘭涼は慌てて答えた。

「ございません」

「なるほど――」と、雪衣が顎先に手を当てて唸る。「それは確かに消失としか言いようがありませんねえ。ちなみに、気づいたのは今朝なんですよね?」

「ええ」

「房に入ってすぐに確かめたのですか?」

「いや、まず督から頼まれた急ぎの書き物があったので、それを仕上げて届けてからです」

 蘭涼は多少なりとも面目躍如できたような心地で告げた。

 と、雪衣が目を瞠った。

「届けたというと、白梅殿に?」

「ええ」

「そのとき房に鍵は?」


「あ」


 問われてようやく蘭涼は思い出した。

 七か月のあいだに初めての急ぎの仕事に舞い上がっていて、出るとき房に鍵をかけた覚えがまるでない。


「かけた――と、思いますけれど」

「心許ないのだな?」と、玉楊が鋭く訊ねる。


 蘭涼は諦めてしおしおと頷いた。

「言い切る自信はありません」


「仕方ありませんよ。日ごろ気にも留めずにやっている行動ですと、いちいち覚えていないほうが自然です」と、雪衣が慰めてくる。

「しかし判官様」と、月牙が口を挟む。「斑竹房さまがいらっしゃらなくても、房にはその女嬬どのがいたのでは?」

「うん。だからその女嬬どのが竹簡を消失させたんじゃないの?」

「柳花が?」

 蘭涼はあきれ果てた。

「紅梅殿の――」

「雪衣で結構ですよ」

「では雪衣どの、私が書き物を届けに房をあけたのはほんの短い間です。女嬬は出るとき廂の廊の拭き掃除をしていました。戻ったときには掃除を終えて簾を巻いていました。――実際廊はよく磨かれていましたよ? あの短い間に、女嬬が房から竹簡を盗み、いずこかに持ち去った挙句、また戻ってきて何食わぬ顔で掃除を続けていたと?」

「いや、そういう情況でしたら持ち去ってはいない――と、思いますよ?」と、雪衣が少し自信なさげに小首をかしげた。「たぶん隠しただけじゃないかな?」

「どこに?」

「う――ん、たとえば簾のあいだに巻き込んでおいたとか?」

「ああ、それはありそうだの」と、玉楊が同意する。「竹簡だしな。柘榴庭、そなたどう思う?」

 いきなり話をふられた月牙は尻尾を踏まれた大型のネコ科の獣みたいにビクリとした。

「は、はい、その、わたくしもありそうではないかと思いますが」

「が? なんなのだ?」

「その場合、女嬬どのは一体何のために竹簡を隠匿したのでしょうか?」

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