第七章 掌中の珠 1
半日後――
蘭涼は再び輿に揺られて河津道を西へと戻っていた。
白い羅の帳を下ろした輿の中は相変わらず繭の内のようだ。行く手から落暉の赤い陽が射している。先導するのは騎馬の月牙だ。後を小蓮の小型の輿が来る。さらにその後ろから、蘭渓道院での法会に列なった京人たちの輿が十数基、それぞれの護衛を伴って続いている。
輿の一代行列だ。
来るときはみなばらばらに来たが、帰路は同時になった上、夕暮れの河津道を寡ない護衛だけで戻るのを心細がったお歴々が、二十名の洛東巡邏隊に護衛される「斑竹房さま」の御輿に目を付けて同行を申し出てきた結果である。
紅蘭涼の名は思わぬところで売れてしまった。
元・乳母の女嬬の燕児が聞いたら随喜の泪を催すだろう。
――護衛のそれぞれが提灯を手にした輿の大行列は、実際非常によく目立った。洛東の低湿地帯を堤のように伸びる河津道の両側の農村地帯の住民たちが、三々五々、庭先やあぜ道に出てきて、遠く連なる燈の列を興味深そうに眺めていた。
その行列の先頭を図らずも進むことになってしまった蘭涼は、柔らかな繭のような帳のなかでしきりと頭を悩ませていた。
――今日の列席者たちはみなあの秘事を打ち明けられているんだろうか?
この秘事はそなたにだけ教えてやる――というのは、手駒を作りたいお偉方の常套句である。法会の前に列席者をそれぞれ別々に呼んでいるところからして、全員に密かに教えている可能性は高い――気がする。
――蘭渓道院にもう数十年来住んでいらせられる首座導師さまが、二代前の国王の御落胤であられた――それは本当なんだろうか?
◆
間違いなく証があるのじゃ――と、太上王后は言った。
「光祀の初めの頃のことじゃ。先王さまが身まかられ、わが君たる十五代さまが即位なされた。私はそのときすでに十五代さまの妻であったから、貴妃を経ず、初めから西院梨花殿のあるじとして入った」と、院主はいささかならず得意そうに話した。
「そなたは無論知っていようが、十五代さまのおん母君たる慎氏は苛烈なご気性で、わが君たる十五代さまを何故かお厭いになり、『宰相宮』と呼ばれた弟君ばかりを御慈しみであった。あの時分は外戚の権力が極めて強くもあったから、わが君はいつおん母君の一族から退位を促されるか分からなかった。――知っての通り、この私は秦家の出でな。慎と秦との争いよ。そんななか、先王さまの服喪のただかなに、さる婢がわが君の子を孕んだのじゃ――」
そう言った院主の声からは微かな軽侮と怒りとが感じられた。
「君のおん母君たる慎氏は典礼の作法にやかましかった。ゆえに正后である私も、部屋持ちから入った四人の貴妃たちも、先王さまの服喪のあいだは潔斎に勤めていた。そのときに、犬畜生のごとき婢が、湯屋でわが君を誑かしたのだ」
院主の声音にはいまだに生々しい怒りが籠っていた。
蘭涼は恐怖を感じた。
「――それで、その御子を、お隠しになられたのですか?」
「然様」と、院主は重々しく頷いた。「万が一にも東院に知れたら、あの雌狐が乱倫を咎めてわが君に退位を促すことは目に見えていたゆえな」
そのとき蘭涼は、半月前に見た光祀年間の『柘榴庭諸事日記』の記載を思い出した。
文字資料についての蘭涼の記憶力は際立っている。
思い出そうと思えば一語一句違わず思い出せる。
◆
――光祀元年晩冬月朔日、東左京御乳母君に五十両。五十一年前の記録にそう書いてあった。
同じ記録は遡って毎月朔日、十二か月分続いていた。
前の年とそのあとの年については読んでいないから分からないが、毎月五十両を一年間となれば、それだけで六〇〇両――後宮でも上から数えたほうが早いほど高位の蘭涼の年俸の二倍である。
――もしあの話が本当だとしたら、あれがたぶんその秘された御子の養育費だ。
沈思に耽っているあいだに、いつのまにか日が落ち切っていた。
左右の護衛が手にしているらしき提灯の火明かりだけが帳を透かしてぼんやりと浮かんでみえる。
そのうちに輿が止って、前方から月牙のよく徹る声が響いた。
「――方々、わたくしどもはこれより後宮へ赴きます! 東大橋門まで隊士の半数が同行いたしますゆえ、なにとぞお気をつけて!」
「当代どの、お心遣いまことにかたじけない!」
後ろのほうから列席者の私的な護衛たちが応えた。
どうやらもう洛東南大路の辻まで来ていたらしい。