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第六章 山の御子 4

 とはいえ、このまま呼ばれ続けていては身分詐称というものだ。

 蘭涼は慎重に言葉を選んで応じた。

「畏れながら蘭渓道院さま、卑官、白梅殿付随の旧文書庫たる斑竹房を預かる員外判官でございます。なにとぞ斑竹房と」

「ほほう。若いのに生真面目だのう」

 院主は面白そうに笑うと、犬でも呼ぶような仕草で手招きをした。「近う寄れ。手の文は白梅殿からか?」

「は」

 応じるなり、右手に趺坐する女導士が立ち上がって近づいてきた。

 院主は文箱を受け取ると、深緑の組紐を無造作にほどき、裏面に金箔を散らした柔らかそうな紙片を取り出した。



 ――五十両の銭票はあの下なのかな……?



 改めて中身を思い出して微かな緊張を感じる。

 五十両は結構な額だ。閑職とはいえかなりの高位女官である蘭涼の年俸は三〇〇両。家格にふさわしく女嬬を三人も雇っているから収支はいつもぎりぎりだ。



 --この道院は金銭的には全く苦労していなそうだな



 院主のまとう鮮やかな山吹色の袍は西域渡りの泪夫藍(サフラン)で繰り返し染めた最上級品だと一目で見てとれる。腰掛の天蓋から垂れる羅も同じ色で淡く染めてあるようだ。室内にうっすらと燻っているのは南方の沈香――おそらくは補陀落(ふだら)で産する最高級品だろう。微かにつんと混じる癖のある匂いは、もしかしたら竜涎香だろうか?

 見えない細部にこれでもかというほど贅が尽くされている。


 

 院主は紙片を開いてざっと目を走らせてから、すぐに文箱に戻して右手の女導士に渡した。


 そして、不意に訊ねてきた。

「のう斑竹房、そなた、この道院に住まいする首座導師の出自を知っているか?」

「首座導師さまーーで、ございますか?」

 思いがけないことを問われて蘭涼は戸惑った。

「あいにくと存じません。院主さまの御一族でございますか?」

「うむ。表向きはそういうことになっている」と、院主は深刻そうな小声で応じ、

「玲林! 人払いをせい」

 と命じた。

「は」

 内宮妓官が頷くなり外へ出ていく。

 御前に並んだ六人の女導士は微動だにしない。

 院主様にとってこの面々は「人」ではないのだ――と、蘭涼は戸惑いながらも微かな反発を感じた。



 ――そういうところ、大嬢(ひめさま)とはやはり違う。大嬢は召使が人であることをよく分かっていらっしゃる。



「さてこれでよい」

 院主が満足そうに頷き、また手招きをした。

「斑竹房、もそっと近う寄れ」

 命じられるままににじりよると、やや癖のある香の匂いが一層強くなった。よく見れば左手の部屋の角に黒檀の棚があり、上に蓮華を象った白磁の香炉が据えられているのだった。

「そなたに秘事を教えてやろう」

「秘事、でございますか?」

「然様」

 院主がにんまりと笑った。ハツカネズミを前にした猫のような笑いだ。

 蘭涼は寒気を感じた。



 ――厭だ。聞きたくない。



 蘭涼は思わず背筋を引いた。と、院主が右肩に掌を置き、思いがけないほど強い力で引き寄せると、耳元に顔を近づけてきた。

「秘事中の秘事よ。首座はわが君の落胤じゃ。第十五代双樹下国王輝成さまが、おん父君の喪中に婢に産ませた児じゃ」

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