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第六章 山の御子 1

 籠はすぐに支度された。

 二人担ぎの籐編みの籠で、側面が開いているから登り路がよく見える。


 路は小山の東から北へ、左回りのらせんを描いて山腹を巡っているのだった。これも杖を手にした黒装束の供華衆二人に先導されて、木漏れ日の降りかかる山路をうねうねと登ってゆく。



 路が北側へとめぐる手前で、右手にまた大きな葉細榕の古木があった。帳のように垂れる気根の向こうで小蓮が跪いている。

 ずいぶん熱心に眺めているようだ。


 蘭涼はやや躊躇ってから声をかけた。

「蓮花、そこにも祠があるのか?」

「あ、はい、斑竹房さま!」と、小蓮が慌てた様子で駆けだしてくる。「洞に小さなお像まであったもので、つい熱を込めて拝んでしまいました」

「そうか。信心は大切だ。ゆっくり従いてきなさい」

「はい! ありがとうございます!」

 少女が満面の笑顔で応える。

 近くに渓流でもあるのか、微かに瀬音が聞こえていた。


 

 どうも小蓮はもうある程度目的を果たしたようで、声をかけたあとには、蘭涼の乗る籠のすぐそばを忠実な小さな猟犬みたいにとことこと随いてきた。

 登り路は山腹を四分の三周していた。

 ところどころに堂や祠が点在しているようで、枝道が何本か分かれている。


 西側に至ったところで、目の前にまた石段が現れた。

 上に山門よりやや小ぶりな櫓門があり、左右から鮮やかな山吹色の壁が伸びだしている。



 ――すごいな。まるで砦みたいだ。



 駕籠かきは険しい石段を軽々と登って、蘭涼を櫓門の前まで運んでいった。門の露台の欄干に木製の額が架かって、「中門」と朱書きされている。

 先導の供華衆が呼ばわる。

「奥の院の方々、後宮よりお使者がお着きです!」

 すると、すぐさま門の内から、袖の広い白い袍に黒い幅広の帯を結び、筒型の黒い帽子を被ったすらりとした男が出てきた。


 手には環のついた錫の錫杖を握り、胸には黒い珠を連ねた長い連珠をかけている。

 蘭渓道院が属する転輪道の一派「再生派(ダウヴィーヤ)」の導士の装束である。


「やや、これはこれは!」

 耳に甘いやや高めの声で言いながら駆け寄ってくる。

 近づくと随分若そうな顔をしているのが分かった。

 やや幅広の輪郭で、頬骨が高く、くっきりとした二皮目が南方の血統を感じさせる。役者のような美男ではないが、よく陽に焼けた快活そうな肉厚の顔に独特の甘さがある。

 年のころは――蘭涼にはよく分からなかった。


 ――少なくとも私よりは年下みたいだけど。


 太上王后さまと前の貴妃さまの住まう奥の院に若い男がいるとは思わなかった。

 小蓮の手を借りて籠から降りながら、何と口上を述べようかと迷っていると、当の導士のほうが、ただでさえ大きめの目を見開き、ぱちぱちと幾度も瞬きをしながら訊ねてきた。

「ああ――あなたさまが、ええと、当代の斑竹房さま、で?」

「いかにも」

 蘭涼は憮然としながら応えた。途端、導士はありありと驚きの表情を浮かべてから、不意に真っ白な歯をのぞかせて破顔した。人懐っこい大型犬みたいな可愛げのある笑いだ。

「愕きましたな! 後宮からの身分あるお使者が、あなたさまのようにお若くお美しいお方だなどと!」


 何を歯の浮くような世辞をと蘭涼は苛立った。

 蘭涼は自分を不器量だと思ったことは一度もないが、特別に美しいと思ったこともない。

 小作りな造作と小さめのうりざね顔、洛中紅家の一族に共通するなで肩で骨細の体つきのために、嫋々として品の良い印象を与える外見だとは自負しているものの、ぱっと目を惹く華やかな美貌では全くない。



 ――自分の可愛げを自覚して、世慣れない年増女をこうやって喜ばせているつもりなんだろうか?



 そうだとしたらいけ好かない若造だ。


 蘭涼の内心密かな苛立ちにかまわず、若い導士はいかにも人好きのしそうな笑顔を浮かべたまま言葉を続けた。

「申し遅れましたが、わたくし、この道院の知賓堂を預かる導士で、首座導師より阿爾婁陀(アニルダ)という戒名を賜っております。斑竹房さまには、どうぞ『知賓(しひん)』とお呼びくだされ。あるいは阿爾婁陀と」

 恭しく述べながら、阿爾婁陀がちらっと蘭涼を見上げて誘いかけるように笑ってきた。

 蘭涼はますますいらいらした。

 


 ――この若造、後宮女官は若い男と見れば襲い掛かる猛禽だとでも思っているんだろうか?



 ふと見ると、有能な密偵のはずの小蓮が、ぽかんと口を開け、妙に陶然とした面持ちで胡乱な若造を見上げていた。

 しっかりしなさい柘榴の妓官、と蘭涼は内心で叱責した。

 見た目だけなら柘榴庭のほうがはるかに美青年ではないか――生憎と男ではないが。


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