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第五章 ときには繭の外へ 1

 どうも本名は「小蓮」というらしい新たなお供を、蘭涼はとりあえず「崔蓮花」と呼んでおくことにした。


「供の素性まで説明する必要があるかは分かりませんが、念のため決めておきます。そなたは前の石楠花殿さまのご祐筆である崔芳淳どのの遠縁の娘です。聞かれたらそう答えるように。いい?」

「はい斑竹房さま!」

 お供はきびきび答えた。


 じきに外から呼び声がかかった。

「頭領、輿が来ましたよ!」

「ああ子明、すぐ行く。――では斑竹房さま、それにお供の崔蓮花さまも」と、月牙はちょっと人の悪い顔で笑って眉をあげた。「おいでください。出発いたします。我々はもともと朝夕に洛東一帯の巡邏を行っています。今日は少々足を伸ばして東崗までお送りいたします。夕にまた立ち寄りますので、それまでお待ちくださいね」

「ええ。―-そのあいだ芳淳どのはずっとここに?」

「危険はないとお約束いたします」

 一対の長屋の間を抜けて木戸を出ると、二基の輿の後ろに、門衛二人と同じ黒と白のリュザンベール服姿の若い男たちがずらりと並んでいた。ざっと見て二十人はいそうだ。蘭涼は目眩を感じた。目の前に見慣れない大型の獣がずらっと並んでいるようだ。

 輿の一方は四人担ぎで、もう一方は二人担ぎだ。

 月牙が四人担ぎのほうを示して恭しく促してくる。

「斑竹房さま、どうぞお乗りください」

「あ、ああ」

 蘭涼は何とか威厳を取り繕って輿に乗り込んだ。



 天蓋から白い帳を下ろした四人担ぎの輿の乗り心地は上々だった。

 薄い絹布の向こうから朝の街の喧騒が聞こえてくる。すぐ前を月牙の乗る馬の蹄の音が行く。

 蘭涼は胸の高ぶりを覚えた。


 こんな外出は本当に久しぶりだ。


「おやあ、頭領さまぁ!」

 外から賑やかな声がかかる。

「今日はどちらへお出ましで? お輿は判官さまですかぁ?」

「ああ、まさしく判官様だ!」と、馬上の月牙が応える声が聞こえる。「白梅殿の判官さまが東崗へおいでだ! みなちと道を空けてくれ!」

「お安い御用で頭領さま!」

「判官さまぁ! 判官さまぁ! お気をつけて行っていらっしゃいませ――!」


 沿道からかかる好意的な声に、蘭涼は複雑な気分になった。


 いま呼ばわられている「判官様」は間違いなく趙雪衣を指しているのだろう。

 柘榴庭さまと判官様は、辻芝居で大人気の組み合わせだ。



 ――柘榴庭。きちんと訂正しろ。私は斑竹房だ。いてもいなくても大差ない白梅殿の員外判官だ。



 蘭涼は心の中でだけ思った。

 そんなことを思う自分が惨めでならなかった。



 やがて市街の賑わいを抜けると、輿が左手へ折れた。


 帳越しにも行く手から陽が射してくるのが分かる。


 どうやら河津道へ出たようだ。


 洛中の南側から大河西岸の洛東河津までまっすぐに伸びる六歩里〈*約24㎞〉の道である。光を透かした帳のなかが柔らかな繭のなかのようだ。輿の揺れに身を任せてぼんやりとしていたとき、不意に輿が止った。

 何事かと身構えたとき、

「斑竹房さま、お供の方も」

 と、外から月牙が声をかけてきた。

「よい景色でございますよ。一里塚へお登りになっては?」

 蘭涼は呆気にとられた。

 これから危うい務めが待っているというのに、何を長閑なことを言っているのだろう?



 ――元・外宮妓官の頭領にとっては、こんなのは日常茶飯事なんだろうか? 



 そしてあの趙雪衣にとっても?

 そう思うと口惜しさを感じた。



 ――私だってそんなに動じていやしない。これでも元々は北院で一、二を争う若き俊才ともてはやされていたんだから。



 ずっと眠っていた――あまり辛いからわざと眠らせておいた負けん気と闘争心がむくむくと頭を持ち上げてくる。

 蘭涼はすっくと背筋を伸ばして答えた。

「ああ登ろう。崔蓮花、帳を上げなさい」

 


 外から帳が分けられるなり、鮮やかな朝日が目を焼いた。

 陽の向きへと幅三丈〈*約9m〉の石畳の道がまっすぐに伸びている。左手の遠くに東岡が見え、右手のすぐ傍らに、下半分を笠石で覆って頂に柿の木を植えた人工の塚が見えた。


 石段の登り口の左右に茶屋の幟が並んでいる。

 傍に馬の水飲み場もあるようだ。


「東崗まではあと一里でございますよ」

 月牙が先んじて石段を登ってゆく。

「斑竹房さま、お足もとにお気をつけて」と、崔蓮花もしくは小蓮が、思いがけない甲斐甲斐しさで手を差し伸べてくる。

「ありがとう。大丈夫よ」

 あの程度の石段なら、東院や西院の門へ上るのとそれほど変わらない。裾を軽く持ち上げて登り口へ向かっていると、茶屋の亭主と思しき老人が恭しく頭を低めてきた。


 

 石段を登り切ると、月牙が柿の木の傍にいた。

 思いがけないほど厳しい表情で左手の遠くに見える東崗を見据えている。


 東崗は名の通り京の東の岡だ。高さはせいぜい一〇〇尺〈約300m〉程度だが、低湿地帯のただなかに盛り上がっているため、相当に高く見える。京洛育ちの蘭涼は、東崗は険しく高い嶺だと思っている。

 その峰を見据える月牙の顔には張りつめた険しさがあった。


 蘭涼は一瞬気後れしたが、すぐに腹を決めて呼んだ。

「柘榴庭、用件はなんです? 率直に話しなさい」

 途端、月牙がはっと顔を向け、またあの意外そうな表情を浮かべた。

 蘭涼は苛立ちを感じた。

「私はそなたが思っているほど愚鈍ではありませんよ?」

「いやそんな、愚鈍など」

 月牙は狼狽えきった様子で否んだ。「ただ気がかりだったのです。あなたさまを危険に巻き込んでしまうことが。ですから、できるかぎり何もお話せず――」

「巻き込むなどと!」

 裾を持ち上げて大股に近づきながら蘭涼は低く怒鳴った。「わが一族の大嬢(ひめさま)がもしかしたら関わるかもしれない謀が水面下で進んでいるなら、いち早く知っておきたいのはこの蘭涼も同じ。いちいち隠し立てをせずに有体に打ち明けなさい。そなたは何をしたいのです? そして、そのために私は何をしてやれば?」

 話しているうちに仕事の手順を確かめているような気分になってきた。

 月牙はますます意外そうに眼を見開いていたが、じきにくしゃっと顔を崩して笑うと、所在なさそうに側頭部を掻いた。

「申し訳ありません斑竹房さま。では率直にお話しますね。――小蓮、下で茶菓でも買ってきてくれ。あまり長いこと話しこんでいると不審に思われそうだ」

「はい頭領、すぐに」

 小蓮が答えて階段を駆け下りてゆく。

 蘭涼は思わず訊ねた。

「――あの子は信用していいの?」

 すると月牙はむっとしたように応えた。

「あれは柘榴の妓官です」

 お日様は東から昇ります――とでもいうような口ぶりだった。



 小蓮はすぐに戻ってきた。

 飾り気のない木製の盆の上に素焼きの茶器を並べている。月牙はまず自分が飲んでから、蘭涼にも勧めた。

 薄い茉莉花茶だ。

「――では、改めてお話しますね。いま私が確かめようとしているのは蘭渓道院へと密かに入れる山路の有無です」

「密かに?」

「ええ。あの道院の表玄関は河津道に面した南門で、北西に通用門があります。南門の前は旅籠や茶屋や馬借宿まで並んだ門前町で、人目につかずに出入りをするには不向きです。通用門のほうは船着き場にしか通じていません」

「例の反リュザンベール組織――赤心党の成員が道院内に密かに出入りするには、どちらも不向きなのですね?」

「ええ。実際しばらく変装した見張りを立ててみましたが、怪しい者が出入りしている様子はありませんでした」

「いろいろ尽力していたのですねえ」

「じつはしていたのです」

 月牙がちょっと笑って応じた。

 蘭涼も思わず笑った。――こんな状況だというのに笑える自分が自分でも不思議だった。

「じゃ、私はあの子がその密かな山路を捜す手助けをすればいいのね?」

「ええ。できるだけあれを自由に動き回らせてください」

「分かりました。やってみましょう。それだけでいいの?」

「十分以上です」

 

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