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短編集【ヒューマンドラマ・現代】

落とし物の恋心

作者: ポン酢

大人になると、世界は色を失う。


あんなに希望に満ちて迎えていた朝は、ただ繰り返される重苦しいルーティンの起動スイッチに変わる。

自分というプログラムが立ち上がり、書かれたコード通りに順を追って全てが実行されていく。


世界は相変わらずそこにあるが、効率化を優先する日々が取り込むのは必要最小限の情報だけ。

ふっと気が緩んで空を見上げても、そこに見える現実感を感じない。


いつか映画みたいに、見えてる全てが1と0の文字配列に切り替わるんじゃないかとすら思う。


はじめのうちはそれでもその感覚に反発した。

自分の存在の意味を探して、自分には自分だけの意味があるのだと藻掻いた。


でもそれも随分と前に忘れてしまった。


そしていつしか、自分はこの色がついていても灰色にしか見えない世界と同じで、ただ1と0が並んでいるだけの文字配列だと理解してしまった。


朝が来て、起動して、書かれたプログラム通りに全てが一つの狂いもなく繰り返される。

そして上手く行けば決まった時間にシャットダウンされて(まれに起動したままになるが)、同じ時間に起動される。


何をしているんだろう?


たまにふと、正気に返ってそう思う。

スイッチが切り替わったように突然の暑さに見舞われた今日。

目眩がして自販機で冷たいものを買って公園のベンチに腰を下ろした。

熱がたまり過ぎたら調子が悪くなり冷やさなければならないなんて、まるっきりパソコンと同じだ。

そんな皮肉めいた事を思いながら、買ったスポーツドリンクを本体に流し込む。

体内浸透率のいい冷えた液体が体に染み渡って行く。

電解質を含んだ液体を取り込めるのは唯一の違いだななどと思った。


そんな俺の目の前を、OL風の女性が仕事用のローヒールとビニール袋を手にぶらぶらさせながら通り過ぎる。

通り過ぎざま、何か鼻歌のようなものが聞こえた。


………………………………。


は??


特に気にせず見流して、かなり間をおいてから俺の頭はフリーズした。


何かおかしかった。

今見た光景には、何かおかしな点があった。

特に代わり映えなく見えるデータ配列の中に、妙な違和感があった。


急に自分の中に、その違和感に対する警戒心が芽生える。

今見た情報におかしな部分があった。

配列が1文字でも変わればそれはバグを生む危険を孕んでいる。

見逃したら後でエライ目に合う。


俺はそれを確かめる為に顔を上げた。

バッとその違和感を探す。


それは一つ離れたベンチに腰を降ろすところだった。


持っていた靴を無造作にタイルの上に転がし、持っていたビニール袋から、アルコールのロング缶を取り出すと、何の迷いもなくプシュッと開けた。



?!?!



俺の頭はバグを起こしていた。

見ているものの情報を処理できない。

チラリと視界を動かし、公園に立つ時計をチラ見する。

まだ11時前……昼休憩にしては早すぎないか……??

と言うか、昼休憩にそのロング缶はないだろう?!


ごッごッごッといい音でもさせてそうな勢いで彼女はそれを飲み干す。

思わずゴクリと喉が鳴った。

この時間、そいつが喉を流れたらどんなに美味いだろうかと無意識に頭が想像していた。


目が反らせなかった。


彼女の周りだけがやけに鮮明に輝いた色を奏でている。

嘘ではない、無意味じゃない存在感。


忘れていた目の覚めるような世界の色。


彼女はそれを飲み干すと、大きく伸びをした。

そして空を見上げて笑っていた。



……無敵の人。



そんな言葉が頭に浮かぶ。

世の中という一つのシステム、一つのプログラムから飛び出した、そんな存在感。


彼女に何があったのかはわからない。

ただ彼女は世の中に並べられたソースファイルから突き抜けていた。


彼女は空を見ている。

つられて俺もおどおどしながら上を見た。


初夏の快晴。


汗ばむ陽気。

空がこんなに高くて青い事に驚く。

雲はバカみたいに真っ白くてもくもくと漂う。


空って、こんなのだっけ??


何だか呆気にとられた。

ビルの谷間の公園から見えた空。


それは幼い頃に見上げた空よりとてもこじんまりはしていたものの、あの頃と同じ様に輝いていた。

思わずぼんやり見上げていると、横で人が動く僅かな気配がした。


慌てて視線を戻すと、彼女が後片付けをして靴を履き、去って行くところだった。

それを空を見上げた時のようにぼんやりと見送る。


なんか、夢のような体験だった。


けれど正気に返ると同時に、俺はフリーズしていた自分のプログラムを思い出す。

そして反射的にヤベッとなって立ち上がり、決められた通りの行動に戻ろうと慌てた。

小走りに彼女のいたベンチの前を通り過ぎる。


通り過ぎる……。


……………………。

なんか変なモノが見えた。


視野から取り入れた情報の違和感に、俺は迷いながらも足を止め、振り返った。



彼女のいたベンチには、何が置いてあった。



どうしようか迷った。

普段なら他人の忘れ物など、気づいても気にしないで通り過ぎただろう。

けれど彼女を見た事で、俺のプログラムにもエラーが生じていたのだ。

足早にそのベンチに近づく。


置いてあったのは、封筒だった。


業務的な長四封筒ではなく、女性が手紙を書く様な手紙の封筒。

派手な絵柄などはなく、色合いの綺麗な落ち着いた無地の封筒。


俺はそれを手に取った。

封はされていない。

悪い事だと思いつつ、俺は中身を読んでしまった。



「……………………っ!!」



俺はそれを見てバッと顔を上げた。

見えた世界の色が変わった。


昔の様に色づいた世界。


行動に必要か否かなど関係なく存在感が目に入る全ての景色。

風の音、匂い、関係ない人の笑い声、そんなものが耳に入ってくる。

皮膚を伝う汗。

ジリジリした太陽が皮膚に直接突き刺さる。


俺はネクタイを緩め、走った。


彼女が去った方向に何も考えずに走った。

公園の出口の一つから左右を見渡す。

ちょうど彼女が少し離れたバス停からバスに乗るところだった。


「おい!あんた!!」


俺は声を出しながら追いかけたが間に合わなかった。

彼女はバスに乗り、それは発車していく。


諦めるという選択肢は俺の中になかった。


視界に見えるバスの後部からその情報を頭に送り込むと、このバスならこう進むとルートが導き出される。

俺は公園内に取って返す。

大通りはこの時間、渋滞気味だ。

公園内を突っ切って別の入り口を出ればショートカットになる。



行け!俺!!

800m地区大会2位の功績を見せてやれ!!



俺は走った。

彼女の手紙を握りしめ、ただ走った。


昔取った杵柄。

今はもう動く体じゃないというのに、なぜそんな自信満々に走っているのか訳がわからない。


人とぶつかりそうになりながら、炎天下の中、俺は走った。

頭の中には何もない。


空っぽだ。


こんな空っぽで軽い頭になったのはいつぶりだろう?

全部、どうでも良かった。

俺は色を取り戻した世界の中を、バカみたいに疾走した。


信号で止まってイライラしながらペットボトルのスポーツドリンクを飲み干し、再度走り出すと、通りがかりの自販機の位置情報を正確に把握しながら速度を合わせてゴミ箱に押し込む。


完璧なタイミングだった。


それに何故か笑いが止まらなくなってしまう。

走る事を忘れていた足は少し戸惑っているようで、たまに縺れそうになる。

それでも俺はあの頃のように前だけを見つめて走った。

呼吸をするたびに喉が空気に剃られてヒリヒリする。


それでも諦めなかった。

諦めないというか、何で走っているかというのも今やどうでも良かった。


目的のバス停が見えてきた。

俺は祈るように周囲を見渡す。



間に合った!!



バス停に手をつき、ゼイゼイと息を吐く。

その目の前に目的のバスが静かに停まる。

俺は交通系カードを翳してバスに乗り込むと、辺りを見渡した。

中は人がまばらで、目的の人は直ぐに見つかった。


俺はそちらに歩いていき、彼女を見つめた。


近づいてきた俺を不思議そうに見上げるその人は、アルコールのロング缶を飲み干しただけあってぽやんとした顔をしていた。

俺は汗だくのまま息を切らし、無言で握りしめていた手紙を差し出した。


えっ?!と驚いたように固まる彼女。


「……余計なお世話かも知んないけど、忘れ物。」


「…………これ……。」


「置いてったんだろ?わざと。でもな、俺は思うよ。これは置いてったら駄目なやつだ。あんたにとって、これは大事なもんだ。無くしちゃ駄目だ。失ったら駄目だ。」


彼女は笑った。

その拍子に涙が溢れた。



「…………ありがとう。」



彼女は泣き笑いしながら、震える手で俺から手紙を受け取る。

そして大事そうに抱きしめてボロボロと泣き続けた。


そんな彼女を見ながら、俺は一息つく。

通路を挟んだ反対側の座席に腰を下ろし、ふぅと大きく息を吐き出した。

そんな俺に彼女がハンカチを差し出す。

俺はその手を押し戻し、自分の涙を拭けよと言った。


「……公園からここまで……わざわざ?」


「まぁ、そんな感じ。」


「ありがとう……。自分の意志で置いていったんだけど……多分、一生、後悔してたと思う……。」


「だろうな。」


「ありがとう……本当にありがとうございます……。」


「いや、俺もあんたに……無くしちゃいけなかったもん、思い出させてもらったからおあいこだ。」


俺の言葉を不思議そうに彼女が首を傾ける。


「そうなんですか?」


「そうなんです。」


畏まって聞かれたので畏まって答えると、プッと彼女は吹き出した。

ちょっと歯並びの悪い八重歯が見えて、可愛いなと思った。


バスは混雑した大通りをノロノロ進む。

次のバス停まではまだ時間がかかりそうだなと俺は笑った。

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― 新着の感想 ―
[一言] 世界が色を取り戻していく様子が瑞々しく描かれており、読みながらこちらも勇気をもらえるようでした。 彼女が置いていった封筒の中身が気になりますが、それをきちんと届けようとする主人公がかっこいい…
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