64 いらっしゃいと新居へ招かれて。
テンパった真樹さんが、電車内で大々的な告白。
「……大丈夫ですかね?」
「ん〜……あとは、二人次第だよ。……真樹が泣いたら、一緒に励まそう?」
私も数斗さんも、携帯電話の通知を確認。ちょっとだけ待っても、真樹さんから連絡がないので、来た時に対応することにした。
「七羽ちゃん。埋め合わせのことだけど」
「考えました?」
「うん。七羽ちゃんの手料理」
「……私の料理でいいんですか?」
手を繋ぎながら、駅を出ようと歩けば、数斗さんはそう笑いかける。
今日春香ちゃんと真樹さんを優先したお詫びに、私の手料理。
「そう。新居で、二人きりで、七羽ちゃんが作った料理が食べたい」
『今回こそは独り占め』
シチューも独り占めしたかったけれど、潔く諦めた数斗さんは、次こそは、と独り占めを狙っている。
「……新居のキッチンを、私が使ってもいいってことですか?」
「もちろん。七羽ちゃんが気に入ったあのカウンターキッチンで作って」
「喜んで」
笑みを見せれば、数斗さんも嬉しそうに笑みを零す。
『よし。じゃあ、明日までには、絶対にキッチンを整えておこう』と、すぐにでも作ってもらおうと、計画を立てる数斗さん。
『その時に渡そう……あのバングル』
あ……バングル。すっかり忘れていた。
不法侵入事件と引っ越しで、慌ただしかったけど、もうとっくにセミオーダー発注したはずのバングルが届いているはず。
初デートとイニシャルを刻印したお揃いのバングル。
違うのは、はめられた誕生石。相手の誕生石のバングルをつけると決めたペアバングルみたいなものだ。
バングルは届いたのか、と尋ねるべきかな。
私が忘れてしまったと、数斗さんもわかってる?
初デートの記念品を忘れるのは、よくないよね……。
『渡したら……期間の延長の有無を、尋ねよう』
その計画を聞いてしまった私は、口を閉じた。
急かす気はないだろうけど、私が考えているかどうか。数斗さんは、確かめたいのだ。
私は自分で背負ったバックに、後ろ手に触れた。その中に入れておいたジュエリーボックス。
今夜もそれを眺めてから、眠るのだろう。
「今日買った荷物は、新一さんの家に運びます?」
「ううん。車の中に置いて、明日そのまま新居に持っていく」
「一人で運ぶんですか?」
「俺一人でも運べるよ?」
結構な量を買って重いだろうに……。
「それより、明日なんだけど……迎えに行かせて?」
「え? 明日は午前中に家具や家電が届くんですよね?」
「うん、そうだけど。そのあとに、七羽ちゃんを迎えに行く」
「電車で行きますよ」
「七羽ちゃん。気を付けてって言ったのに、今日はネカマの変質者に遭ったでしょ?」
半日の仕事終わりに数斗さんは迎えに行くと言い出したから、キッパリと断っても、やや咎めるような口調で宥められた。
不可抗力なのに、とちょっぴり唇を尖らせる。
「誰かを助けるのは、えらいことだけど……七羽ちゃんは、本当に幸せばかりな日々を過ごしていいと思う」
『いや、絶対に。これからは、幸せだけでいいんだよ』
「危険な身には遭ってほしくない。過保護だって鬱陶しく思われても構わないけど……何かあったら……俺も苦しい」
向き合った数斗さんは、両手で私の頬を包むと、そう懇願するように告げる。
「鬱陶しいなんて……思いませんよ。心配はありがたいです」
数斗さんの両手に、自分の両手を重ねた。
「でも、二駅先ですよ? そして、駅から徒歩で5分ほど」
「車だと25分以内に迎えに行けるよ?」
「往復で50分ですね」
「だから?」
「数斗さんは、新居で私を”いらっしゃい”って、迎え入れてください」
ムッと数斗さんの方が、むくれた。
「じゃあ……何も危険なことに巻き込まれないって、約束して?」
「約束しましょう。……不可抗力でも?」
「そう。破ったらー……俺の新居に監禁しちゃうから」
『全ての危険から守るために』
しぶしぶ諦めた数斗さんは、ムギュッと私を抱き締める。
………………冗談ですよね?
数斗さんが、本格的にヤバいヤンデレになるんじゃないかって、ヒヤリとした。
「料理なんですけど」
「ん?」
「ハヤシライスでもいいですか?」
「あ。七羽ちゃんの好物だね。俺も好き。ぜひ」
数斗さんは、全然仄暗い心の声は出さず、そして考えることもなく、ハヤシライスに気が逸れて、楽しみだとニコニコと上機嫌な笑みになる。
怒りが殺意の言葉に直結するように、ちょっと全てから守りたいという願望が監禁という発想に行ってしまっただけ。
うんうん。そう言い聞かせて、胸を撫で下ろした。
「……おおっ!」
「ん? どうしたの?」
数斗さんの車に乗った直後。
通知を知らせる携帯電話を確認すれば、メッセージアプリのグループルームで、真樹さんからの報告。
【もう一人の天使が恋人になってくれましたぁああ!!!】
朗報に、私は満面の笑みになって、数斗さんも顔を綻ばせて、私の頭を撫でた。
家に帰ったあと。
春香ちゃんからも、メッセージで報告が来たけど、不安げ。
【会ったその日に、付き合ってよかったんでしょうか!? まだお互い、よく知らないのに……】
【人それぞれだと思うよ。私も数斗さんと知り合って日が浅いけど、これからもっと知り合えばいいしね。私も数斗さんが初カレだから、役に立たないかもしれないけど、相談に乗るからね!】
励ましのメッセージを送っては、そのうち、知ることになるだろうからと、まだ私と数斗さんは交際お試し期間中だという話を伝えた。
ビビリな私のために、設けてもらった時間。
数斗さんのそばにいるという覚悟を決めるまで。
眠るまで、春香ちゃんとメッセージのやり取りをしては、翌朝、出勤した。
挨拶するなり、主任に午後も働いてくれないか、と言われてしまったが、用事があると断る。
代わりに、頼まれてしまったパートさんに、どんな用事? と世間話程度に話を振られたので、恋人の引っ越しを手伝うと正直に話した。
それで、この前、彼の家に行ったら、ストーカーな不法侵入者と遭遇してしまった事件を、笑い話として話す。
慄きながらも、パートさん達はおかしそうに笑い声を上げた。
仕事上がりに、ロッカールームで、髪をバレッタでしっかりとまとめ直す。髪ゴムで結んでいたことで、クルンとした癖がついた右サイドだけに、髪を垂らして。
猫足のモノトーンのジュエリーボックスの中から取り出したピアスをつけて、指輪をはめて、首からネックレスをぶら下げる。
仕事用のブラウスを脱いで、水色のマーブル模様のキャミソールを整えて、薄手の白いカーディガンに袖を通す。白いカーディガンは、初デート中に買ってもらったもの。
職場の外に出てから、バックに入れておいた香水を、上にシュッと吹きかけて、浴びる。お肉臭さを誤魔化す。
仕事が終わったと、メッセージを送って、駅へと歩いていくと、数斗さんから着信。
「もしもし?」
〔お疲れ様、七羽ちゃん。今、歩いてるところ?〕
「はい。駅へ、すぐに着きますよ」
〔そっか。午前中に届く物は全部届いて置いてもらったから、あとは三時すぎに届くソファーがあるだけ〕
「ソファー? 昨日の? もうですか?」
〔うん、昨日は午前中に買ったからね。即日で発送してくれたから、届くんだって。ベッドの方は、明日だけどね。それでね、お昼ご飯を忘れてたんだけど、食べに行こう? 駅まで、迎えに行く〕
何度だって、迎えに来たがる数斗さん。
そうきたか、と苦笑い。
「”いらっしゃい”って、出迎える約束ですよ?」
〔それって……中から、出向かないとだめ? 先にドアを開いて、中に招くとか〕
悩むけれど、でも、食事は必要だ。コンビニでテキトーに買って食べるには、新居の初食事にはいかがなものか。
「わかりました……。じゃあ、何食べましょう?」
〔わかった。改札口で待ってるね。じゃあ……もんじゃ焼きは、どうかな?〕
「いいですね!」
〔クスッ。決まりだね〕
私が折れれば、数斗さんは見事にその気にさせてくれて、電話越しに小さく笑って優しい声をかけてくれた。
数斗さんが新しく住む街の駅の付近の飲食店は、種類豊富。
その一つに、もんじゃ焼き店がある。歩くと10分くらいだけど。
さらに奥には、ボウリングが目玉のスポーツアミューズメント施設がある。若者のほとんどが、そこが目当てて、その街に来る。
「七羽ちゃんっ」
『嗚呼、好き。可愛い。俺のカノジョ』
電車に乗れば、すぐに到着。改札口から出れば、数斗さんにギュッと抱き締められたので、私も背中に腕を回して抱き締め返す。
「数斗さん」
「今日は無事? 何もなかった?」
「ええ、もちろんですよ。毎日災難に遭うだなんて思わないでください。だから、監禁はナシですよ」
「ふふっ、そうだね」
冗談めいて言ってやる。ちゃんと何もなかったのだから。
数斗さんは、ホッとして頭の上を撫でた。
「今日は全部まとめた髪型だね」
『うなじが見えて、可愛い……噛みたくなる』
「くすぐったいですっ。荷解きを手伝うので、髪は邪魔でしょ? ……変です?」
「ううん。顔もピアスもよく見えて、これもいいね」
数斗さんは舐めるように首筋を見つめては、人差し指で撫でてくるから、ちょっと震える。
か、数斗さん……狙いを定めるみたいに、見ないでください。
ゾクッとするので…………。
『食べちゃいたい』
……その、発言は、なんだか久しぶりに感じますね。
そういうことで、数斗さんと一緒に手を繋いで、もんじゃ焼き店へ歩いていく。
その道中で、真樹さんと春香ちゃんの話をした。
昨夜、居候先の家主の新一さんと電話のスピーカーで、改めて報告を受けたとか。
舞い上がっていたかと思えば、情緒不安定に不安がっては落ち込んでいたらしい。
そんな様子が目に見えてしまうから、ちょっぴり笑ってしまうけれど、本命童貞状態ならしょうがない。本命だってくらい本気になっていると言うのは、いいことなのかも。
メッセージのやり取りをした春香ちゃんも不安げだけど、相談に乗ると励ましたことだけを話した。
『二人は、会ったその日に、正式交際開始か……』
数斗さんが羨ましげな心の声を零したから、横目で盗み見る。
後ろ手でまたバックに触れたけれど、キュッと口を閉じた。
もんじゃ焼き店。
座敷席で向き合って座る。
どこまで荷解きをしたかを尋ねたけれど、家具や家電製品を運んでもらっただけで、もう午前は終わってしまったらしい。
そういうことで、ほぼ手付かず状態。
「じゃあ、どこから荷解きを始めます? 寝室で服とか?」
「んー、キッチンから済ませない?」
『明日辺り、七羽ちゃんにハヤシライスを作ってもらうために』
「ソファーが来たら、リビングを整えよう」
食べながら順番を決めて、昼食を済ませた。
会計は割り勘だと言ったけれど「また今度ね」とはぐらかされる。
レジで対応をしてくれる店員さんの前で、口論するわけにもいかず、むくれた。
その店員さんは、若い女性で、注文の際も対応してくれた人だ。
他の店員に頼み込んで、会計も担当させてもらったらしい。
数斗さんに一目惚れして、彼女の心の中は黄色い声を上げまくっている。かっこいいとか、素敵すぎるとか。
そして、レシートの下に、伝票の端っこに自分の連絡先を書いた紙切れを添えて、数斗さんに手渡した。
すぐに数斗さんは、それに気付く。
『……恋人と一緒にいるのに』
一瞬で機嫌が悪くなった数斗さんは、レシートごと、レシート不要箱に突っ込んで、私の肩を抱き寄せたまま、店をあとにした。
女性店員さんの乙女心が、粉々に砕け散った音が聞こえた気がする……。
「……数斗さん。また女性関係で、修羅場が起こっても知りませんよ?」
『! ……七羽ちゃん、見ちゃったのか』
隣で連絡先が渡されたことを私に知られて、数斗さんはバツが悪そうだ。
「それって、もっと優しくフッた方がいいってこと? 俺は嫌だな。不誠実じゃないか。恋人と寄り添っているのに、目の前で連絡先を渡すなんて……。それって、俺が恋人がいるのに、連絡を寄越すような軽い男だって思われてるんじゃないの?」
「あー……そういう人もいるかもしれませんけど、今の人はもう、私が見えてなかったんですよ、きっと。数斗さんが不誠実な軽い男だなんて」
「七羽ちゃんが見えなかった? なおさら優しさなんて、一ミリも見せるわけにはいかないね」
数斗さんが、不誠実な軽い男だって思うわけがない。
本当に彼女は、一目惚れで周りが見えていなかっただけのこと。アイドルを目の前にしたファンの如く。
「数斗さんは、誠実で、一途な、優しい男性だって、一目瞭然ですよ」
ちゃんと、言っておく。
誰が見ても、私が見ても、数斗さんはそういう男性だと思われるのだと。
数斗さんは眩しそうな眼差しで、私を優しく微笑んで見つめる。
「今の、妬いた?」
そう冗談で笑いかけた。
少し、考えてみる。
あの女性店員が数斗さんに一目惚れしては、なんとかして連絡先を渡そうとしていたことはわかっていたけれども……。
「数斗さんがそんな間もなく、連絡先を捨てたので……いいえ」
フルフルと、首を横に振る。
「妬いてほしかったですか?」
「んー……可愛くむくれてほしかったかな」
「こうですか?」
「ふふっ、そう、可愛い」
ムスッとした顔をわざと作れば、数斗さんは私の頬にキスをしたから、私も離れる前に数斗さんの頬にキスをし返した。
ちょっと驚く数斗さんに気付かないフリして、腕を組んで歩く。
『俺の方は、七羽ちゃん以外は見えないよ』
……知ってますよ。
数斗さんの新居。建てたばかりのマンションの三階。
セキュリティー強化のために、暗証番号キーと鍵で開けるドアとなっている。
……番号が、数斗さんと私の誕生日の日にちだ。
カチャリ、と開いた数斗さんは、先に足を踏み入れて、大きくドアを開く。
「いらっしゃい。七羽ちゃん」
優しく微笑んで、数斗さんは招き入れてくれる。
「お邪魔します。数斗さん」
私もちょっと照れくささを感じながらも、笑みを返した。
残り二話。
2023/10/24




