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56 二週間目は疲れを癒すハグを。



 初デート終了。

 たくさんの買い物袋を母に見られないように、慎重にコソコソと部屋に入る。同室者の妹もまだ部活から帰っていないので、そのうちに開封して、クローゼットに服をかけたり、タンスにしまった。

 ジュエリーボックスに、アクセサリーをしまって、化粧を落としてあったかいシャワーを頭から浴びる。

 ふぅ、と息を吐いて、夕飯も食べ終えたら、携帯電話をいじって、眠った。



 お試し期間の三週間目。

 月曜日は休みだったけれど、数斗さんは休めない仕事があると心底残念がる沈んだ声で電話越しに謝られた。

 そして、会いたいと、懇願するように呟かれる。


 明日には、交際を始めて、ちょうど二週間目となるのに。数斗さんはそう、落ち込んでいる。

 残念ながら、明日は、私は八時間勤務。休めないのだ。数斗さんは明日、休めるとのことだけれど。休みが合わない。

 数斗さんは、なんとか調節するから、次のデートは待って、と言われた。

 よほど、重要の接客が大変らしい。


 数斗さんも、電話のやり取りだけでお試し期間が過ぎるのは、焦っているだろうな……。

 私も延長を決めることが言えなくて……申し訳ない。



 翌日。八時間プラス15分の残業をした私は、スンッと鼻を啜った。

 【残業? 大丈夫? 終わったらメッセージをちょうだい】という数斗さんへのメッセージの返事を送る。

 いつもと違って、数斗さんは少し遅れて電話をかけた。


〔お疲れ様、七羽ちゃん〕

「はい。お疲れ様です」

〔……疲れた声だね。本当にお疲れ様〕

「あはは、ありがとうございます。スン」


 労ってもらえるのは嬉しいけれど、疲れ切っているとバレていることが不甲斐ない。


〔今、鼻啜った? 風邪、ぶり返した?〕

「あーいえ。ちょっと……寒かったので。鼻水が少し」


 苦く笑ってしまって「よいしょ」と、陸橋の階段に腰を下ろす。


〔寒かった? 冷蔵庫にいたの?〕

「ええ……ちょっと、長く冷蔵庫と冷凍庫にいまして……ううっ」

〔凍えた? 寒いの、苦手なのに……なんの作業だったの?〕

「明日の広告の商品を、すぐに出せるために、下準備をしてたんです。たくさんの冷凍食品が山積みで到着したので、パックに指定分を用意したら、冷凍庫に整理で積み上げてて……ふぅ。寒かったです」


 深く息を吐いた。


〔そうなんだ……。すごい疲れたんだね? 残業するほど、作業量が多かったんだ?〕

「いえ、それがぁ……品出ししたら、バックヤードに戻る寸前で、クレーマーに捕まっちゃってしまって……それで時間がかかってしまって……副主任に、遅いだなんて怒られちゃって……クスン」

〔……お疲れだ〕

「ええ……まぁ……」


 膝を抱えて、顎を乗せる。

 鼻を啜って、ぐったり。


〔歩いてるようには聞こえないけど……まだ外だよね?〕

「はい。陸橋の階段でちょっと休憩中です。愚痴を聞いてくださって、ありがとうございます」

〔んー、うん。いいんだけど、ね……〕


 なんだか、数斗さんは、歯切れが悪くなった。

 首を傾げてしまう。


〔ねぇ、七羽ちゃん。今から会いに行ってもいいかな?〕

「へっ?」

〔会いたいんだ。だめかな?〕


 数斗さんの声は、私を心配しているものだとわかる。

 会いたいのは、本心だろう。でも、一番は疲れ切った私が、心配で顔を見て、労いたいのだとわかる。


〔会いたいんだ……お願い〕


 数斗さんは、もう一度、頼む。切に願うような声。


〔今日は、交際始めて二週間目だしね。会いたいんだ〕

「はい。そうですね……。えっと……じゃあ、私。公園で待ってますね」

〔公園? こんな時間に?〕

「まだ明るいですよ」

〔でも、寒いでしょ?〕

「もう夏寸前です。ちょうどいい気温ですよ」

〔うん……ここからだと、あと30分近くかな。本当に公園で待つの?〕

「はい。真ん中に東屋があるって話したことがあるんですけど」

〔うん、覚えてるよ。遊具そばだったね。学生時代、そこでよく門限ギリギリまで友だちとお喋りしてたんでしょ?〕

「そうです。携帯電話をいじっていれば、30分なんてすぐですから」

〔……わかった。じゃあ、待っててね。好きだよ、七羽ちゃん〕

「私も好きです、数斗さん。待ってますね」


 決まりごとの”好き”を言い合って、電話を切った。


 腰を上げて、階段を登って、線路を超えて、階段を下りる。そのまま、街で一番大きな公園へ。

 もう花が咲いてないツツジの庭園を歩いて、遊具のあるスペースを横切って、東屋に到着。正直言って、ボロい。四角形で二角だけベンチがあって、残りの二角に壁はない。ベンチの方にも、座って肩までの高さしかなかった。

 公園の中がよく見えて、見晴らしはいい。冬は壁がないせいで、吹いてくる寒すぎるって、葵にくっ付いたものだ。



 ゆっくりと太陽が傾いて、薄暗くなってきた。

 タブレットで、新一さんが教えてくれたサイトを見直して、システムを理解しようと読んだ。

 約束した手前、ちゃんとこのサイトを通して、新一さんの依頼に応えないと。


 そこで、数斗さんから電話が来た。


〔着いたよ。どこかな?〕

「えっと、駐車場は……あ、今ライトを振りますね」

〔あ、見えたよ。暗くなっちゃね〕


 駐車場がある方に、タブレットのライトをつけて振れば、数斗さんは足早にやってくる。

 ひらひらーと手を振った。


「お疲れ様、七羽ちゃん」

「数斗さんも、お疲れ様です」


 数斗さんは私の頭を撫でると、隣に腰かける。

 手は離すことなく、また頭の上に戻っては、横まで撫で下ろす。

 薄暗い中で、じっと私の顔色を窺っている。


「こんなに暗いんだね。冬なんて、防寒にならないね」

「ええ、凍えましたよ」

「今は?」


 両手で私の両手を包むと、すりすりと親指で撫でて、温めようとしてくれた。


「もう大丈夫ですよ」

「そっか」

『冷たさはないね……よかった。また風邪を引いたら、可哀想だ』

「それで? どんなクレーマーだったの?」


 愚痴を聞いてくれるらしい。


「そんな愚痴を聞きに来たんですか?」

「違うよ? 七羽ちゃんに会いたくて来たんだ。ついでに愚痴も聞く。大変だったんでしょ? クレーマーの相手は、俺も大変で苦労してきたよ」


 苦笑をする数斗さんも、接客業なので、クレーマー対処をすることが多かったらしい。


「それがぁ……支離滅裂なおばちゃんでして……私が別部門の人を呼ぶって言っても、話してくれなくて……つらつらと文句を」

「別部門?」

「惣菜の商品の文句でした。すぐそばに、惣菜部門のバックヤードがあるのに、何度今呼びますって言っても、”あなたが聞きなさいよ”って」

「……運悪く、捕まっちゃったんだ」


 しょんぼりとした顔で、肯定として頷いた。

 数斗さんは労わるために、また頭を撫でてくれる。


「そのクレーマーに時間を奪われた分が、残業時間になってしまいました……。副主任に、”品出しだけでどうしてこんなに時間がかかるんだー”って怒られちゃって。事情を話しても、”惣菜部門の人を呼べばよかったでしょ”って。納得してくれなくて」

「酷いね?」

「はい……メンタル削られては、寒いところで作業するわで……へとへとですよ」


 副主任は、結構当たりが強かった。

 イケメンカレシがいるからって、調子に乗っちゃって。的なことを心の中で思って、半分八つ当たりしてきたのである。

 深く息を吐いてしまう。


「へとへとなのに、こんなところで引き留めてごめんね? 俺のワガママで」

「愚痴を聞いてもらってますよ」

「そうだけど……ここ、本当に大丈夫? 一人で待たせてごめんね?」

『よく怖がらないな……』

「大丈夫ですよ? 夜でも、ウォーキングコースには誰かしらジョギングとかしてますし、事件なんて全然聞いてませんよ。……あ、そういえば、先月末に火事があったとか」


 数斗さんに別に治安は悪くないと教えようとして、ふと思い出す。


「近所だったの?」

「はい。大通りの向こうに、明日行く美容室の五軒先の木造のアパートだって、母から聞きました」

「親しいんだったね。それは放火?」

「そうらしいです。明日、聞いてみます」

「……そう。髪を染めるんだっけ?」

「はい。黒が目立ってきたので」


 数斗さんは放火疑惑のある事件を少し気にしているけれど、美容室の話に移る。

 明日予約している美容室は、母も懇意にしている友だちだ。母の職場も近いので、世間話もよくしたりするとか。

 数斗さんは私の頭の上に手をやるけれど、この暗さでは見えないだろう。


「髪を切ったりしないの?」と、私の毛先を持って、尋ねた。


「はい。また来月には、切り揃えてもらおうかと」

「いつもこの長さ?」

『ストレートだと、こんなに長いんだな』

「高校の卒業式前に、ボブヘアーに。心機一転、なノリで。それから、伸ばして、この長さを気に入ってて。髪も巻きやすいですし」

「なるほど。……ボブヘアーの七羽ちゃんも、見たいな」

「……卒業写真しかないですね」

「本当に?」

『他に写真を撮ってない?』

「あと……履歴書? 絶対に見せません」

「ええー」

『見たいな。どんな七羽ちゃんも』


 数斗さんは駄々こねるような声を出すと、肩を竦める。

 そこで眉を上げたのが見えた。閃いたような表情。


「ねぇ。ハグがストレスを解消させるって聞いたことある?」

「……はい」

「じゃあ、俺のワガママで会ってもらったお礼に、ストレス解消させてあげる」


 ニッコニコな数斗さんは、両腕を広げて見せた。

 ワガママのお礼とは言うけれど、数斗さん自身が抱き締めたいんですよね。めちゃくちゃ喜んでますね。


「じゃあ……甘えます」と、頷いたら、数斗さんの心の声は、歓喜で舞い上がった。


 座っている私の膝の裏に腕を入れて、持ち上げたとかと思えば、数斗さんの膝の上に横向きに座らせられる。


「ひ、膝に乗せます?」と、狼狽えた。

 そんな私の肩を、自分の方に抱き寄せて両腕で抱き締める。


「うん。抱き締めやすい」

「お、重いのでは?」

「軽いよ? 七羽ちゃん、食が細いわけじゃないと思うのに、どうしてこんなに軽いの? ちゃんと三食食べてる?」

「いや、この身長としては、平均体重なんですけど……」

「おやつは?」

「お菓子が好きですもん」

「そうだったね。チョコもポテチも食べてるのに……」

『この軽さと、この細さは……何故だ』


 ほ、本当に、平均体重なんですけど。

 数斗さんが、またもや物凄く心配している。そんな深刻な謎みたいに考え込まなくても……。


「そうだ。お腹空いているよね。夕飯、食べに行く?」

『ここで抱き締めたままに二人きりもいいけど、夕食の時間だし、食べさせたいし』


 数斗さんはギュッとしたまま、提案してきた。


「ごめんなさい。母が用意してくれたというので、帰って食べないと」

「あー、そっか……」

『残念だな。俺が急に会いに来たわけだし、しょうがない。……こうやって、毎日会いたいな。でも、七羽ちゃんには負担だよね。疲れてるんだから。……お試し期間の時間も、まだ延長したいとも言ってくれないし……』


 頭の上に、すりっと頬擦りした数斗さんは、口にする声は残念がらないように気を付けていたけれど、心の声は本当に残念そうに沈んだ声。


「今日の夕ご飯は何?」

「なんでしょうか? それは、教えてもらってません。……ところで、数斗さん」

「ん?」


 首を傾げた数斗さんは、私は肩に頬を押し付けたまま、勇気を出すことにした。


「私、シチューが食べたいんですよね。寒い目に遭ったので」

「それは……あったかいものが食べたいってこと? やっぱり寒い?」

「いいえ。シチューはコーンクリームシチューが好物なんです。他は認めません」

「ふふっ、好物なんだね?」

「はい。とっても食べたくなりました」

『……つまり、なんだろう?』


 遠回りしてしまう私に、数斗さんは不思議がる。


「……数斗さんはどうでしょうか? コーンクリームシチュー」

『えっ? それは、つまり……?』

「明日作ろうと思うので、食べます?」

『七羽ちゃんの手料理!? 食べさせてもらえる!?』


 い、いや……手料理というほどのものでは……。食材切って煮込むだけですけど。


「市販のルーで作るだけなんですけど……数斗さんのキッチンで、料理したいなー……なんて」

「いいよ!」

『わっ、大きい声出してしまったっ』

「えっと、でも……七羽ちゃんは、明日午前は仕事で、午後は美容室だよね?」

『俺は仕事だし……』


 かなり力んだ声を出した数斗さんは、誤魔化すように確認した。


「美容室は大体二時間で……数斗さんの家へ電車で向かって、作れば、数斗さんの帰宅に間に合うと思うんですけど」

『七羽ちゃんが夕食を作って出迎えてくれるってこと??? え? 幸せか??? 俺明日、誕生日だっけ?』


 数斗さんは、幸せな時は誕生日だって思うのはなんでしょう。よほど幸せな誕生日を過ごしたのかしら……。


「いや、でも……俺が迎えに行くよ?」

「仕事ですよね? 一時間ぐらいは、かかるじゃないですか。電車で行きます」


 しょぼん、とする数斗さん。一人で電車に乗ってほしくない過保護な気持ちで、迷う。

 移動時間は計二時間なのだから、短い時間で済む電車移動がいい。


「合鍵を貸してくれます? だめですか?」

『合鍵……!』


 合鍵と聞くなり、コロッと数斗さんは、気持ちを変えた。


「いいよ。じゃあ、キッチン、好きに使っていいから」

『七羽ちゃんに合鍵。そのまま、合鍵をあげよう』


 数斗さんの心の声は、ルンルンと弾んでいる。


 ……合鍵を渡されたら最後。何かと理由をつけて、持たせ続ける気だ。


 バックから数斗さんは、キーケースを取り出した。


「そういえば、数斗さんは車の鍵と家の鍵を、別々のキーケースにしまってますね」

「ん? うん。ジャラジャラするのは、あんまり好きじゃなくて」


 数斗さんの車の鍵は、一つ用のキーケースがついてるだけ。ケースから押し出す形で、差し込んでいる。

 家の鍵は、また違うキーケース。合鍵は、バックの奥にまた別のキーケース。ジッパーを開けば、三つの鍵。


 数斗さんは、本当にシンプルを好むんだな、としみじみ。


「三つ?」

「車と家、それから実家の」

「あー、なるほど」


 数斗さんはその三つの内、一つを外して、私の手に乗せた。ただの鍵の一つ。


「ええっと……失くさないように、私の鍵のキーホルダーにつけてもいいですか?」と許可を求める。


「いいよ」と数斗さんは許可を出しながら『うん。ずっとつけてて』とニッコニコな笑顔だった。


「食材は買っておこうか?」

「いえ、私がそっちの駅ビルのスーパーで買っておきます」

「んー……でも、鶏肉は買っておくよ。冷蔵庫の一番上に入れておくね。……気を付けてね? 電車」

「大丈夫ですよ」


 過保護だと苦笑を零す。

 それから背中に腕を回して、ギュッと数斗さんに抱き締め返した。


「すごくストレスが解消出来ました。ありがとうございます」

「ん。よかった……」

『可愛い……。好き……好きだよ。君が癒せるなら、いくらでも抱き締めてあげるから』


 数斗さんも、ギュッとしてくれる。

 そして、ちゅっと頬にキスをしてきた。


 隙あらば、キスか。うーん。苦笑い。


 本当にストレスが解消されて、私は心地いい気持ちに浸って、数斗さんのほんのりとするフローラルな香水の匂いを吸い込んだ。

 それから、ホッと息を吐いて、少しの間だけ、瞼を閉じた。


 ……明日は、数斗さんとシチューを食べながら、話そう。

 お試し期間について。



 

2023/10/17

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