38 他には媚びない可愛い猫だった。(数斗視点)
数斗視点。
七羽ちゃんが、バックを漁る。携帯電話を探しているらしい。
「てか、七羽ちゃん。一万出すのはおかしくない? 出しすぎだよ……」
「え? あ……他のお札なくて……。別にいいです。手切れ金ですぅ」
真樹の言う通り、七羽ちゃんは一万札を出したのは、出しすぎ。
俺達全員で朝までお酒を飲んでいれば、それくらいの額は超えるだろうけれど、三人だけなら多すぎる額だ。
七羽ちゃんはげんなりした顔をしては、唇を尖らせて不貞腐れた。
「どこで歌い直します?」
「あ。じゃあ、この前予定していた店に行こう」
代わりの店を探そうと、携帯電話で検索しようとした七羽ちゃんを止めるために手首を掴んで、下ろさせる。
七羽ちゃんは、キョトンと目を瞬く。
「この前は昼間だったから、抵抗はないと思ったんだけどさ……ホテルに連れて行ってもいい?」
七羽ちゃんの大きな目が見開かれた。
「今の話のあとだと、抵抗感あっても無理ないだろうけれど…………カラオケ専用の娯楽ルームがあって、そこが綺麗でね。俺が働いているホテルじゃなくて、父の会社と連携しているホテルで新しく設備した部屋なんだって。でも…………んー、そうだな。やっぱり、普通のカラオケ店にしておこうか」
ラブホではなく、通常のホテルでも、宿泊のための場所だ。ベッドがある。
日中ならまだ抵抗ないだろうと思っていたけれど、こんな夜に、しかも朝までなんて。
酷い下心を抱えた男にラブホでお酒を飲まされたことが発覚したあと。
提案するなんて、どうかしているな。
ツン。
七羽ちゃんが俺のジャケットの裾を両手で摘まんだ。
「……信じちゃ、だめですか?」
小首を傾げて上目遣いで尋ねてきた七羽ちゃんに、ズドンと胸を撃ち抜かれた。
フラッとしかけたけれど、胸を押さえながら、堪え切る。
七羽ちゃんのその両手を取って、両手で握った。
「七羽ちゃん。正直に答えてほしい」
「は、はい?」
「あの先輩にも、こんな仕草したことある?」
「はい? あの人には近付きもしませんよ?」
意味わからないってレベルで困惑した表情の七羽ちゃんを見て、安堵が押し寄せる。
なんであの男、こんなにも七羽ちゃんに線を引かれているのに、淡い期待なんて抱いたのやら。
「よし、じゃあ今後は誰にもしないように気を付けてね?」
七羽ちゃんの仕草が、男の心を鷲掴みにするモテ仕草で困る。
「……数斗さん、だけですもん」
「――――……」
顔を伏せた七羽ちゃんが、か細い声で、そう言った。
またもや、ズドンと胸を撃ち抜かれた俺は、顔が真っ赤になったのだろう。
「おい。ナナハネ。今日ちゃんと気を付けるって言ったよな? 危機感もちゃんと持っておけって」
ポン、と新一が七羽ちゃんの頭の上に手を置いた。
なんで? なんで七羽ちゃんの頭に手を置くの?
「油断禁物だって。信じてくれるのは、嬉しいけどさ」
真樹も、釘をさすみたいに注意した。
「え? ホテルって、女性一人と男性複数の場合って、厳しいとか断られるって、そのお酒の時のラブホに行く際に調べて知りましたけど……何か対策とかあるから、提案したんじゃないですか?」
新一の手に頭をぐりぐりと揺らされている七羽ちゃんは、間違いが起きない対策があると思ったらしい。それも含めて、信じると。
「あ、うん。カップルと男性の友人が複数って場合だと、呼び出しブザーを女性に持たせたり、不定期に従業員が確認しに中を覗いたり、なんなら承諾を得て監視カメラも置くとか……」
「徹底な対策があるじゃないですか」
うん、まぁ、犯罪阻止のためにも必要だからね。ホテル側も客の要望に応えつつも、気を張っているんだ。
対策はあるけれども。問題は、七羽ちゃんの気持ちなんだ。
「行きませんか? 私は大丈夫ですよ。部屋写真とかあります?」
ケロッと答える七羽ちゃんは、興味津々のようだ。検索しようとするから、俺はまた手首を掴んで止めた。
新一と真樹とも目を合わせて、仕方なさそうに肩を竦めて、七羽ちゃんを連れて行くことにする。
「車の中で見せるよ。とりあえず、部屋が空いているかどうかだ。確認する」
七羽ちゃんの髪をひと撫でして、車へ促す。
電話しながら、七羽ちゃんにその部屋の情報が載ったサイトのページを、タブレットを渡して見せた。
幸い、狙っていたカラオケルームは空いていたので、今から行くと予約する。
利用者についても話しておいて、監視カメラも予め設置してくれていいと頼んだ。
「とても綺麗ですね! それにしても、数斗さんってタブレット持っていたんですか。部屋になかったので、持っているとは思いませんでした」
「あ、うん。七羽ちゃんの見ていたら、欲しくなったんだ」
電話予約を済ませると、気に入った七羽ちゃんがタブレットについて問うから応えると、目が飛び出しそうなほど驚いた顔をした。
おっと。新型ゲーム機の時と同じく、叱られるかな。
「それにしても、七羽ちゃん。真樹とあの先輩のこと、気にしてたように見えたけれど……わかったの? 追いかけるみたいに出て行っちゃったけれど、予感でもしたの? トラブルが起きるって」
七羽ちゃんは悪意に敏感だと自分で言っているし、実際そうだとわかる。他人の感情に気を張っているとはいえ、真樹とあの男が話している最中も胸騒ぎでもしていたみたいに気が散っていた。
車を動かし始めた俺は、タブレットの画面を見つめている七羽ちゃんを、ちらりと横目で見る。
額に手をやって、それを下げていき、耳に髪をかけ直しては、ハート型のピアスを摘まむ。
ペリドットのそれを、こねるようにいじったあと。
「――――私は、心が読めるんです」
親指と人差し指を伸ばした手を、顎の下に添えたポーズをして、明るく笑った七羽ちゃん。
まぁ、そんな感じだよね。七羽ちゃんの他人の感情を敏感に感じ取るのは、最早、超能力のレベルなのかもしれない。
「だけど。祥子があんな風に思っているだなんて、気付きませんでしたよ……。確かに、高校の時の男友だちのことは、やけにしつこく問い詰めてきて、何度否定しても納得していない様子だったとは思ってたんですけど……。それが、ここまで膨れ上がって問題なるとは……あんな酷い思い込みを何年もしていたなんて、びっくりです」
七羽ちゃんは、うんざりした様子でこめかみを押さえて、背凭れにぐったりと身を預けた。
「ホント、とんでもない思い込みだよね。ごめんね、七羽ちゃん。葵ちゃんに七羽ちゃんの学生時代の様子を、勝手に聞き出しちゃったんだけど」
チラッと見て謝ると、七羽ちゃんは目をパチクリさせて俺を見る。
「七羽ちゃんが中学の時は、休み時間は机に突っ伏して寝てて、一人が好きなのかと思ってたって。それで、あの悪友が、クールな雰囲気だったって言ってんだよね。またあの悪友が勘違いしたと思うけれど……七羽ちゃんとしては、どうだったの? その頃の、自分」
過去の家庭問題をいつまで思い悩んで苦しんでいたのか、詳細は知らないけれど、少なくとも、学生時代はまだ立ち直れていなかったはず。
どうなんだろうか。
「クール? 私がですか? クールぅ?」
七羽ちゃんが心底わからないみたいな声を出すから、やっぱりあの悪友の勘違いだろう。目が節穴なのかな。七羽ちゃんの何を見ていたのやら。
「自分としては、大人しい? 暗い? 陰キャ? ってだけで、そんなつもりはないんですけど……。休み時間だけじゃなくて、なんなら、授業中も頬杖をついてうたた寝もしてましたよ」
「寝すぎ!?」
「夜更かしでもしてたのか? ゲームか?」
授業中も寝てたんだ……。
真面目じゃなかったことに驚きつつも、どうしてそんなに寝ていたのか、後部座席の真樹と新一も問う。
「あー、ええっと……まぁ、寝つきが悪かったというか、寝たい盛りというか……」
「「「…………」」」
寝たい盛り。
それを聞いて、つい、寝る子は育つ、の言葉を思い出した。
でも、七羽ちゃんは小柄だ。平均よりも、かなり身長が……。
同じことを思ったであろう二人と一緒に、変に沈黙してしまった。
「……わかってますよ! 寝ても育ちませんでしたよ! もうっ!!」
七羽ちゃんが、拗ねた声を上げる。
「えっと、やっぱり、家庭がごたごたしている最中で、ストレスとかで眠れなかったのかな?」
「……」
七羽ちゃんから返事がないから、横目で確認すると、口を開いても言葉を詰まらせているように見えた。
話しづらいことなのか。
手を伸ばして、七羽ちゃんをあやすように、肩を撫でる。
「……叔母の家で、まだ居候していたので……確かにごたごたしてた最中でしたね。どこでも寝れても、一番寝付きがよかったのは、教室の窓際の日の当たる席でした」
”まだ居候”。
その言葉が、全てを物語った気がした。
七羽ちゃんには、居場所がなかったんだ。
家のどこにも……。
自分を嫌う継父。自分を中心に起こる家庭内の不調和。
預けられた先は、一時凌ぎの居候場所。
七羽ちゃんが、友だちの家に転がり込むのが好きだったのは、それが理由だったんじゃないのか。
七羽ちゃんには、どこにも居場所がないから、少しでも居心地がいいところへ、足を運んでいたのかもしれない。
「他には何を聞きました?」
また七羽ちゃんの肩を撫でようと伸ばした手を、七羽ちゃんが掴むと握ってくれた。
話を続きのために質問するその声は、なんだか、俺を気遣うような、そんな声音に聞こえたのは何故だろう。
胸が痛んだことに気付いたみたいに、俺の指先をギュッと握り締めて、宥めている気がしてしまったせいか。
七羽ちゃんは。本当に心を読んでいるような。
そんな気がしてしまった。
それなら、言ってほしい。
君が探し求めた居心地のいい居場所は、きっと俺の元だって…………なんて。
七羽ちゃんに自分の家に通い詰めてもらいたい願望は、七羽ちゃんの居場所にしたい願望に変わった。
「あー、うん。高校に入ってから、何故か懐かれたって葵ちゃんが笑ってたよ」
七羽ちゃんは、猫好きだけど、七羽ちゃん自身が猫みたいだね。
心を許した相手に、べったりと甘える。
ふらりと、気の向くままに、歩き回ってしまうけれど……。
そのまま、姿を消していなくならないでほしい。
そう切実に願い、七羽ちゃんの指先を握り締め返した。
「葵ちゃんの方はいい子だけど、理由とかあるの? 中学は同じ部でも、親しくならなかったのに、高校に入ってからって……」
「理由ですか? 一緒にいて、楽しいと気付いたから? サバッとした性格で、裏表がないというか……懐いた笑顔がキュートだからですかね」
いや。懐いた七羽ちゃんの笑顔の方が、キュートだって思うし、葵ちゃんにも思われてるはずだよ。
後ろから、真樹のうむうむと言う頷きが聞こえた。
葵ちゃんが、居心地のいい友だちだと気付いて、べったりと懐いたわけだ。
それで、おまけのあんな先輩がついてきても、葵ちゃんの恋人だから許容していたのか。
「そんな子が、なんであんなアホな先輩と付き合ってるの?」
なんて、真樹が訊いちゃった。
確かに気になるけども、大事な友だちの恋愛事情を話すかな……?
「ぶっちゃけ、私もなんで好きなのかなー、とは思いましたが。先輩が猛アプローチでオッケーして付き合い始めたんですよ」
サクッと答えた七羽ちゃん。
ぶっちゃけ、あの男のよさは、七羽ちゃんにはわからないらしい。
「でも、アオが尻に敷いているので……。私がアオの交際に口出しをしないように、アオも例の他校の男友だちと遊んでても、”新しい友だちなのか、へぇー”、って軽い反応だけでした。ベタベタはしますが、程よい距離感を保っている友だちです」
「……なるほど」
葵ちゃんとは、そういう関係か。
いや、多分。七羽ちゃんは、そういう関係にしてきたのかもしれない。
自分の家庭問題を抱えて隠して、友だちとは明るく笑って過ごしてきた。
もしかしたら、あの悪友の困ったリアクションを見て、そうすることにしたのかも。
……俺達には話してくれて、本当によかった。
「その男友だちとはニコニコしてたって、あの悪友は喚いてたよな? クラスの男子生徒と、差が激しかったのか? それも、あの悪友の思い込みか何かか?」
と、新一が質問する。
「あ! あのアホな先輩が言ってたよ? 七羽ちゃん、高校ではつれない態度だったって。クラスメイトの男子ともあまり話さないけど、その男友だちと校門前で楽しくお喋りしてたから、七羽ちゃん狙ってた奴が失恋したって」
んんッ? なんだって!?
七羽ちゃん狙いって、誰!?
「七羽ちゃん、やっぱ、モテてたって。つれない態度でも、可愛いから」
「はい!? なんですか、その話? 知りませんけど!?」
衝撃を受けたのは俺だけじゃなく、本人の七羽ちゃんもだった。
後ろを身体を捻ってまで振り返って、シートベルトが締まって、ちょっと呻く動揺っぷり。
「誰のことです?」
「そこまでは……。でも、モテてたのは、確かっしょ。男はそんな嘘はつかないから。マジで自覚ないの? 七羽ちゃん。視線とか、感じなかった? アプローチもなし?」
「……覚えがないです」
確かに女性の方は大袈裟に言うだろうけれど、男の方はそういう嘘はつかないだろう。
事実、七羽ちゃんは、モテていた。
しかし、本人に自覚はなし。
七羽ちゃんは刹那思い出そうとはしたが、記憶にないと首を振る。
「おい。他人の感情に敏感だったんじゃないのか? そこだけ鈍感だったのか? 高校時代は、好意に反応するセンサーはオフ?」
呆れた声を出す新一。
七羽ちゃんが困り顔で首を捻る様子が、チラリと見えた。
「やけに話しかけてくるクラスの男子とか、いなかったの?」
「いや、普通に必要最低限しか…………あっ!」
真樹の問いに答えたあと、七羽ちゃんは何かに気付いたのか、声を上げるとあんぐり開けた口を両手で押さえる。
「え、何っ?」と焦った声で聞き出す。
「……私、ずっとイヤホンで、音楽聴いてました……」
「ん……?」
……音楽を、聴いてた? それが?
「休み時間に読みたい本があれば、イヤホンを耳に突っ込んで誰も邪魔するなオーラで、読んでましたし……登下校も、教室の出入りの時に、音楽をガンガン聴いてました」
「あ〜……」「あっ、あぁ〜……」
俺も真樹も、察した。
高校生の七羽ちゃんに、アプローチをする隙が皆無だったんだ。可愛い顔に惹かれても、近付けなかった。
媚びない猫状態だったんだ。
「挨拶してきた強者はいなかったのか?」
「……一人、手を振って笑いかけてるみたいだったので、一回イヤホンを外してみれば、朝の挨拶をされました……」
「「「ソイツだ」」」
七羽ちゃんに想いを寄せていたクラスメイト、発覚。
誰だ。どういう奴なんだ。どこまで親しくなったんだ。
「なんで挨拶されたのか、疑問だったんですけど、おはよって返したのは、その一回限りでした。…………名前、なんだっけ……」
…………付け入る隙がなかった七羽ちゃんに、アプローチした猛者で、幸運にも挨拶を一回だけ返してもらったけれども。
名前を忘れられている。
七羽ちゃんは額に手を当てて記憶を掘り返そうとしているけれど、呻くだけで、一向に名前らしき名前すら出てこなかった。
「ナナハネ……お前、同級生の名前を覚えてやらなかったのかよ……」
「…………新一さんこそ! 中学と高校の女子の同級生の名前を覚えてます!?」
「うっ!」
呆れ果てた新一に、七羽ちゃんは反撃。
新一の性格上、予想が出来たようで、見事なブーメランだった。
俺も真樹もじわじわときてしまい、クスクスと笑い出しては、あとからツボに入ってしまい、大笑いしてしまう。
不思議だな。
トラブルが起きたあとでも。
俺達だけになると、おかしくて笑って、空気は明るくなるんだ。
七羽ちゃんにとって、もう。
俺達の元は、居心地のいい居場所だって。
思ってくれているはずだと、自惚れてもいいよね。
さらりと告白。でも、気付かれない。
次回、七羽ちゃん視点に戻ります。
(2023/09/25)