03 ハイスペックな彼と修羅場。
私の恋愛経験、か。
振り返ると、笑ってしまう。
「ふふっ」
「え? なんで笑ったの、今」
『可愛いけど、なんだろ……?』
「いえ……数斗さんの今カノに似てるかもしれないなぁー、と思っちゃいました。昔は、好き好きアタックしてました」
「好き好きアタック?」
『何それ。七羽ちゃんにならされたい』
ええー……今カノと私の違いはなんだろうか……。
絶対に、美人な肉食系女子でしょ。
数斗さんほどのハイスペックイケメンに、ずっとアプローチしては恋人の座を得たんだから、相当な自信家の美人だと予想が出来るのに……。
なんで、私なのやら……。
一目惚れって、本当に? そんな、まさか……。
「小学生の頃から、クラスのイケメンにアタックをしてはフラれ、中学でも、イケメン生徒会長に当たって砕けました」
「イケメンって……面食いなんだ?」
『顔がいいって言われる俺には、靡いた様子ないのに?』
「はい、面食いですね。でも、好きになる人は、クラスの人気者、中心人物になるようなイケメンでした。アイドルみたいな? 好き好きって言ってても、ただの憧れによる、恋に恋していただけ……なんて、思うんです」
面食いは認める。
でも、単なる憧れにしかすぎなかったのだと思う。
「告白するだけで満足している節があったと思うんですよね……。例え、オッケーが出ても、長続きしなかったと。そういうことで、高校は恋愛らしい恋愛はしなかったですね。これからも、まぁ……当分は付き合わない、かと」
俯いて、プラプラとブーツを履いた足を揺らす。
情けない恋愛経歴を明かして、今は本当に誰かと付き合う気はないって、釘をさすみたいに言っておく。
「……七羽ちゃんは、逆に告白されたことないの?」
「えっ? あ、はい……」
変な質問に、つい顔を上げてしまう。
数斗さんがじっと見ていたので、ドキりとする。
「じゃあ、初めて告白されたら……考えが変わるかもしれないよ?」
熱っぽく見つめる数斗さん。
『俺がその気にしてみせる』
心の声が、宣戦布告みたいに、強く響く。
カァア。
頬が熱くなったのを感じたら、数斗さんが目を丸めた。
目に見えて、私の顔が、真っ赤になってしまったようだ。
『あ……押せば、いける?』
「話が変わりますが! 大学卒業したんですよね? どこかに就職したのですか!?」
『……逸らされちゃった……。でも、脈がないわけじゃないから、チャンスはあるな。しっかり別れてから、じっくり口説き落とそう』
ひいっ!
ど、どど、どうしよう!
すっかりロックオンされちゃってるよ!
『まだほっぺた赤い。可愛い。可愛いなぁ』
「俺は……ホテルの経営者になるために、大学に通いながら、従業員で下積みしてて、副支配人になったところ」
「ホテルの副支配人? 詳しくないですけど、その歳だと、早い出世では?」
「うん、そうだよ。すごいでしょ?」
「おお! すごいですね!」
お茶目に笑って見せるから、素直にパチパチと手を叩いてみせる。
『まぁ、そのホテルの経営会社の御曹司だってことが、手伝ってるからだろうけど……。何も知らずに褒めてくれると嬉しいな。俺は普通に真面目に働いただけだから、こういう素直な反応もいい』
んッ!?
お、ん、ぞ、う、し!?
この人! 御曹司!?
『御曹司だって言ったら、七羽ちゃん、どんな反応するかな…………今度会ったら、話してみよう』
いや、もう、聞いちゃいましたっ……!
こういう秘密を勝手に知ってしまうから、この能力はよくないと思う。
ううっ!
ますますこの人といるのが、いたたまれないッ!
ハイスペックイケメン……!!
「そんな七羽ちゃんは、どんな仕事?」
「あー、と。さっきフリーターとは言ったのですが、今はパートさんって言った方が正しいかもしれません。スーパーの裏方でパートしてます」
「スーパーの裏方? 食材とかを出す作業?」
「はい。惣菜と精肉と経験させてもらったのですが、惣菜の油の匂いには耐えきれず、精肉部門でお肉を詰めるお仕事にしてもらいました!」
にへら、と笑って見せる。
「お肉を詰める……なるほど。そういうのがしたかったの?」
「いえいえ。高卒後のハロワで、家の近くのスーパーが募集してたので、選んだだけですよ。他にも、鮮魚と業務っていう部門があったのですが……生魚は苦手で、業務もペットボトルなどの品出し作業もあって、体力的に無理で……消去法でお肉詰め作業になりました」
「そうなんだ、裏方も体力仕事が必要にはなるよね。お肉詰めってなると、生肉をパックに?」
「はい。私は鶏肉とあとひき肉を詰める作業を任されてます。鶏肉をから揚げサイズに切ったり、あと、ひき肉機でミンチにしたのをパックに詰めたり」
「へえ。すごそうだね、それもまた体力必要そうだけど、大丈夫?」
「えへへ……正直、へとへとです……。作業場が狭すぎて、人が入らないからと人員増やせないまま、一人一人の作業量だけが増えて、時間いっぱいいっぱいで……ちょっとブラック気味だと思って……」
手がかさつくから、いつも念入りにハンドクリームを塗っている自分の手を、ついつい上げて見てしまった。
そして、我に返る。
また愚痴を零しているっ!
しかも、くだらない話を長々としてしまった……!
面白くないのに!
「手、小さいね」『可愛い、小さい』
謝ろうとしたら、私の手に数斗さんの手が触れて、スッと指先で撫でられた。
「わあ……数斗さんの手は、綺麗ですね……」
つい、長い指先に見惚れる。
軽く、人差し指を摘まむ。
「私は生肉を触る作業をするので、やっぱりネイルとか出来ないんですけど……」
「……好きなんだ? ネイル」
「気分が上がるので、休みが続く時は、明るい色を塗ったりします」
「何色が好きなの?」
「赤とオレンジが一番ですね。んっ!」
まじまじと観察している間に、指と指が絡んでいた。
指の付け根を滑り込んだ指先に、びくっと身体が震えてしまう。
「ごめん、痛かった?」
「ぃえっ……す、すみません、触りすぎました」
「……別にいいのに」
『もっと触りたかったな……。いやらしかったかな? ほっぺた、また赤い。声、裏返ったし。可愛いなぁ……もっとそんな顔をさせたいな』
いやらしかったですね!?
私が触りすぎたせいの事故ですけど!
「な、なんか、数斗さん達には、愚痴ばかり聞いてもらいっぱなしですね」
「俺もお返しに、聞いてもらったけど?」
私の方が多いかと。
そう言うと、またお返しと評して、一緒にいる理由を作るかもしれないので、黙っておこう。
「そういえばさ、今日は友だちとどんな休みを過ごす予定だったの?」
「え? ああ……映画、観る予定でした。今話題の映画です。アクションで、面白そうって前に話したので、一緒に観ようってことになって」
「あー。俺も観たいな、それ。七羽ちゃんの次の休みの日にでも観に行かない? 愚痴を聞いたお返しだと思ってさ」
ンンッ!?
数斗さんの方から、愚痴のお返しを口実に、映画に誘われてしまった……! 回避失敗!
「いや、でも……休みが合うとは限りませんし、その頃には上映が終わっているかも」
「大丈夫だよ、次の休みを教えて?」
『その日に、有給休暇をとればいい』
に、逃げられない、だと……!?
数斗さんの方が合わせるのかぁ……。ほ、本気すぎる……!
「でも! まだ恋人さんがいる人と、映画に行くのはちょっと……!」
『ああ、そうだった……邪魔だな、ホント』
恋人がいること、忘れている! この人!
かなり冷たい心の声だったので、ドキッとしてしまった。怖いっ。
「俺の気持ちは決まってるよ。別れるってね。その結果報告をついでに、会って聞いてくれないかな?」
『きっぱりアレと別れたら、思う存分、口説ける。押せば行けそうだし、絶対に諦めない』
ついに、恋人をアレ呼ばわり……!? 相手に気持ちがないとはいえ、すごいな……!
ますます、わからなくなってきた。
なんでここまで私を……!?
イケメンだし、優しいし、大学卒の御曹司だよ!? ハイスペック!
そんな彼が、どうしてちんちくりんのフリーターに!?
「で、でもっ! その! その時まだ別れていないと、数斗さんが不誠実みたいじゃないですか! だから、今日のお礼をかねて、真樹さんや新一さんも一緒に観ませんか!? 映画代は私がおごります!」
引き下がってもらえないなら、代案を出す。
本当にお礼をしたいので、そうしよう。
目を丸めた数斗さんを見ながら、降りる駅に着いたので、私は席を立ち上がる。
『俺は別にアレにどう思われてもいいけど……七羽ちゃんに、不誠実な人だとは思われたくないな。そうしようか……』
数斗さんも腰を上げて、一緒に電車から降りた。
「あ、二人の都合は合いますかね……?」
「んー……どうだったかな。俺から聞いてみるよ。明日の夜に飲む約束しているし」
「わかりました。じゃあ、今週の金曜日、無理だったら、来週の月曜日で」
「うん。覚えた。……んー、じゃあ、ここまでだね。気をつけて帰ってね、七羽ちゃん」
『流石に、これ以上は送れないなぁ、残念。さっきのナンパもいなかったし、大丈夫だろう。……寂しいな。次の金曜日……二人が無理でも、何か理由をつけて会ってもらおう』
「ありがとうございました。数斗さんも気を付けて」
「ありがとう。またね」
『可愛いなぁ』
ひらひらと手を振って、改札口を出て、またお別れに手を振って歩き去る。
あのナンパが降りていないことまで確認してくれたのか。
安心して帰ることが出来る。
いつものように、イヤホンを耳にはめて、音楽を流す。
こうやっても心の声は聞こえてしまうのだけれど、音楽に集中すれば、だいぶマシになる。
一点に集中すれば、雑音のように聞き流せるから。
さっきみたいに、隣にいた数斗さんの声に集中すれば、他の乗客の心の声も気にならなかった。
……優しい声だったな。
なんであんないい人が、私なんて……。
本当に意味わからないけれど、とりあえず、検索してしまった。
竜ヶ崎とホテル。
それだけで、ホテル経営会社の社長の名前が、竜ヶ崎だということが表示されていた。
私は超有名ホテルの名前しか知らなかったけれど、この会社が統括するホテルは、県内でも多くて、ホテル業界では中堅位置よりちょっと上って感じらしい。
その社長の息子が、数斗さんなのだろう……。
高嶺の花……。
こういう人のアプローチを回避する方法は、なんだろうか。
誰かに相談しても……嫌味にしか聞こえないのだろうなぁ。自慢か、って。
だめだ。憂鬱だな……。
はぁ、と大きくため息をついた。
今日だけは、ゆっくりと休もう。そして、明日は張り切って、仕事をこなす。
そう決めて、家に帰ってきて、部屋着に着替えれば、メッセージが届いた。
【無事に帰れた?】
数斗さんからのメッセージ。
無事に帰れた、と返事をする。
その後のメッセージは、スルーすれば、気がないと引き下がってくれるかもしれないとは過ったけれど。
無視をするなんて、良心が許してくれず、返答をしてしまう。
一応、先回りをして、真樹さんと新一さんにも、映画の件をメッセージで伝えた。
お礼なんていいのに、とは返されたけれど、二人とも興味のあった映画だということで、賛成してくれて金曜日に予定が立てられる。
それから、それとなくメッセージのやり取りを、数斗さんと続けた。
今仕事が終わった、そっちは?
終わりました。お疲れ様です。
お疲れ様。
そんな些細なやり取りが、ほぼ毎日。
そして、金曜日が来た。
私達が、初めて会った駅ビルの目立つ待ち合わせ場所。
昨夜、真樹さんから、一時間早くしようって、急遽変更のメッセージが来たから、ちょっとギリギリになっての到着。
普段なら、五分前到着が当たり前なんだけど……。
あれ? 彼らの姿が見えないな……。
大人になってから、初めて男友だちと遊ぶ。
どんな服装がいいのか、ちょっと迷って考え込んだけれど、好きな服でお洒落しようってことに決めた。
黒のスキニーと黒いタンクトップと大きくて白い網ニットを合わせた服。髪はハーフアップで、あとは軽く巻いた髪型。
ドキドキだなぁ。こういう新しい交友関係に、浮かれてしまっていた。
「あなたが、ナナハ?」
呼ばれたから振り返れば、ほんのりピンクのベージュの髪をふわふわにカールさせた美女が睨み付けてきた。
ピンクの口紅が目立つ化粧。目の前にいなくても、香水がツンと鼻を刺激する。派手な女性だ。
胸の谷間を見せ付けるVネックのシャツと短パンと厚底のサンダルブーツ。
『こんなちんちくりんのせいで、数斗がアタシをフったわけ!?』
怒った心の声を聞いて、顔が引きつった。
まさか! 数斗さんの元カノ!?
『数斗、まさか、ロリコンの気が!?』
あぁっ! 数斗さんに、あらぬ誤解がっ!
でも心の声に反応して誤解をとくなんて、変だから出来ない!
「数斗をどうやって誘惑したかわからないけど!」
ギロリと私を見下ろして、チビだのブスだの、心の中で貶してきて、彼女は言い放つ。
「他人の恋人を盗らないでくれる!? このブスな泥棒猫! 庇護欲でも利用して取り入ったの!? 性格の悪さは、すぐにバレるわよ!」
しゅ、修羅場っ……! 泥棒猫言われた……!!
盗ってないのに! 泥棒猫と!
修羅場!!!
彼女が周囲の目を気にしないものだから、声を聞いた人達が好奇な視線を向けてくる。
彼女の罵倒もそうだけど、周囲の面白がる声も、チクチク刺さるし、気分が悪くなってきた。
真正面から直接ぶつけられる怒りに、萎縮するしかない。
「何? か弱いフリして! それで優しい数斗につけ込んだ!?」
『やべっ!!』「おい! 坂田! やめろよ!!」
そこに駆け付けてきたのは、真樹さんだ。
坂田と呼ぶ女性の肩を掴んで、私から引き離して、間に立つ。
「ごめんね、七羽ちゃん! 昨日飲み会で、勝手におれのケイタイで細工したみたいで!」
『やばいな! 数斗に殺される〜!』
どうやら、真樹さんからの”一時間早くする”というメッセージは、坂田さんが送ったようだ。
中身を見て、それで把握しちゃったのかな……。
私が、フラれるきっかけになった人物だと……。
「退いてよ! 真樹!」
「やめろって! 七羽ちゃんが悪いんじゃないの! 話すなら、数斗に直接しろよ! すぐ来るから!」
「はあ!? 連絡したの!?」
「当たり前だろ! おれになりすまして、七羽ちゃんを呼び出したのは、数斗を盗られたとか、難癖つけるためでしょうが!」
『数斗〜! 頼むよ! 早く来てくれ!! 逆ギレした坂田から、七羽ちゃんを守る自信ねぇ〜!』
私を背にして庇ってくれる真樹さんだけど、坂田さんの剣幕に引き腰だ。
心の中で涙声で、数斗さんを呼ぶ。
私も数斗さんに連絡をした方がいいかな……いや、今急いでくれているかな……ど、どうしよう。
「難癖!? ふざけないでよ! このチビブスのせいで、数斗がいきなり別れるって言い出したんでしょ!? ちょっと! 何連絡を取ろうとしてるのよ!」
「きゃっ!」
「あっ! おい!!」
真樹さんの後ろで連絡を迷っていたら、坂田さんの手が振り下ろされて、携帯電話が床を転がってしまった。
慌てて拾うけれど、画面は割れて、真っ黒だ。
「大丈夫!? うわ、壊れたじゃん! 弁償しろよ!」
「ま、真樹さん、大丈夫です」
「いや、だめ! おい、坂田!」
「その女が悪いのよ! 数斗を盗るから!」
「それとこれとは違うだろ! ぶっ壊しておいて、逆ギレかよ!」
『だからあっさりフラれるんだよ! 元から数斗に好かれてなかったくせに! コレ言ったら、火に油だよなぁ〜!!』
悔しげに心の声を上げる真樹さん。
数斗さんに好かれない理由には、納得してしまう。こうやって呼び出して、怒り任せに対決するくらい、激しい人。
数斗さんの隣に立つ自信があるくらい美人なのは、想像通り。でも、過激すぎる人だ……。
この修羅場、どうやって収めればいいの……?
真樹さんの後ろにいるしかできない私は、真っ黒な画面の携帯電話を心細く見つめる。
周りの、声が、煩い。
心の声。ぐるりと、気持ち悪さが回る。
坂田さんは悪口を叫び続けるし、野次馬は面白がって見ている。
真樹さんはひたすら坂田さんから私を守りながら、数斗さんを待つ。
…………数斗さん……。
『七羽ちゃんっ!』
優しい声に呼ばれて、俯かせた顔を、跳ねるように上げた。
駆け寄る数斗さんが見えて、じわりと視界が歪む。
「数斗!」『数斗ぉ〜!!』
「数斗!?」『もう来た! まだ”会うな”って、釘さしてないのに!』
「七羽ちゃん……!」
息を切らした数斗さんは、真樹さんと坂田さんを見向きもしない。
ただ私を痛ましそうに見下ろすと、そっと頭をひと撫でしてきた。
『……七羽ちゃんを泣かせて…………殺す……!』
スッと冷たい眼差しを坂田さんに向けた数斗さんが、殺気を込めた心の声を低く放つものだから、ギョッとして込み上がっていた涙が引っ込んだ。
ひえ!?
い、いや、泣いてませんっ! まだ泣いてませんよ!?
さっき真樹さんが殺されるとか言ってたけれど、冗談だよね? 大袈裟に、怒りを表したヤツだよね!?
真樹さんと坂田さん、大丈夫だよね!?
坂田さんと向き合う数斗さんの袖を思わず、摘まんで掴んだ。
また痛ましそうに見下ろす数斗さんは、私が坂田さんに怯えていると思ったのだろうか。背中を優しく擦られた。
その優しさ、ちょっとだけ! ちょっとだけ、殺意を和らげるために使ってくださいっ……!