29 ふわふわな夢心地。
うぅ~! 別に性感帯ではない! ちょっと他人に触られるのは、ビクッてしちゃうだけであって! 声は好きな声は好きだけど!? フェチって程ではない!
「あそこが店? 炭火焼きの焼き肉店か、いいね」
『七羽ちゃんの家族が揃ってるのかな……。今会うのは、外堀埋めてるって露骨にバレちゃう』
「……はい」
反省してませんね……? ずるい人!
駐車場から二車線道路を挟んだ先にある焼き肉店を見る数斗さんを、ジトリと見ては膨れっ面をした。
「……聞いてなかったけど、お母さんの恋人さんとは、仲は良好?」
『こうして家族揃って食事したり、ショッピングモールに行くなら、いい関係を築いてるだろうけど……。七羽ちゃんにとっては、二番目の継父。我慢してないよね? 自分だけが我慢すればって。昨日みたいに周りに気を遣ってたりしない?』
数斗さんはなんでもない風に微笑んで尋ねてくるけど、心の中は深く気遣って見つめてきている。
うっかり、誕生日嫌いの話なんかしちゃったから……。だから、21回分の誕生日プレゼントリストを考えてしまうんだ。
いいのに。一回でも。
今まで会えなかったお詫びだなんて。
必要ないのに。
私と早く出会うべきだったなんて。使命感を抱かなくていいの。ロマンチストさん。
「はい。いい人ですよ。誠実な方だと思いますし、運転が上手い人です」
「運転が上手い? あ。俺や新一とその人以外の運転は怖いってこと?」
「はい、そうなんですよ」
他の運転手は苦手、と笑って肩を竦める。
数斗さんは笑いつつも、私を観察してきた。
明るく笑って誤魔化していないかどうか。
傷だらけの天使なんて、言わないで。
誰だって生きていれば傷付く。
私はちょっとだけ……深かった。それだけ。
「今日は、これからお酒飲むの?」
「ん〜焼き肉の時は……気分ですね。今日は飲みたい気分ですので、カシオレを一杯だけ飲もうかと」
「そっか。それで車で送ってもらって帰るの?」
「いえ? 歩いて帰ってます、いつも」
「えっ? いつも? 夜道を?」
ギョッとする数斗さん。
当然、母の恋人さんに送ってもらえると考えていたらしい。
恋人さんだってお酒を飲みますから、車は運転しませんよ。
「やだな。ここから10分もかかりませんよ? 5分で帰れるかも。家族と一緒に帰りますしね」
「……そっか。気を付けてね? 帰ったら、メッセージで知らせて」
『俺が家まで送ってあげたいけど……う〜ん』
過保護な恋人は、心の中で呻く。
「はい。じゃあ、また」
ぺこっと頭を下げたのに、数斗さんに左手を掴まれて、グイッと引き戻されだ。
目を見開いて、パチクリと瞬いて、数斗さんを見上げた。
「まだ七羽ちゃんから、好きって聞いてない」
「へっ? ……あ。あれは電話の話では?」
「そうだっけ? じゃあ、会った帰り際も言うことにしよう」
「え、えっと……でも」
なんか改めると、照れくさい。
挨拶に好きって言葉を言うの?
躊躇していれば、また手は引かれて、数斗さんの腕の中。
「言うまで離さないよ?」
『言うまで耳に囁こうかな。囁くことは禁止されてないし』
数斗さんの企みに、思わず震え上がる。
「すっ、好きですっ!」
勢い任せの告白。
「俺も好きだよ、七羽ちゃん」
『はぁ〜好き。可愛い。帰したくないな。離れたくない。このまま家に連れ返っちゃだめかな……』
にっこりと言い返す数斗さん。
ここで連れ返ったら、送ってきた意味がないですよ……。あと、私は捨て猫とかじゃないです……。
やんわりと胸を押せば、数斗さんは放してくれた。
そばの信号を渡るまでついてきてくれて、駐車場で私が店に入る姿を見届ける。
手を振って背を向けると。
『七羽ちゃんって……あっさり帰っちゃうと、一度も振り返らないんだよな……。寂しくないのかな。恋人になったばかりなのに……』
そんな数斗さんの心の声を聞いて、店の手動ドアを開ける手を止めた。
私は何度も振り返って手を振るより、さっさと帰り道を進むタイプだ。後ろ髪が引かれるとか、寂しいとか、そんな気持ちを抱えながら。
振り返れば、まだ数斗さんは駐車場に立って、私を見ていた。
『あ、振り返ってくれた。名残惜しいって思ってくれたのかな』
嬉しそうに手を振る数斗さんに、私も微笑みを返して、手を振る。
そして、店に入った。
個人経営の焼き肉店。それほど広くないので、顔馴染みの店員さんと挨拶を交わして、家族と並んでカウンター席に座った。
温まった七輪は、隣の妹と使う。
もう私のお決まりの牛タンを用意してくれていたので、あまり待つことなく、好物にありつけた。
初めての恋人が出来たという事実に妙なソワソワ感があるので、カシオレを喉に流し込みながらも、酔いで口を滑らせないようにと言い聞かせた。
30分ほどすると、数斗さんからメッセージが届く。
交際記念の贈り物であるピアスのデザインのリクエストはないか、と。
シンプル、と言っても、色々ある。
数斗さんとしては、出来る限り毎日つけてほしいと言うので、仕事中と入浴以外はつけるつもり。
そうなると、寝る時も邪魔にならないようなスタッドピアスで耳の後ろもキャッチがしっかりした物がいいだろう。寝返りを打っても、枕に刺さって引っかからないやつ。
今つけてるパール型のデザインではシンプルすぎるので、ハート型やら雫型やら。気に入る物を選んで欲しいと、写真を送ってきた。実物だ……。
そういえば、さっきの車の中で、ジュエリーショップに寄ろうとか考えてたけど…………もしや、今いる? ピアス選び中? 行動が早すぎる……。
どれも素敵だなぁ……。
洗練された感がある……どこのジュエリーショップにいるのやら……。お高そう。
なんか、数斗さんなら、子どもの頃からの貯金を、私のために貯めていたお金だったんだー、とか言い始めちゃって、崩しちゃいそうだ……。
数斗さん。ホント、早まらないで。
『なんかニヤけてる?』と、隣の妹が私の異変に気付いたので、サッと携帯電話の画面をオフにして、何食わぬ顔でカシオレを一口飲んだ。
妹の気がよそに逸れた隙に、手早く返事をしておく。
今日はテーブル席じゃなくてよかった。
向かい合って食べていたら、口元を緩ませてメッセージのやり取りをしている顔が、丸見えだもの。
候補の宝石は、アメジストとペリドットだ。
真実の愛を象徴するアメジストのハートのピアスも、前向きになるためのペリドットのハートのピアスも、いいんじゃないかな。
ということで、ハート型を選択。
【他は、お気に召さなかった?】
なんて返事が来たので、ハートを選んだ理由を送る。
すると、こんなデザインのピアスもある、と写真をどんどん送ってきた。
……お客様。商品の写真は撮らないでください……。
って、数斗さんなら、ちゃんと許可を得て写真を撮って送っているのだろう。
母は遠慮なく、売り物の写真を無断で撮るから、いけないことだと注意しても、聞く耳持たないのよね……。
指輪やネックレスまで送りつけてきたものだから、さては店員さんも買わせるためにノリノリだな、と想像してしまった。
さらには、これ。私の誕生日プレゼント候補に違いない。
数斗さん……ホント、早まらないで。
当たり障りなく、素敵ですねー、という返事だけにしておく。可もなく不可もなしな反応。
疲れてしまったので、帰ったら、染み付いてしまった焼き肉の匂いを洗い流してから、ベッドにダイブ。
それほど大きくはないアパートの部屋。
妹と同室だから、スペースを確保するために、二段ベッドを使用。私が上。小さいので。言っておくけど、妹よりチビでも、天井に頭はぶつける。
そんなベッドに身体を沈めて、数斗さんにおやすみのメッセージを送り付けた。返事が来たことは、通知音でわかったけど、眠くて、寝てしまう。
翌朝、見てみれば。
【おやすみ。好きだよ】
の一言。好きって言葉。
交際開始から、すでに何回言われたか……もうわからなくなってしまった。
遊園地で撮った写真の嫌な人物を隠すためのスタンプ用イラストは三種類だけ描いて、色違いも用意。
翼を生やした猫とか、何の変哲もない猫とか。猫のキャラのイラスト。
写真の画質を落とさない加工アプリを使って、綺麗に腹黒女子の存在を消すように、ペタリとイラストを貼った。他にも、肩に置かれた手も、ぐりぐりとハートや星の模様で塗り潰す。
真樹さんと新一さんも、送ってくれた写真にも、私が描いたイラストで加工するんだと言えば、それ欲しい! と要求されてしまったので、三人にいっぺん送信しておいた。
上手い、可愛いと、べた褒め。
大袈裟だな、と思っても、嬉しいから、へらりと口元を緩ませてしまう。
真樹さんは結局、来週の休みは被らないので、遊べないということになってしまった。
【盛り上げ役のおれがいなくていいの!? 仲間外れ! 次は、絶対おれも入れてよ!? またカラオケ行こうね!】
不貞腐れたように泣いた絵文字を加えても、自分抜きでも楽しんでいいと推すから、やっぱり新一さんと数斗さんと私の三人で行くことが決まる。
新一さんからは、何故か歌のリクエストが送られた。知っている曲だし、歌えるので、引き受けることにする。多分、聞き苦しくないレベルで歌えるはず。
見返りは、いつか、ホラゲープレイを見せてもらうこと。
ビビリな私は、ホラゲーを自分一人でやり抜くことは出来ないので。
しかも、実写映画化までされる人気作のホラゲーの最新作が、発売間近。乗り気な新一さんの新型ゲーム機で、ホラゲー観賞。楽しみだ。ワクワク。
数斗さんは、私が半日出勤の日に、会いに来たがったけれど、今週は難しくて無理だとのことで、悔しがっていた。
もうピアスを買ったから、渡したいと、何度も嘆くのを電話で聞く。
会いたいって言葉は、何度聞いただろうか。もう数えきれない。
二連休を取ると、必然的に連勤になるシフト。
今回は七連勤。しんど。オエ。
そんな六連勤目の八時間勤務を終えた私は、オエッと吐いてしまいたくなる。
どしゃ降りの雨。
梅雨の季節なのに、雨全然降らないなぁー、って思った矢先に、溜め込んだみたいにどしゃ降り。そんなサービス要らない。
サイッコーなことに、傘忘れた。
折りたたみ傘を常備していたけど、この前数斗さんの家に遊びに行くバックに移してから戻し忘れていたのだ。
天気予報を確認すれば、夕立ちではなく、深夜まで降りまくるとのこと。サイッコー。
「古川さん、お疲れ様」
ぎくり、と身体を強張らせる。
バカみたいにバックヤードのドアに突っ立っていた私に、後ろから声をかけてきたのは、副店長の男性。
この職場で今一番、嫌いな人、ナンバーワンである。
私がこの職場に来て、半年後ぐらいに転属してきた人なんだけど、直感的に無理だと思った。
生理的に受け付けない人、という相手だと、後々自覚した。
んで。心を読む能力が開花して、その理由がわかった。
一番に私を気持ち悪くさせた考えの持ち主だったのだ。
奥さんがいるのに、不倫をしている。
ちなみに相手は、私の上司にあたる生肉部門の副主任の若い子だ。一歳だけ年上だから、数斗さん達とタメの女性正社員。
でも、サイッコーに最低な男なので、その子はかなり精神面がボロボロ。不倫している時点で、自業自得だとは思うが、男はさらにクズ。色々とドクズ。中指立てやりたいくらい。
そんな副主任さんも、上っ面だけにこやかなやり取りしているけれど、私への悪口が結構多いので、私もそんな男やめとけ、と親切に言ってはやらない。
そんなドクズで生理的に受け付けない男は、次なる獲物(不倫相手)を私にしようとチラホラ考えていては、チャンスを狙っている。今年の新年会では、離れた席を確保してなんとか避けてきた。
「お疲れ様です」と愛想笑いを返す。
やばいな。突っ立ってるのは、やばい。
バックヤードの外には、喫煙所のスペースが設けられてあり、正直、出入りする時は、息を止めて横切る。
ドクズ副店長は、喫煙者の一人だ。
大抵は、イヤホンで音楽を聴いていて、そこにいることに気付かぬフリして、挨拶もなるべく避けてきた。
「傘、忘れたの? 送ろうか?」
『なんだなんだ、チャンス?』
親切心で笑いかけながら、脳内で卑猥な想像をするから、オエッと思いながら中指を立てる。もちろん、頭の中で。
「大丈夫ですよ! お疲れ様でした!」
作り笑い全開で拒み、私はどしゃ降りの雨の中を駆けて、家まで帰った。
下着までびしょ濡れに違いない。……サイッコー。
すぐさまお風呂に入ろうとしたけど、着信音に気付いて、電話に出た。数斗さんだ。
〔お疲れ様、七羽ちゃん。残業だったの? さっき電話したんだけど〕
「あ、すみません……雨だったので、気付きませんでした」
〔雨? どういう意味?〕
いつもの上がりの時間帯に電話をかけてくれた数斗さんは、不思議そうに尋ねた。
私は通勤中は、音楽を聴いていたのだ。携帯電話で。最近は数斗さんと電話して帰ってるけど。
雨だからって、気付かなかった理由がわからないのだろう。
「傘を忘れちゃったので、走って帰りました」
〔え!? 大丈夫!?〕
「もうびしょ濡れです。今からお風呂に入ります、風邪を引く前に」
〔そっか、ごめん〕
「いえいえ。じゃあ、失礼します」
慌ててしまって、切ったあとに、ハッと思い出す。
数斗さんにすぐさま掛け直す。
「もしもしごめんなさいっ! 言い忘れました、好きです! さっきの分も、好きです!」
電話を切る前に、好きと言う取り決めだ。
〔ふふ、俺も好きだよ。ありがとう、約束を守ってくれて。律儀な七羽ちゃん、大好き。お風呂であったまってね〕
優しい声で、心を込めた好きを言い返す数斗さん。
う、うーんっ。勢いだけで言ってしまって申し訳ない……。でも余裕がないため、私は電話を切って、たっぷりと水を含んで重い服を脱ぎ捨て、お風呂に入った。
翌朝の気分は、サイッコーだった。
ばっちり、風邪を引いたらしい。少し気持ち悪い。熱っぽい。軽い咳が出る。体温を測れば、微熱。ギリギリ食品を触って仕事をしていい体温。
本当は、ダメだと思うんだけどね……風邪症状のある人間が、食品を扱う仕事をするとか……。でも、大抵ギリギリアウトはセーフ判断されてしまう。
……イケない会社だよなぁ。しみじみ。
今日で、七連勤目。半日出勤で幸い。なんとか、乗り切れそうだ。
なんて、甘く見ていれば、仕事中に、サイッコーなほどに悪化した。
熱上がったな、気分悪いな。
残業を頼まれたけど、体調不良で無理だと断る。幸い、顔にもろ出てて、文句の心の声を聞かずに済んだ。
ケホケホ。乾いた咳を繰り返す。
明日、カラオケの約束をしてるのに…………無理だなこれ。新一さんのリクエストには、応えられない。風邪を移したくないし、そもそも明日はダウンしているかも……。
今日は、自分から数斗さんへ電話をかけた。
少し、コールが長いけど、昼休憩のはずだから、出てくれると思う。
バックヤードの在庫を詰めた大きな台車の一つに手をついて、気持ち悪さに耐えた。
〔もしもし、七羽ちゃん? 終わったの? お疲れ様〕
「あれ? 古川さん。上がり? お疲れ様」
びくり、とまた身体を強張らせる羽目になる。
なんでまた尾けてきたみたいなタイミングで……。あっ。事務室を横切るから、窓から見えて、追ってきたの? オエッ、気色悪ッ。あ、マズイ。マジで吐けそう。
「お疲れ様です」
「なんか顔色悪くない? 大丈夫?」
「大丈夫ですよっ、おととっ!」
「フラついてるじゃん」
「あはは、大丈夫ですって!」
『いや、これ、送るチャンスだろ。これを機に距離縮めて……』
ゾッして、吐き気が込み上がるから、やめてほしい。
〔……誰と話してるの?〕
「あ、副店長ですよ」
数斗さんの声に、意識を集中しておく。
「送るよ?」
「大丈夫でーす。お疲れ様でしたー!」
電話で忙しいと言わんばかりに、耳に当てた携帯電話を指差しては、作り笑いで乗り切った。逃亡。
〔具合悪いの? 昨日の雨で風邪引いた?〕
「はい、ゲホ、そうみたいでして……ケホケホ」
〔つらそうだね。歩いて帰るの? その副店長さんに送ってもらった方が〕
「絶対に嫌ですよ!」
数斗さんから恐ろしい提案が出されたものだから、咄嗟に悲鳴みたいに声を上げてしまった。
〔え? どうして……? 何か、理由が〕
そのせいで、咽せて咳き込んだ。都合がいいので、気にしてしまった数斗さんの質問が聞こえないフリをした。
「すみません、どうやら、もう、悪化する一方だと思うので……ごめんなさい、明日の約束はドタキャンで。本当に、ゴホン、すみません……」
〔そんな、謝らないで。いいんだよ。会いたいけど……七羽ちゃんも、七連勤だったよね? もう疲労で免疫力も下がってるんだろうから、ゆっくり休んで。ごめんね……俺が送り迎え出来れば……〕
「数斗さんこそ、謝らないでくださいよ……距離的に無理じゃないですか」
〔……そうだね。本当に歩いて帰れる? 大丈夫?〕
「倒れたりしませんよ。ほら、熱が高くなると、ハイになりません?」
〔熱も高いの?〕
「多分……今年最高記録の体温のはずです」
〔ううーん……心配だ。もどかしい……〕
笑い話として明るく話しているつもりなのに、数斗さんは私を心配している声音のまま。
今、また本気で近くまで引っ越すとか考えていたりするのかな。余計なこと、言っちゃったや。
そんなことを、ぼんやりと予想した。
〔電話しながら歩いてて平気?〕
「はい……ケホ」
〔無事に家まで着くまで、通話していよう。……食品を扱うのに、風邪で仕事したの?〕
「はい……朝の検温では熱がなかったので……。やけに冷蔵庫に入ったら寒すぎだなと思えば、風邪だーっとやっと自覚しました。クスン」
精肉部門の冷蔵庫。これからの時期は、入りたがるくらいには涼しいけれど。今日は、やけに寒いと腕をさすった。
思い出しながら、小さく鼻を啜る。
〔……明日は絶対に歌えそうにはないね〕
「はいぃ……とっても残念です」
〔歌えなくて? それだけ? 俺と会えないことには残念がってくれないの?〕
「あっ、うっ……熱が上がるので、言わせないでくださいよ……」
〔ふふ。俺は残念でしょうがないよ。ピアスも渡したかったし、恋人になって初めて会うし……看病したいよ。してもらえるの? お母さんも仕事で、兄妹も学校だよね? 大丈夫?〕
焦燥を徐々に強める声に、なんとか「大丈夫です。そんな高熱で倒れたわけでもないんですから」と、明るく答えておく。
自分で自分の世話は出来る。それほど重症ではない。歩いて帰れるんだから。
「子どもじゃないんですよ」
〔それでも体調が悪くて寝込むなんて、つらいだろう? 心細くない?〕
数斗さん、急遽退勤しそうな気配だ。
気のせい、かな……?
「……」
〔七羽ちゃん?〕
「あ、はい。すみません。ボケっとしちゃいました……」
〔本当に? それだけ? 心細いって、答えるの我慢してない?〕
「ははっ……数斗さんってば、心配性すぎます。夕方には、家族も帰ってきますしね」
数斗さんが家に乗り込んで看病しに来ないように、宥めていれば、重い足取りでも家に到着した。
クシュン! とくしゃみをしてしまう。
くしゃみを聞かせてしまったことに謝罪をして、電話を切らせてもらった。ちゃんと好きって言うことは忘れず。
動くことが億劫ながら、軽くお昼を済ませて、熱がそこそこあったので市販の解熱剤を飲んで、お昼からベッドにダイブ。
眠りかけて、新一さんにドタキャンすることを知らせないと、と気付き、カチカチと打ち込んで送信。
ついでと言ってはなんだけど、数斗さんにも、安静に寝てます、という報告のメッセージを送る。
グラリと気持ち悪さが、感覚を回す。
激務、というほどではないけれど、量が多い作業をこなした七連勤を完遂。
その間、初めて恋人と必ず好きだって言って電話を切っていた。
先週、初めて恋人が出来たなんて、夢みたいだな。
夢心地。なんか、現実味が気持ち悪さが奪い去ってしまった気がする。
夢だったんじゃないか。
そう思ったのは、心細さからくるのかも。
起きたら、数斗さんに電話しようかな……。
現実だと、教えてもらうために。
心地よくない熱に沈んで、意識を手放した。
2023/07/13
少し回復したので、本日更新。
次回から3話分、真樹視点が続きます!