27 ずるい告白の罠に甘えて。
少しの沈黙の間に、数斗さんが不思議そうに首を傾げていた。
ぬいぐるみをしっかりと抱き締めた私は。
「……あの」
と、口を開いたけれど、携帯電話が鳴り響いたので、そちらを向く。
ポケットにしまった私の携帯電話が、着信音を鳴らす。
「母からです」
「どうぞ」
数斗さんに許可を得てから、電話に出る。
今日は何時に帰るかという連絡。
母の恋人の誘いを受けて、夕食は焼き肉だそうだ。
「わかった。じゃあ店でね」
あっさりと承諾の返事をしてしまった。
けれど、数斗さんに了解を得るべきだったと気付く。
母の電話は切れてしまった。
「あ、ごめんなさい……いつも母の恋人さんと焼き肉を食べるのは、いつものことでして……」
「大丈夫だよ。ちゃんと送るから」
『ん~。夕食も、どこかで一緒に食べたかったな……残念』
「いつもなんだ? 焼き肉に行くの」
「はい。店長が恋人さんとお友だちですから、贔屓にしてて」
「そうなんだ? へぇ。個人経営の店なの? 七羽ちゃんの好きなお肉は?」
「はい。私は牛タンです。先ず、牛タンから食べます。絶対」
「あははっ、そんなに? 俺も仲間内で贔屓にしてる焼き肉店があるんだ。今度一緒に行かない?」
『七羽ちゃんの方の店は、誘ってもらわないとなぁ……。七羽ちゃんの家族と会ってみたいけれど、気が早すぎる』
「その時こそ、みんなで一緒に飲もう?」
『昨日は俺だけ飲まなかったことを気にしてたけれど、一緒に楽しんで食べて飲みたい』
申し訳ないと、ぺこりと頭を下げた。
バックにタブレットをしまいながら、時間的にも、もう車で送ってもらうべきだと知る。
数斗さんは、今後のことを考えていた。
甘えすぎた関係を、どうにかしないと。
「あの……数斗さん」
「ん?」
「……やっぱり、私は、甘えすぎです」
「え? 別に送るくらい…………って、その話じゃないんだ?」
明るく笑おうとした数斗さんは、ぬいぐるみの上にきつく握った手を見て、察した。
そう。車で送ってもらうという甘えの話ではない。
「私は……周囲の感情に敏感だから、波風立てずのことなかれ主義で、それで悪い意味での八方美人だと思います。誰にもいい顔して、悪者になりきれなくて、中途半端です。すごく、ずるい人間ですよ。このまま……甘えてはいけません。だめですよ……」
自分への嫌悪を吐いて、俯いて、声を小さくしてしまう。
「……そうなの? 本当に? 甘えていいって言ってるのに?」
『俺には、とても好都合だ。俺の方がずっと……ずるいでしょ』
「…………数斗さん。昨夜は、ごめんなさい」
「……どのこと?」
『……やっぱり、昨夜は俺をフろうとしてたって話かな……』
数斗さんは、優しい声で尋ねる。
静かに。ゆったりと。
「……数斗さん。自分がどんな顔してたか、わかってないでしょ?」
苦しげに声を絞り出して、数斗さんへ顔を向ければ、驚いたように目を見開いた。
「……どんな顔してたの?」
『……死ねるって思ったから、相当酷い顔してたのかな……』
ちょっぴり悲しげに聞き返す数斗さんは、昨夜の感情を思い出したのかもしれない。
「苦しいって感情を必死に隠して、無理に微笑んだ顔でした……」
「そっか……。それで……七羽ちゃんは、苦しめたくなくて……か」
『俺の延命に、今日をくれた?』
視線を落として、ポツリと答えると、数斗さんは昨夜と同じ、つらそうな心の声を零す。
「かっこいいって言ったのは、本心です。でもっ……でも、その……」
「うん。本心だってわかるよ。嘘じゃない。わかってるから」
『七羽ちゃんは、嘘、下手だからね』
「ずるいのは俺だよ。七羽ちゃんがそうやって……俺にチャンスをくれるから、甘えてるんだよ?」
『拒めない君に言い寄って、手に入れたがっている。ずるいのは、俺の方だ』
なんて、自分の方が悪いと言い出す。
「曖昧にしてしまう私がずるいですって。数斗さんが、それにホッとしてることもわかってるんですよ? 卑怯じゃないですか」
私が悪いんだ。
「私は数斗さんが思ってるほど、いい子じゃないです」
「どうしてそう思うの?」
『心が綺麗じゃないとか、そんな否定的な話しなら、肯定出来るよ』
「……最初から、私には不釣り合いだって思ってました」
視線の先のソファーの上の数斗さんの手が、軽く震えたのが見えた。
釣り合わない。
その言葉で、想いを拒まれたくないと言っていた彼に、それを言った。
「私に自信なんてないからです。さっき話したように、違い、すぎるじゃないですか。大袈裟な言い方ですけど、違う世界の人間というか……本当にこうして出会ったのは、奇跡的です。このまま、交流してもらえるのは、本当に嬉しいです。でも、やっぱり……私は、自信がないんですよ。劣等感で、ビビって、踏み出せそうにないです」
数斗さんの心の声が『違う世界なんかじゃない』とか『その奇跡を喜んでないの?』とか、つらそうな声を振り切るように、続ける。
「数斗さんは、素敵な人です。素敵すぎる人です。ブランド物を買ってくれるいい人だなんて言う人には、ムカついて言い返しましたし、あんな腹黒な人なんかといい雰囲気になってほしくないって、強く思いましたし、気安くナンパなんてしないでほしいって、イラッともしました。はっきり答えもしないのに、私は……身勝手に……嫉妬心とか、独占欲とか、抱えちゃって。自分じゃあ釣り合わないって思うくせに……他の人は嫌です…………矛盾してますよね」
顔を俯かせて、ソファーの上を見つめつつ、溢れる言葉を口にした。
「こんな人間がいい子なんですか? 優柔不断じゃないですか。私が甘えすぎているんです。……こんなところで、無防備に寝てしまうくらい、数斗さんの優しさに甘え切ってます。心地いいからって……数斗さんの優しい声に、もう十分、甘えすぎてますよ……」
そうか。
ここでは、数斗さんの優しい声しか聞こえなかったから、心地よくて眠ってしまったんだ。
これを言ってしまえば、決定打だろう。
でも言わないと。
優柔不断な関係をやめるために。
「数斗さんに愛される人は幸せになるはずです。でも、それは……わた、し…………?」
勇気を振り絞ったけれど、ふと、数斗さんの心の声が聞こえなくなっていることに気付いて、意識がそちらに傾く。
それで、顔を見られなかったはずなのに、つい顔を上げてしまう。
私が目にしたのは――――顔を真っ赤に染めた数斗さんだった。
え? あの……え?
真っ赤になって驚いた表情の数斗さんは、今まで息でも詰まらせていたのか、心の声を怒涛と流した。
『え? 嫉妬? 嫉妬してくれてたの? 独占欲まで持ってくれていたの? 素敵すぎるって……!』
歓喜で舞い上がっている声音の心の声。
私は両手で目元を覆った。
「……なんでそんな顔をするんですかっ……?」
「え? ご、ごめん。どんな顔?」
『ヤバい。変に、ニヤけた?』
「……なんで、嬉しそうな顔をするんですかぁ……」
喜びを噛み締めるような、そんな表情だ。
嬉しそうに目元を赤らめて、喜びで目を輝かせているような……そんな顔。
「……嬉しいから」
『七羽ちゃんが、思った以上に、俺のことを好きだってことでしょ』
「好きだよ、七羽ちゃん」
びく、と肩を震わせる。
告白――――された。
初めての告白。
「一目惚れだよ。本当に、目を合わせた瞬間、七羽ちゃんに惚れた」
初めて、直接告げられた想い。
じゅわりと顔が熱を帯びていくのを感じた。
「……顔。見せてくれないの?」
「い、いや、あの……ち、近いですっ」
『顔、赤い……。初めての告白を受けた顔……見たいのにな』
自分の目元から、手を離せない。顔を合わせられなかった。
数斗さんが顔を寄せてきた気配がしたので、身を引く。
「七羽ちゃん」
「や、やですっ」
手を退かそうとしたのか、私の手に触れてきたから、思いっきり避けたら、倒れてしまった。
ひじ掛けの上に、頭を置くような形。
かなりの無防備な姿勢になったから、起き上がろうとはしたけれど、数斗さんが覆いかぶさるようにいることに気配だけで気付く。
「か、数斗さん……?」と、か細い声でこの体勢の意味を問う。
「七羽ちゃん。せめて、口元の方を隠そう? ――――奪っちゃうよ」
「ひゃっ」
目元を覆う手の甲に、色っぽく囁く声が吹きかけられて、ゾクッとした手を慌てて口元に移動させた。
「……その目に、一目惚れした」
「っ……」
当然、目が合ってしまう。
私を見下ろす数斗さんが、真っ直ぐに見つめてきた。
『潤んだ目……可愛い……可愛い。危ないな。この距離だったら、衝動的にキスしちゃう』
数斗さんの黒い瞳は、とろりと落ちてきてしまいそうな熱を孕んでいる。
覆う手の下で、唇をキュッと強く結んだ。
「もう少しだけ、甘えてみようよ、七羽ちゃん」
「はぃ?」
上ずった声で聞き返してしまう。
「七羽ちゃんは、期待させたままにズルズルと曖昧にするのは、俺に悪いって思ってるんでしょ? でも、俺はそれに甘えたいんだ」
『俺にもっと時間をちょうだい』
「お願い、甘やかして?」
キュン、と胸の中が締まる。
切実に頼む表情をするのは、ずるい。
「だから、七羽ちゃんも甘えていいよ。心地いいなら、俺の優しさを受け取って? もう少しだけ」
『俺はドロドロに甘やかしてあげるから――――手放せなくなるくらいに』
もう少しだけ。
そう期限をつけるみたいに言うのに、心の声は期間限定にはしない気でいるじゃないか。
「劣等感で怖くなっちゃうなら……自信をつけてもらえるように、努力するよ。俺がそうして欲しいから。自信を持ってもらえるように、する。もう少し、時間をかけよう。出会ったばかりだってことも、まだ深く知り合っていないことも、自信を失くす要素でしょ? 知らないことも、わからないことも、怖いなら……俺が教えてあげるから」
『違う世界だなんて切り分けないで。俺のことも知って。君のことも教えて。自信が持てるように、俺が教える』
「昨日は、とっても素敵な人のためなら、釣り合う努力をしたいって言ってたよね? 俺のために、努力してくれる? まだそんな努力をする勇気が出ないなら、好きになってもらうように頑張るから」
囁くような声は熱っぽい。
「俺のこと……好き?」
『聞かせてほしい。好き、なんだよね? 俺のこと』
ううっ……。
こんな逃げられない体勢と距離で、そんなことを問うなんて、ずるい。
「…………好き、ですっ……」
必死に、絞り出した。
恥ずかしさと躊躇の中から、口にしたのは、大きな勇気だ。
『嗚呼、可愛い。幸せだ。可愛い。俺も好き。好き。好き好き好き。本当にキスしてしまいたいから、口元は隠してて。今なら、食べ尽くしてしまいそう』
顔を綻ばせる数斗さんは、喜びを隠し切れていない。
でも、心の中で舞い上がりつつも、理性を保とうとしている。
「どのぐらい、好き?」
「っ……そ、それは……わかんないです……」
「俺は……」
『七羽ちゃんに拒まれたら死ねるくらい……って言ったら、重すぎるか』
「他の人は嫌ってくらい、七羽ちゃんが好き。七羽ちゃんも、俺が他の人と並んだから、嫌?」
『俺が七羽ちゃん以外を……なんて言うのも嫌だな』
もう数斗さんの重たいくらいの想いは、聞こえてますよ……。
私は嫌だと示すために、おずおずと頷いた。
「じゃあ、その好きって気持ち。俺がもっと強くしてあげる」
強い欲がこもった熱い眼差しに耐えられず、瞼をギュッと閉じる。
「頑張り屋な七羽ちゃんが、前向きになってくれるくらいの想いの強さを、持たせるから」
それは、他力本願だって、昨日一人で思っていたのにな。
数斗さんから言われたのなら、もう他力本願じゃない?
いやいや、待って。
どうしてこうなった?
甘えすぎるのはやめようって話をしたかったはずで。だから、ちゃんと。数斗さんには断ろうとしたわけで。
「お願い、七羽ちゃん。俺を甘やかすためだと思って、お試しに俺に愛される人になってくれない?」
驚きの提案に、パッと目を見開く。
「先ずは、一ヶ月。お試しで、俺を恋人にして?」
数斗さんの熱を落としそうなほどの綺麗な黒い瞳は、私を真っ直ぐに見つめ続けていた。
優しい声は、懇願する。
「友だち以上で恋人未満な曖昧な関係を、いっそのことお試し期間の恋人関係にしてしまえばいいでしょ? 恋人らしいことをして……試そう? 他人から見て、釣り合うとか釣り合わないかじゃなくて……俺と七羽ちゃんが合うか合わないかを確かめるためにも。ね?」
見つめてくる黒い瞳が細められて、切に願う目付き。
期限付きのお試しの交際の申し込み。
曖昧な関係は、だめだとは思ったけれども。
だからと言って、恋人関係になると一歩踏み出す?
「俺に愛される人は幸せになれるんでしょ?」
『もう七羽ちゃんしか愛さないよ』
「その幸せを、お試しに感じて?」
『俺の愛を受け取って。それだけでも俺が幸せになるから』
いや、だから……それは、一方的な愛の形では……。
「俺は愛を受け取ってもらえるだけで幸せになりそうだから、愛のためにそばにいたくなるように、努力するから。そのチャンスを与えるための時間をください」
愛のためにそばにいたくなる。
その言葉を聞いて衝撃を受けた。
私が愛を受け取ることで幸せになる数斗さんを、私はそばにいることを選ぶだけで、それを愛と呼べるのだろうか。
不釣り合いだと怖気付いている私に勇気を出せるくらいに、想いの強さを与えてくれると言う数斗さん。
自信を持って、数斗さんの手を取ることは、愛になるのだろうか。
真剣に頼む数斗さんを見つめ返して、声を絞り出す。
「愛を……受け取ることで、幸せになってくれるなら……そんな愛を受け取るために、そばにいると決心することも、愛……でしょうか?」
勇気を振り絞り、努力して得た自信で、そばにいると決心することが、私の愛となって、数斗さんの愛に応えることが出来るのだろうか。
「……うん。愛だよ」
『俺を愛してくれるってこと? 嬉しい。だめだ、ホント。感極まって、食べちゃいそうだ』
嬉しいと破顔する数斗さん。
……なんで、今日は、食べちゃいたいって、よく言っているのだろうか……。
「じゃあ……その…………目安は、そんな、愛……で……?」
『目安? ああ、お試しの目標、か……。その愛をしっかり持つまで』
「それがいいね。七羽ちゃんが、決心がついたら。でも……そうだな。まだ時間が必要だって思ったら、延長もしようか。ビビってしまうなら、慎重に確かめてみよう? 確信を得られるまで」
『七羽ちゃんの決心がつくまでの時間。延長しても構わない。絶対に離さないから。七羽ちゃんに愛されるように、尽くすから。俺をもっと好きになってもらって、愛してもらうから』
お試し期間だとか、延長とか。
形だけに設けられることで、拒ませないための、逃さないための、罠だ。
全然諦める気はない。
いや、待って。ホント。どうしてこうなった。
なんで断るつもりが、罠に追い込まれてしまっているの、私。
優しい声が言いくるめてきたしまった。
「もちろん、恋人だって言っても、お試しだから、プラトニックな関係で。恋人して、デートしたり、寄り添ったり。望んでくれたら、キスをしたり……。二人で考えて決めて、そうやって恋人関係を試してみよう?」
『君が許可してくれるだけ、深く進むよ』
くるくると、私の頭の横のひじ掛けに置いている手で、私の髪を指に絡める。
その指を見てから、数斗さんはまた熱を孕んで、とろりと落としそうな眼差しを上から注いだ。
「ね? お願い、七羽ちゃん。お試しで、俺を恋人にしてください」
『好き。好き。俺を受け入れて。愛を受け取って。好き。好き好き。俺を恋人にして。好き。お願いだ、七羽ちゃん。好きだから、付き合おうよ』
甘く微笑む数斗さんは、情熱的に求める心の声を響かせる。
お試しだけでは終わらせる気なんて毛頭ないくせに。
お試し期間と称した私の心の準備を整えるための時間稼ぎ。
私が不釣り合いだって怖がって逃げてしまう前に。
想いを強くして、前向きに頑張れるまでの繋ぎ止め。
愛を受け取ってくれるだけで幸せになる数斗さんのためにも、幸せにしてくれる愛を受け取る自信がつくまで。
そばでちゃんと愛を受け取ることを、決心する準備を整えておくため。
ずるい。
これで頷いたら、両腕に閉じ込めて、もう放さないくせに。
そうだとわかっていながら、私は。
また、ずるく甘えてしまうんだ。
「――――はい……。お試しで……恋人、お願いします……」
震えている気がする小さな声で、交際の承諾を告げる。
数斗さんは、とろりと恍惚に目を細めて、顔を綻ばせた。
「ありがとう、七羽ちゃん。好きだよ。いい恋人になるから、よろしくね」
『やった……。好き。好き。大好き。愛してる。愛してるよ』
数斗さんの優しい声は静かながらも、心の声と同じく喜びと想いを強く込めて、響かせる。
そして、覆いかぶさるような姿勢だった身体をゆっくり下ろして、抱き締めるように密着。
自分の額を私の頭のサイドに押し付けて、逆の方に左手を添えて押し付けるみたい。
ホッと、安堵と溢れる喜びを、息で吐いた。
自分から罠に入っちゃって。
彼の愛に、囚われた。
「……よろしく、です……」
想いが止まらないと、心の中で言葉にし続ける数斗さんの声を聞きながら。
そう返事することが、いっぱいだった。
心の声が丸聞こえで、罠だってわかっていても、
ヤンデレ溺愛な彼に捕まることを選ぶお話。
まだまだ続きが書き溜まってはいるのですが、
キリのいいここまでで、完結の形を取らせていただきます!
ヒロインが、他人の心の声を聞き続けている描写を書き続けているのは、新鮮で楽しかったです!
気が向いたら、もしくは、完全な完結の見込みが出たら、
また更新を再開したいですね。
ここまで、読んで頂きありがとうございました!!!
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2023/03/02




