26 甘えすぎた曖昧な関係。
七羽視点。
ふわり、と鼻に届くのは、お日様と花の香り。
夢心地。というか、寝てた、私。
なんか、枕がやけに硬いな、とグリッと頭を擦り付けた。
……私の枕じゃないな。
なら、これは何か。
ぺたん、と手を置く。固めな、布?
手探りをしてもわからないから、埒があかないと思い、重たい瞼を上げた。
ぽけー、と枕にしている物を見ては、撫で付ける。
見覚えがあるような。ないような。
見慣れていない明るすぎるフローリングが、視界に入る。
……家、ではないな?
それで頭は覚醒して、自分がどこにいて、何をしていたのか、思い出した。
ここは数斗さんの家で!
私は絵を描いてて、うとうとして……寝ちゃったんだ!
飛び起きれば、すぐ隣に数斗さんが座っていた。
「あ、おはよう」
「ご、ごめんなさいっ」
「どうして謝るの? 疲れてたんでしょ? 大丈夫?」
『自覚してなかったのかな? それとも、本当に安心しきって寝ちゃったのかな』
「あ、はい、大丈夫です……。えっと、これ……」
「タオルケットがないから、干したてのタオルでごめんね」
「いえいえ、ありがとうございます」
いい香りの正体は、タオルだ。私にかけてあったそれを、数斗さんは簡単に畳む。
「私……どれくらい……?」
「30分くらいだよ」
ごめんなさい、と謝罪の言葉を出しかけて、飲み込んだ。
仮眠をとっちゃった……。
私を口説き落としたい男の人の前で。
ただでさえ、彼の一人暮らしをしている部屋にいるのに。
無防備に寝てしまうだなんて……!
確かに、安心してしまって、そのまま、昨日の取れきれていない疲れに呑まれて、寝落ちてしまったのだろう。
数斗さんは、どうやら、勧めた映画の第二弾目を観て、起きることを待っていたみたいだ。
「……私、甘えすぎですね」
「何が?」
「数斗さん、それに新一さんと真樹さんに」
「そうなの? まだまだ足りないよ?」
けらりと数斗さんは笑う。
冗談じゃなくて……。
「甘えすぎですよ……。昨日は、相談してから、数斗さんと新一さんに気を張ってもらっては、真樹さんに押し付けてしまいましたし……愚痴をいっぱい聞いてもらってしまっていますし……」
「それは全然甘えすぎとは言わないよ」
「数斗さんが、ずっと私の世話をしてましたよね……? 料理とか、おかわりとか」
「俺が勝手にやっただけだよ?」
「今日も、パスタ作ってもらいましたし、カフェラテも……。他にも、飲み物やお菓子まで……ぬいぐるみも」
いや、昨日からの世話焼きは、並外れていたはず。
新一さんも真樹さんも、あまりの世話焼きに凝視しつつも、ツッコミを堪えていたもの。
数斗さんから猫のぬいぐるみを取って、見せ付ける。
私が抱き締める用に、部屋と車に置くために買ってくれたぬいぐるみ。
直接は口にしなくても、数斗さんはそういう目的で購入したことに気付かれているとわかっている。
だから、弁解も誤魔化しもしなかった。
「全部、俺がしたくてしたかったことだよ。今日は、寝落ちしちゃうくらい疲れてた七羽ちゃんを連れてきたわけだしね」
『別に気を負わなくていいのに』
ぷに、と猫のぬいぐるみの鼻に、人差し指を押し込む数斗さんは優しく微笑んだ。
「……私は本当にかなり、数斗さん達に甘えすぎでますよ」
そのぬいぐるみを、顎を食い込ませるような姿勢で、ギュッと抱き締める。
「私の過去の家庭の話……吐露したのは、初めてなんです」
「えっ? ……今までの友だちは?」
『知らないの? 七羽ちゃん、ずっと話してなかったの?』
「現在進行形の不幸話をされても、困るだけだろうし、私も話したくなくて…………一度、落ち着いた頃に、一人の友だちにポロッとだけ話しましたけど……リアクションに困ってたので……。長い付き合いで、今更話されても、感……しかないでしょうから……。数斗さん達には……聞いてくれたから、話せたと言いますか…………本当に、甘えて吐き出しました」
『……そうか。誕生日嫌いも、言えなかったんだっけ。家庭の事情を話してなかったから……。一人で抱えていたから……。ますます、もっと甘えないといけないじゃないか。リアクションに困るって……それっていい友だちとは、言えない。それでずっと口を閉ざしてしまったの?』
「せめて、友だちといる時くらい……楽しく笑っていたいですから……。という話をするのも、甘えというか、甘えすぎですよね。う~ん」
つらい、助けて。なんて。
同じ子どもだった友だちは、吐露されても困っただけだろう。
酷い家庭環境を、唐突に打ち明けた私に、反応に困っていた友だちは……事実だからしょうがない。
私だって……そんな反応をしてしまうだろうから。
「甘えていいんだってば。七羽ちゃん。新一も真樹も、お兄ちゃんポジションで、七羽ちゃんを可愛がるって言ってたでしょ? 甘えて寄りかかっていいし、弱音を吐いて頼ってくれてもいい。新一にも、鬱憤を吐くって言うペナルティーを科せられたって忘れた? あとは、楽しく過ごそう? また遊園地に行くのもいいし、映画に行くのもいいし、カラオケにも行こうよ」
数斗さんが手を伸ばして、私の頭に置かれて、軽く左右に動かしては撫でてきた。
「そういう付き合い方をしてくれる? 俺達と」
『甘えて頼ってもいいし、心から笑えるくらい楽しんで遊べるような相手でいさせてもらいたい』
数斗さんはそう言ってくれるけれど……それって、頼りすぎだと思う。甘えすぎだ。
「……はい。よろしくお願いします」
「うん。よろしくね」
おずっ、と遠慮がちに頭を下げるというか、頷く。
『……一度、七羽ちゃんの交友関係を見直すべきだよなぁ……。大切にしてくれている人だけに厳選すべき』
なんか、悪寒を感じた。
ムギュッとぬいぐるみを抱き締める。
落ち着いてください、数斗さんっ。
友だちは友だち! それなりに大切にしてくれてます! 厳選しないでください!
「えっと……私の話だけを聞かせてしまいましたから、数斗さんの話も聞いてもいいですか?」
「俺の話? 別に面白いものは何も」
「私だって面白い話ではなかったですけど?」
「あはは……わかったよ。俺の話ね」
『拗ねた顔、可愛い。俺の話かぁ……。興味を示してくれるのは嬉しいけれども、何を話せばいいのやら……』
私の交友関係見直し計画から気を逸らすために、持ち出した話題だけど、数斗さんは内容に悩む。
「数斗さんって、ドラマとかに出てくる大富豪の御曹司とは違って、言い方はアレですが、庶民的ですよね。ファーストフードも食べますし、なんなら出会ったレストランだって格安イタリアンレストランでしたし……元々ですか? テレビで観るようなセレブの食生活はしていなかった?」
テーブルの上の紅茶のペットボトルを見せて、彼の食事事情から尋ねてみる。
その辺で買える飲み物。数斗さんも同じ物を飲んでいる。
初めて会った日。
御曹司だと心の声を聞いて驚愕したのは、出会った場所が、格安で美味しいを売りにしたイタリアンレストランだったからという理由も大きい。
「あー、確かに俺は絵に描いたようなセレブ生活をする御曹司なんかじゃないよ。高級住宅街の大きな家に住んでも、買う食材は周辺のスーパーからだし、遊びに行くのも、近所のショッピングモールだった。もちろん、一般市民だからね。ドラマの御曹司のせいで、俺のイメージもそんな感じになっちゃって……正直、嫌な肩書きだよ」
「昔からですか?」
御曹司だからと、派手な女性達に擦り寄られてきたとか、うんざりした心の声を聞いたことがあったので、首を傾げて掘り下げてみる。
「うん。俺が生まれる前から、父は社長の座にいてね。それなりに大きな会社の社長だから、お金持ちだってことは、否定出来ないけど……。昔から親戚には、親からいくらお小遣いをもらっているのか、貸してくれと半分冗談の半分本気の言葉をいつも向けられてうんざりだった。いとこも、親に仲良くなればお年玉がたくさんもらえるってことで、媚びへつらってね」
「……居心地悪そうですね。親戚の集まりは」
「まぁ、そうだったよ」
苦々しそうに笑う数斗さんは、肩を落とす。
「それでお小遣いは、いくらもらってたんです?」
「いっぱいもらって、大半は貯金した。今もあるよ」
「おお! 子どもの頃に貯金したものが、今もあるんですか? すごいですね! 私はもらってすぐに、ソッコーで使ってましたよ」
『他の子は、御曹司が貯金するなんて、って驚いたり、バカにしてきたのに、七羽ちゃんは素直に感心して、本当にいい子だな』
え。本当に、子どもの頃から、大半を貯金したってすごくない?
「何に使ったの?」と、お金の使い道を尋ねられたので「フツーに、お菓子やオモチャですよ。欲しい漫画や小説、ゲームがあれば、あっという間です」と、ケロッと答えた。
「俺は、高校までは、友だちとゲーセンや映画館で遊ぶくらいだったな。新一の影響で、ゲーム機を買った」
数斗さんは顎をクイッと軽く上げて、テレビの下のゲーム機を示す。
それくらいしか、お小遣いの使い道がなかったのか……。
「同級生に集られないように、お小遣いは全然もらってなくて、必要な額だけねだってもらってるって、嘘ついてた」
「え? なんでですか? 昔から同級生まで、御曹司だからと、おごってもらおうと寄ってきたのですか?」
「うん……いとこが一人、同じ小学校でね。御曹司だから嫌な奴だって悪口を言ったらしくて、女子は玉の輿だとかキャーキャー騒いで、男子はおごりを狙って遊びに誘ってきたから。例の御曹司の勝手なイメージが、小学校から始まったんだ」
「あらー……。それで、ずっと羽振りのいいボンボンな御曹司のイメージがついちゃって、ブランド物を全身にまとうような派手な女性が寄ってきてしまっていたと?」
「そういうことだよ。俺はブランド物を買ってくれるお金持ちに見えるらしいね」
『七羽ちゃんがちょっとだけでも、俺に甘えて、これ買って欲しい、とか言ってくれれば、嬉しいんだけどなぁ。七羽ちゃんなら、大歓迎。なんだって買うのに』
二人して苦笑気味に笑う。
数斗さん。”ちょっとだけ”が、いきなり、”なんだって買う”に変わりましたよ。差が激しいです。急変しすぎですよ。
「俺の話なんて、そんなものだね」
「両親との仲は良好ですか?」
「うん。仲良いよ」
語るほどのことはないと、数斗さんは短い返答しかしない。
「ん〜。あ、そうだ。数斗さんは経営者を目指してホテルで働いてるじゃないですか。後継者とは違うみたいですけど、父親の影響で目指すことにしたのですか?」
『本当に興味を示して尋ねてくれるんだ……。くすぐったいな』
「そうだね。父親の背中を見て、育ったからだと思うよ。別に父の後継者として、次の社長の座は用意されてないし、俺の物じゃないんだ」
『母さんは、俺の物であるべきだって、未だに言ってるけど』
「俺は俺のホテルを経営したくてね。父も、やってみなさいって、背中を押してくれたんだ」
『父さんも、後継ぎたいって言えば、そのレールを用意してくれただろうな』
こうして、数斗さんのお仕事について、深く話を聞くことは初めてだ。
現在の役職、副支配人の仕事内容だけで、ほげー、なんて感心した声しか出せなかった。
両親の意見は分かれているけれど、父親の押しを受けて、今があるらしい。そのまま、進んでいくのか。
「へぇ……とっても、いいお父さんなんですね。応援してもらえるって、嬉しいことじゃないですか?」
『わぁ、目を輝かせて笑って……』
「うん。嬉しいよ。何不自由ないいい生活を送らせてもらって、将来の道も好きに選ばせてもらって…………なのに、恩を仇で返すみたいに、俺はライバル会社を作るわけだ」
『嬉しいんだよ、本当に。わかってくれて、それも嬉しいな』
茶目っ気に笑う数斗さんが、冗談を言うから、クスクスと笑ってしまう。
嬉しいって伝わりますよ。
心の声だけじゃなく、数斗さんの笑みも、嬉しそうだったのですから。
「支配人に昇格したら、経験を得てから、独立って形かな。七羽ちゃんは、ずっとスーパーに?」
『しんどそうだから、転職とかしないのかな……。話に聞く限り、仕事量とかブラック気味なんだから、心配だ』
「んー……多分」
数斗さんの話をたくさん聞こうと思ったのに、なんでも知りたがる数斗さんは私の方に質問の矛先を向けてしまう。
困り顔で、首を傾げて答える。
「他にやりたい仕事はないの?」
「数斗さんの話のあとでは、情けないですけれど……生活費が稼げればいいって考えですね。慣れた作業をこなしていくだけで、あとは趣味を楽しんでいければ、それで……」
ポリポリと、頬を人差し指で掻く。
正直、接客業も嫌だし、面接を受けることも、新しい作業を覚えることも、億劫だ。
「私の周りもそんな感じばかりで……まぁ、私よりも仕事に対する熱意がある友だちばかりですけど。だから、数斗さんみたいに目標を持って働いてるっていいですね。こういう違いがあるのに、出会うってなんか不思議じゃないですか?」
「そう?」
『じゃあ運命の出会いだ』
「特殊な出会い方ですものね」
『うん、運命的な一目惚れをした』
弾んでいる心の声。
運命か……。
お昼に話したことを思い出す。
百年の孤独から救ってくれる純愛ストーリー。
ヒロインの相手は、心を読める特殊能力を持つイケメンヴァンパイア。
だから、ついでに、心を読める能力について尋ねた。
数斗さんは、やはり、私を美化しすぎている。
私の全部を愛せるだなんて。
私がこんな能力で、数斗さんの心の内を盗み聞きしていると知ったら、どんな風に心変わりするかな。
……でも、それさえも、愛してくれたりするのかしら。
なんだか。数斗さんなら、運命の愛を描いたストーリーを、実現化しそうな気がして、微笑ましかった。
そして、うっかり、数斗さんに愛される人は幸せだろうと思ってしまい、それをポロッと言ってしまったのだ。
現在、数斗さんが愛したい人は、私だと言うのに。
なんたる失言。
期待を膨らませた数斗さんに、心臓を爆発しそうになった私は、慌てて逸らした。
そんな発言をはぐらかせたのだけれど、数斗さんとしては。
私には、幸せになる愛を受け取るべきだという考えがあって。
数斗さんは私が自分の愛を受け取ってくれるだけでも幸福感を覚えるから。
だから、素敵な愛の形じゃないのかって。
そんなことを、隣で思ってくれていた。
それは本当に、数斗さんに甘えすぎではないだろうか。
じゃあ、私は?
数斗さんには、どんなお返しが出来るの?
一方的な愛ではないか?
それって、本当に素敵?
数斗さんは、尽くしすぎる。
愛するだけで幸せだなんて。
相手にも愛を求めればいいのに。
なんて。大した愛は返せない私が、言えることじゃないか。
数斗さんだって、人間だ。完璧な紳士だと、美化しすぎてはいけない。
そのうち、欲を出して、お返しの愛を求める。
……でも、数斗さんなら、私が幸せそうに笑うだけで、本当に満足しそう。
だから、ついつい、あんなことを口にしてしまった。
友だち以上の恋人未満な関係。
”君が俺の運命の相手だ”って、告白したい気持ちを堪えて、ただ私に安らぎの時間をくれた。
初めての数斗さんの部屋で、すっかり寛げたのは、そのおかげだ。
寝てしまったのも、そう。数斗さんが尽くした結果。
私は、数斗さんに甘えすぎている。
昨日からそう。
いや、きっと、出会ってからそうなんだ。
なんて言おう。
今、甘えていい友だちとして付き合うって話したばかりなのに。
数斗さんと微妙な関係は、一体どうするべきなのだろうか。
甘えてばかりではいけないって。
ちゃんと言うべきかな。
そうだよね。
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2023/03/01




