16 天使のツブヤキは癒し。
さて。
ずっと蚊帳の外だった真樹さんに、どう説明しようか。
「古川。例のアカウント、見せて?」
「……本当に、見るんですか?」
「そうだよ。今のじゃあ、まだ弱いでしょ」
『何その不安そうな顔。自分は悪意を読んでおいて、おれ達を気遣ってんの? しょうがない子だ』
背凭れに凭れながら、新一さんが手を差し出すので、私は躊躇しながらも例の裏アカを開く。
新一さんに呆れた声を出されたけれど、やっぱり、傷付く声を聞いてしまうとなると、躊躇する。
特に、真樹さんだ。
見やると、戸惑ったような顔で小首を傾げた。
「というか、数斗さん……このアカウントのこと、全然言わなかったですね」
「とーぜんでしょ。バレてるってわかれば、消しちゃうだろ。アカウントなんて、すぐ消せちゃうんだからさ。これからのこともツブヤキさせておいて、全部スクショしてやる」
『そんでグループメッセージで、晒してやる』
全部証拠を取っておくためにも、裏アカの存在がバレているとは、あえて言わなかったそうだ。
そっと新一さんに渡せば、真樹さんも背凭れに肩を押し付ける形で、私の携帯電話を見つめた。
「はぁ……?」
「っ……」
想像を遥かに超えた酷さに、新一さんはドスの効いたような低い声を出し、真樹さんも絶句する。
『なんだよ、これ。酷いにもほどがあるだろうが……! これを、古川が見たのか? おいおい……おれ達を気遣ってる場合じゃねーだろ。ほぼ全部、古川への悪意しか書かれてねぇ! 真樹のことで、ブチギレたとは聞いたけど……!』
「はぁ~! ホンット……容赦しねぇ、あの女」
『今の自供じゃ足りねぇ! いや! こんなドス黒い腹黒から、アレだけでも出せればいい方か!?』
ぐしゃぐしゃと前髪を荒らした新一さんは、もう真樹さんに私の携帯電話を手渡して、自分の携帯電話でもその裏アカを見付け出して、スクショを保存する作業を手早く始めた。
『嘘、だろ……これ、マナちゃんの? チョロ男って、おれのことだよな? 悪口書いた挙句に、利用って……! しかも、あとは全部、七羽ちゃんの悪口? 酷すぎる……! あのマナちゃんが? え? 信じらんねぇ……』
「だ、大丈夫、ですか?」
「えっ……?」
顔色を悪くしている真樹さんに声をかけると、ポカンとした表情になる。
新一さんまで、作業の手を止めて、私の顔を凝視した。
『いや、お前…………一番大丈夫なのかって尋ねられるべきは、お前だから』
『七羽ちゃん、これ見たんだよね? え? 一番の被害者! 君! き、みッ!!』
ツッコミ。心の声のツッコミが、強い。
コンコン。
窓ガラスが叩かれたので、顔を向ければ、数斗さんが覗き込んで微笑んでいた。
ドアを開けると、そこでしゃがんだ。
「ごめんね、七羽ちゃん。嫌なの、聞かせちゃって」
私の右手を取ると、両手で包んできた。
『やっぱり、聞かせるべきじゃなかったな……』
数斗さんは、申し訳なさそうに、悲し気に眉を下げて、気遣う眼差して見上げる。
「あー、いえ。大丈夫ですよ。数斗さんの誘導尋問、凄かったですね」
「えっ……?」
『んん?』
ナイスファイトと拳を固めて見せて「お疲れ様でした」と声をかけておく。
呆けた顔をした数斗さんは、パチパチと目を瞬いて首を傾げた。
「ブッ! 大丈夫だって! 古川はずっと、ハラハラドキドキしてたから! ククッ!」
新一さんが噴き出すと、お腹を抱えて笑う。
『メンタル強っ! やっぱ楽しんでたんじゃん!』
『えっ……本当に楽しんじゃったの……? 七羽ちゃんが、悪く言われたのに……』
ひーひーっと苦しげな新一さんに、数斗さんは目を点にした。
「本当に、お疲れ様でした。あの人は……?」
「あ、うん。もちろん、帰ってもらったよ? 駅の方に走ってた」
『俺達みんなの視界に入るなら、破滅させてやるって凄めば、青い顔で走っていったよ』
にこり、と笑って見せる数斗さんは、ポンポンと頭を撫でてくる。
笑顔が清々しいのに、物騒なことを言ってるんだよなぁ……。
でも……本当に、数斗さんが私に向けるのは、いつも優しい声だ。
口元を緩ませて、頭の上を跳ねる手を、つい、ギュッと握ってしまった。
『えっ』と、声を零した数斗さんに、我に返って手を引っ込める。
「で、では! 私達も、帰りましょうか! 皆さん、お疲れですもんね!」
『今……すごく可愛い笑みを零して、俺の手を握って…………?』
「そうだな。真樹、一旦降りろ。運転席に移動するから。お前、助手席」
『さっさとあの腹黒女の正体を晒すためにも、色々やんねーと』
数斗さんがぽーっと私の顔を見ている間に、頑張って急かせば、疲れたように息を吐いて、新一さんが反対側から降りろと真樹さんに言った。
あれ? 真樹さん? さっきから静かでは……?
「……飲みに行きません?」
私が新一さんと一緒に真樹さんを見れば、前にある助手席の後ろに額を押し付けた真樹さんが、グスンと鼻を啜り、泣きべそ状態で言い出した。
同じ言葉の心の声は、切実に懇願している。
むしろ、心の中は、泣いているかもしれない。
飲みに行きたい、か。
お酒を飲んで、やけ酒したいのかな……。
「やけ酒ですか? それとも楽しくわいわいして、吹き飛ばすんですか?」
「ん〜流れによる! 飲もう! 七羽ちゃん!」
「へっ? 私もですか?」
「そう! 今日は飲むの! 七羽ちゃん、今日朝から悪意を感じたまま過ごしたんでしょ!? ストレス発散のためにも! 行くの! 行くぞ!! さもなきゃこの携帯電話は返さん!」
「え、ええぇー」
まさか私も参加するように言われるとは思わなくて、素っ頓狂な声を出してしまった。
私の携帯電話、真樹さんが持ったままだ。
「飲む前に、すでにめんどくさい奴になるな、アホ。だけど、真樹に賛成。古川が一番の被害者だし、溜まりに溜まってんなら、吐き出した方がいいだろ。飲むぞ」
『ついでに、我慢しすぎるなって説教してやる』
ひえっ! 新一さんが強制参加と言わんばかりに参加を促しては、心の中で説教宣言してきた。
「い、いえっ! 私なら、さっき、その……泣いてすっきりしましたから!」
「いや、足らないだろ。例えが悪いけど、さっきの腹黒も、裏アカで吐き出しまくるみたいに、どっかしらに吐いてなきゃ、ストレスで潰れるぞ。それとも何か? 古川も裏アカ持ってて、吐き出してるクチか?」
ニヤリ、と意地悪を言い出す新一さん。
『まぁ、あっても、あの腹黒を超えやしないだろうな。絶対』と、謎な信用されすぎている。
「ん? てか、アイツの裏アカ見付けたなら、古川もツブヤキやってんだよな?」
「あ、これか。見てい?」
「ひゃあ! や、やめてください!」
新一さんがすぐに私のツブヤキが確認出来るじゃないか、と真樹さんの手の中を見た。
真樹さんも気付いて、許可を求める。
慌てて手を伸ばすけど、新一さんに手で遮られた。
「なんだよ。ホントに鬱憤でも吐き出して書き込んでるのか? 残念だったな。カギかけてないなら、おれ達は見れる」
「なっ! い、意地悪!」
「はははっ! おれはこういう人間だ」
「悪役っぽいですよ!?」
高笑い気味に笑い声を上げる新一さん。めちゃくちゃ楽しそう……!
「いいじゃーん。見られると恥ずかしいの?」
けらりとする真樹さんは、ちゃんと私の了承を待ってくれている。
なんだかんだで、新一さんも私の返答を待つ。
「はっ……恥ずかしい、ですっ……」
見られると、本当に恥ずかしい!
か細い声を絞り出して、真っ赤になる私を見て、動きを止めた三人は。
『『『……エロい、のか?』』』
と、出会って初めての下ネタ思考に行った。
ち、が、い、ま、すっ!!
何故ピッタリと息を揃えて、そう思ったの!?
「た、ただの、日常的な、つまらないツブヤキでして!」
「なら、問題ないな」
「ああぁっ!」
新一さんは短気なようで、無情にも私のアカウント画面に飛ぶためにタップした。
「「…………」」
『は? 天使か?』『天使かな?』
「も、もうっ! やめてくださいっ!」
無言で見つめながら、新一さんと真樹さんが、変な感想を心の声で零す。
恥ずかしすぎて、赤面を両手で隠すのが精一杯だ。
「何が書いてあるの?」
『見たい。七羽ちゃんが恥ずかしがっているのは、何故だ。見たい。見えない』
私が間にいるし、車の外に立っている数斗さんは、ソワソワとしている。
「今日のこと。【最近友だちになった方々と遊園地に来ました。超楽しい。この人達といるの、ホント楽しくてしょうがない! 最高!】って、はしゃいだ感じの顔文字入り……アトラクションの写真付き」
『バリクソ天使。愚痴一切なしで、楽しいって書いてるだけ……この子、純真無垢な天使? いや、天使だ、絶対』
真樹さんが、読み上げてしまう。
「【新しい友だちは、親切で素敵なお兄さんって感じで、妹みたいに可愛がってくれて、照れるけど嬉しいなっ】って……あの裏アカのあとに見ると、浄化されるな? 天と地だな? 天国と地獄?」
『クソ可愛がる。絶対に甘やかして可愛がる』
新一さんまで読み上げては、心の中で変な決意を固めた。
「も、もうっ! ご勘弁くださぃ……!」
悲鳴のように零しては、手を伸ばす。
あっさり取り返せて、ホッとした。
「俺も見たい。アカウント名は? IDは?」
『見たい見たい見たい』
落ち着いて、数斗さん。
私は見せることを拒むように、胸に抱き締めた。
シュン、と悲しげな表情で私を見つめてくるから、うっ、と呻きたくなる。
「アカウントIDは、ローマ字でNANAとHANEとアンダースコアとcat」
「ひえ!?」
新一さんが、さらりと私のアカウントIDを口にした。新一さんも真樹さんも、自分のアプリから検索している最中で、私にフォローされたという通知がピコンと届く。
シュババッと無言で検索しては、迷いなくフォローした数斗さん。
今日のツブヤキに、いいね、を連打する。
落ち着いて! 数斗さん!
「えっ! ちょっと待って! アイコンのイラスト! 自分で描いたの!? 可愛いね!?」
「へぇ、先月変えたのか」
「翼を生やした猫……可愛い……。このイラスト、保存してい?」
『絵を描くとは、知らなかったな……保存。七羽ちゃんのイラスト用フォルダーも作ろう』
どこまで遡って、私のツブヤキを三人で見てるんですかッ!?
「大したものじゃないですよ……中学でイラストデザイン部だった名残りといいますか……息抜きにたまに、タブレットでラクガキを」
「これがラクガキなの!? あ、野良猫の写真だぁー。わぁ、癒される〜。浄化される〜。天国行けそ〜」
真樹さん。今、私のアカウントのメディアを漁ってますね? 私のラクガキを発掘してますね?
って! 数斗さんのいいね通知が鳴り止まない!
ん?
今度は、いいねじゃなくて、シェアされたツブヤキがある……?
確認してみれば……。
【最近、仕事の帰り道が楽しいな。ついつい、ゆっくり歩いちゃう】
……数斗さんと電話して思ったことを、書き込んだツブヤキ。
頭に突き刺さる視線。顔が上げられない。
耳まで熱くなった。
「も、もぅ、そんな、見ないでくださいっ……! 今後、何もツブヤキが出来ませんッ」
「いいんだぞ。お兄ちゃん達と一緒にいて楽しかったって、正直に書いても」
「うんうん。いっぱい書いて」
「意地悪すぎますっ!」
なんて意地悪なお兄ちゃん達なんだ!
一方は、意地悪にニヤついてるし、もう一方は、生温かい目で見てくる。
パタン。
急に真横のドアが閉まったので、びく、とする。
速やかに真樹さんと新一さんが車を降りると、数斗さんが代わりに座った。
ううっ。
顔、見れない……!
一方的にフォローされるわけにはいかないので、三人のものであろうアカウントをフォロー。
ついでに、チラリと彼らのツブヤキを覗く。
真樹さんの最新のツブヤキは、ランチのチキンと新作アトラクションの写真で【遊園地で楽しんでるぜ、イエーイ♪】と書かれていた。
新一さんの方には、【惚気】の一言を添えたスクショ。
数斗さんのツブヤキだ。
私のシェアしたツブヤキの上に、書かれていたのは【可愛すぎる】の一言。
隣を見れない。呻きたくなった。
熱で魘されたみたいに、クラクラしそうだ。
「んで? どこで飲む?」
「えっ! 本当に飲みに行くのですかっ? でも、そうなると、お酒を飲まない人が……」
「いいよ。飲まないで俺が、ちゃんと送るから」
『俺のことは気にしなくて大丈夫』
数斗さんの車だし、必然的に数斗さんがお酒を我慢することになるのではないか。
それでつい、顔を見れば、優しく微笑まれた。
「それにちょうど夕食時だしね」
「あ、おれが七羽ちゃんの分、おごる。せめてのお詫び。おれがまた、悪女と引き合わせちゃったし……てか、今日の遊園地代も、おれに持たせて!?」
「そ、そこまでしなくても」
「遠慮すんな、古川。あの悪女に、いい子ぶって仲良しアピールのために、引っ付かれてたじゃん。ストレス半端ないだろ。おれ達のお詫び、受け取れ」
ひらりと片手をひと振り、新一さんは車を動かす。
「そうだった! あんなボロクソ書いといて、七羽ちゃんにくっ付いてたとか! もう人間不信になる……人間怖い……。もう地上に七羽ちゃんみたいな天使だけが居ればいいのに……」
「真樹さん。それは最早、天国では?」
「そうだ、天国に行こう」
「早まらないでください」
真樹さん。天国に行くのは早すぎます。
「天使天使って……そんなに、私はいい子ですか?」
「えっ? 逆に、悪い子だと思ってんのっ?」
「それはないとは、自負してますけども……」
『自己評価低すぎるな……説教だ』
真樹さんに答えれば、新一さんに改めて説教コースを確定された。
な、何故っ!? 説教!?
「浄化されるとか……大袈裟ですよ。あの裏アカが酷すぎただけで、私のは普通ですよ?」
『『『その普通がありのままだから、天使なんだよなぁ』』』
…………何故。解せぬ。
「俺のツブヤキを見て、比べてみなよ」
なんて、数斗さんが持ちかけた。
『七羽ちゃんへの惚気ツブヤキを本人に見ろ、と?』『古川への惚気ツブヤキを本人に見ろ、と』
真樹さんと新一さんの心の声を聞いて、数斗さんのツブヤキを見ることに、躊躇を覚える。
何をツブヤキましたか……数斗さん。
ハッ、とする。
「あ、あのっ……つかぬことを伺います」
「改まって……何かな?」
「ツブヤキ……誰と繋がってます?」
「ん? リアルで仲良い人達だけだよ?」
「…………そ、ソウデスカ……」
にこり、と笑みで答える数斗さん。
『クッ! もう数斗の親しい友だちに、可愛いと認識されてる子だって、知られるな』
新一さん。あなたも共犯じゃないですか……。惚気って、スクショ付きでツブヤキましたよね……。
頭を抱えたい。
「あ。古川、一応、カギかけとけよ。知らないだけで、また数斗狙いのヤバい女が繋がってるかもしれないから」
『あ! 考えてなかった!』
新一さんが、フォローを任意にして、ツブヤキを見る人を限定するためのカギをかけろと忠告。
それで無防備にも、私のツブヤキをシェアしてしまった数斗さんが焦る。
じゃあ、さっきのは、取り消してくれるのかな、とじっと見た。
『……取り消さない。守るから』
私の視線に気付いた数斗さんは、笑みで淡い希望を跳ね除けた。
「いやいや! 流石にもうないでしょ!? マナちゃん、いやっ、沢田はともかく、もう悪女はいない! はず! ……だめだ、人間怖い」
「自己防衛しとけよー。なんか絡まれたら、ソッコーでお兄ちゃん達に報告すること」
「新一が、ものすっごいお兄ちゃんになった……」
数斗さんは、自分のフォロワーを確認し始める。私に害を及ばすかもしれない相手を洗い流しているもよう。
助言に従って、私もカギかけておこうか。
「あ。これ、美咲ちゃんの悪口じゃん! これまたボロクソにッ! これもスクショして、美咲ちゃんに教えておく?」
また腹黒の裏アカを遡ってツブヤキを確認していた真樹さんが、ギョッとしては証拠残しでスクショ保存をする。
「は? 一番の親友だって言い合って、いつもベタベタしてたじゃねーか……。はぁ……喜べ、真樹。アイツは人間じゃない。――――ヘドロだ」
「「「ぷはっ!」」」
新一さんが真剣な声音で言い放つものだから、衝撃なヘドロ呼びも手伝って、三人で盛大に噴き出して、大笑いした。
新一さんも、肩を震わせて笑っているとわかる。
意外にも帰りの車の中では、みんなで、和気あいあいな雰囲気となれた。
こうして、天使認定されたヒロイン!
天使のツブヤキと、悪魔のツブヤキ……いや、ヘドロのツブヤキ?
ちょっぴり意地悪な新一お兄ちゃん。
空気が読めてノリがよい真樹お兄ちゃん。
そんなお兄ちゃんポジションで、甘やかす! よき友な二人です!
昨日は見事に更新し忘れした! やらかすとは思ってました!
すんません!!
次回、飲み会!
2023/02/19