クラーケン
「うぅ……。子供扱いするなー」
「キュアノは撫でてほしかったんじゃないの?」
「そ、そうだけど……」
キュアノは素直ではない。何とも捻くれた性格。領民に嫌気がさしている彼女はこれからも仕事を続けていけるだろうか。カエルラ領でしかできない仕事はすでに見つけているので、そちらに転職するかもしれない。でも、それはそれでいい選択のように僕は思う。
手を放そうとすると、キュアノは僕の手首を持ち、放そうとしない。まだ、頭を撫でられ続けたいという意思表示だろうか。
「もっと撫でて……。このまま寝るから、起きるまで一緒にいて」
「領土の半分が浸水しちゃっているのに、仕事をさぼっていいの?」
「今は昼休憩。仕事中の休憩は社会人の真っ当な権利でしょ!」
キュアノは僕に吠えると、そのままうつ伏せになって眠り始める。まあ、彼女の言い分もわかる。冒険者は好きな時に働き、好きな時に休める。勇者が仕事の強制される社会人なのだとしたら、昼休憩がもらえて当然だ。
僕は頭が撫でにくかったのでキュアノの隣に座り直す。すると、彼女はぽてっと倒れ込んできて頭を膝に乗せながら寝息を立てる。
子供のようだなと言ったら彼女は怒るのだろう。だが、さすがに寝顔が幼過ぎる。
僕はキュアノに膝枕しながら勉強用の単語帳を開き、高等部卒業資格が取れるように努力する。
ざっと一時間ほど経った頃……、事態は急変した。
カエルラ冒険者ギルドまで浸水し始めた。冒険者用のブーツを履いているため、ある程度なら問題ないのだが、すでに八センチメートルを超えている。水嵩は増え続け、止まる気配がない。加えて、時おり地面が跳ねまわる。まるで、地下に何かがいるような……。
「ギルドマスター! 都市部でも大量の水が吹き出しました! 加えて巨大なタコ足が!」
ずぶ濡れの青髪冒険者がカエルラギルドに連絡に来ていた。
丸眼鏡を付けたギルドマスターは状況が理解できないのか、カウンターに乗り上げて外に繋がる正面出入口から外に出た。
「う、うわ、うわぁあああああああああっ!」
ギルドマスターは足下がおぼつかなくなるほど腰が抜けた様子で戻って来た。あまりにも弱々しいため、彼が本当にギルドマスターなのか疑わしいほど。
「きゅ、きゅ、キュアノさん、キュアノ様! お、お助けください!」
もう、何か神に拝むような必死な形相を浮かべるギルドマスターは寝ているキュアノに泣き着いた。ただ、まだ、寝ていたかったのか、キュアノはギルドマスターの首に蹴りを一発入れる。すると、ギルドマスターが簡単に気絶してしまった。
おそらく、戦闘経験の無い博識な男性だったのだろう。そんな方がギルドマスターに選ばれる背景に、お金儲けしか考えていないカエルラ領の領主が関係しているのかな。
水死されても困るので、外の状況を伝えに来た冒険者にギルドマスターを安全な場所に運んでもらうよう伝えるが……、
「もう、安全な場所なんてねえよ! 高給取りの癖に肝心な時はいつも何もできねえ雑魚なんか放っておけばいい。もう、この領土は終わりだ。これで、俺の借金も帳消しになってくれりゃあ、最高だな!」
青髪の男性はジャバジャバと水音を立てながら走り去っていった。
受付嬢や他のギルド職員たちはどうしたらいいのかわかっておらず、未だに椅子に座っている。なんなら、浸水している水を足で蹴って遊んでいる姿までみてとれた。
自分達で考えるという行為を放棄しているかのよう……。
とりあえず、ギルドの入口から水が入ってきているのでそこを塞ぐ必要がある。加えて、ギルドは他の建物と比べても高い。屋上に逃げれば浸水の被害を受けずに済むはずだ。
僕は眠っているキュアノとギルドマスターを建物の屋上に移動させる。
屋上に繋がる扉はこじ開けさせてもらった。
屋上は広々としており、転落防止の柵が周りを囲っている。周りの建物よりだいぶ高いので、キュアノを横たわらせ、羽織っていた外套を布団代わりに掛ける。
ふと、僕たちがいる場所が暗くなる。雲が日を覆ったのかと思ったが、そうではなかった。水路から巨大なタコ足が天高く伸びていた。あまりにも巨大で石畳を破壊しながらもっと高く伸びていく。そのまま、水面に勢いよく叩きつけると巨大な水しぶきが舞った。加えて建物も破壊され、海の藻屑と化す。
「な、なんだあれ……。デカすぎないか……」
他の建物より高いカエルラギルドの本部より、タコ足の方が高い……。あれほど巨大なタコ足を持つ生物を僕は一体しか知らなかった。
「クラーケン……。そんな、なんで討伐難易度特級の魔物がカエルラ領の中に……」
僕の行く先々で、なぜこうも凶悪な魔物が姿を見せるのか。僕が呪われているとか、ありえるのか。ただでさえ、火山灰でカエルラ領の観光業が止まり、人々の生活もままならずボロボロのカエルラ領が謎の浸水で悩まされ、大量の海水と混ざって沈みかかっている。そんな中で、クラーケンまで……。
巨大なタコ足が一歩なら、まだいいが……、巨大なタコ足が八本も現れている。あのタコ足がじだんだを踏めば、それだけ多くの建物が破壊される。巨大な水しぶきで大切な品が何もかも流されていくだろう。人も動物も、何もかも……。
「無理に刺激したら逆に暴れ出すかもしれない。『無心』で止めて、少しずつ解体しよう」
僕は八本あるうちの一本に向って白い杖の先を向けた。『無心』を掛けると、一本のタコ足はへたりこむ。
「よし……。これで……。あれ?」
僕はクラーケンと思われる魔物に『無心』を掛けたつもりなのだが、一本は動かない、でも他の七本はウネウネと動き続けている。
「ど、どうして……」
「主、あの巨大なタコ足は一本につき一つの脳があるようです。全てを『無心』にさせるのは不可能です。クラーケンは頭部に加え、足八本分の脳があるため、九つの脳を持った魔物と水族館で見た本に書かれていました」
僕の頭上を旋回しながら飛んでいるアルブはクラーケンと思われるタコ足の情報を教えてくれた。どうやら、あの化け物を『無心』で簡単に倒せるような存在じゃないらしい。




