『無休』
「僕、地面がへこむほど重い黒卵さんを普通に持ててるのってなんでなんだ……。いや、そんな無駄な思考は捨てろ。今は走ることだけに集中するんだ」
僕は眠たい中、恐怖の権化だったフレイを振り切り、アイクさんのお店に到着した。良くも悪くも、目が覚めていた。
「キース、何で髪にケチャップをつけているんだ?」
アイクさんは僕の髪を見て、当然の如く質問してくる。でも、説明する時間と体力が今の僕に無い。
「はぁ、はぁ、はぁ……。いろいろありまして……。僕、髪のケチャップを落とすので先にお風呂に入りますね」
「風呂は沸かしていないから水風呂だぞ、それでもいいのか?」
「はい……、逆に目が覚めていいかもしれません」
僕は脱衣所で服を脱がずに風呂場に入る。風呂の水を桶で掬い、滝のごとく頭上からぶっかける。
水を頭上から何度もぶっかけて髪に着いたケチャップを落とす。
お風呂の水は身が震えるほど冷たく、一瞬だけ思考が冴える。でも、すぐに元に戻る。
前髪から滴る水が透明になったころ、僕はお風呂場から出る。
脱衣所に置いてある鏡を見ると、髪は白色に戻っていた。
僕は髪を乾かさずに全身が濡れた状態で薪割りに向う。濡れた髪を処理する時間すら惜しい。
裏庭に到着した途端に残しておいた緑の瓶の蓋を開けて一気に飲み干した。
苦いという味覚すら感じず、睡魔だけが消えていった。
だが、体の疲労は溜まりきっているので、体の方が限界を迎える可能性がある。
「うだうだ考えても仕方がない。ここまで来たらやるしかないんだ」
僕は斧を持って薪割りを再開した。
☆☆☆☆
今の時刻はゼロ時。
一五時間、木を割り続けて丸太の一部は四〇〇個から二五〇個終わっていた。
今の時点で残りの丸太の一部は一五〇個。
ゼロ時になった時、最後のガラス瓶の中身を飲んだが、効いているのかはもうわからない。
残り七時間。残っている丸太の一部が一五〇個だとすると一個当たり三分で割らないとぎりぎり間に合わない……。
はじめのころより少しは速くなっているはずだ。
だが、ほんの数十秒が縮まらない。
「くっそ……。こんなところで諦められるか、考えろ……。どうやったらもっと早くなる。どうしたら、時間内に間に合うんだ!」
僕は両手でしっかりと持っている斧を丸太の一部に思いっきり叩きつけた。
三〇センチメートルの高さがある丸太の一部が、真っ二つに綺麗に割れる。
「はぁ、はぁ、はぁ……。力は付いているのに、なぜか速度が上がらない。まるで、重しをつけているみたいだ」
なぜ、こんなに体が重く感じるんだろうか。二徹目で体力の限界もあると思うが、それ以外にも原因がある気がする。
僕は台から落ちてしまった薪を再度乗せるため、拾いに向かった。
「うわっ!」
僕は眠気からか足下がおぼつかずに、またしてもこけてしまった。
その反動で、背中に紐で縛り付けていた黒卵さんが前に飛び、地面に落ちた。
重々しい音と共に地面が凹んでいた。
「も、もしかしたら……、黒卵さんが重すぎたのが速度の上がらなかった原因かも。でも、走る時はずっと持ってたのに何も感じなかった」
僕は驚きが大きかったのか、眠気が少し薄れていた。
「さっきのままやっていても間に合わない可能性が高い。それなら、一か八か……、黒卵さんを手放して薪割りを再開してみよう」
僕はこの二週間、片時も離れなかった黒卵さんから初めて離れた。
いつも傍にいた黒卵さんがなくなり、不安感が込み上げてくる。
だが、この時気づいた。
僕は黒卵さんに頼らないと言っておきながら、心の面で支えられていたことに。
「そうか……、僕は黒卵さんがいたから、ここまでこれたんだ。支えあっていても、最後に頼れるのは自分だけ」
誰でも最後は一人きりだ。
この仕事の意図を思い出せ。
僕が一人でもやっていけないといけないんだ。だからこそ、今この瞬間、この夜は僕の力だけで乗り越えなければならない。
はっきり言える。今は僕の人生で一番つらい時だ。
頼る人はいない。物もない。支えてくれる人や仲間もいない。孤独……。
加えて極限状態、不安、恐怖、この状況を、一人で乗り越えないといけない。
僕は黒卵さんを視線に入れないようにするため、背が向いている方向で最も遠い所に置いておいた。
「さぁ……。ここからは一人だ。己に打ち勝たないと道は開けない! おらっ!」
僕は斧を持って、木を薪にしていく。明らかに先ほどよりも速い。
狂いまくった体内時計を使って計ると三分を多分切っている。
黒卵さんが相当重かったらしく、移動する時間や斧を持ち上げて振りかざす時間が多少なりとも短くなった気がする。
本当に気がするだけで、変わっていない可能性すらあった。
だが、ここで止めるわけにはいかない。
自分に打ち勝つため、恐怖に支配されないために体を動かす。
木を割って、割って、割っていく。
「はっ! はっ! はっ!」
薪はどんどん増えていき、丸太の一部は次第に減っていった。
朝日が昇り始め、光の温かさが肌に突き刺さって来た頃……。
「最後の……、一振り……」
僕は震える手で、最後の木に狙いを定めて振りかざす。
余分な力が抜けた綺麗な放物線を描き、完璧な振りかざしで、木が割れる。
「体力を一〇〇パーセントからゼロパーセントまで、無休で使用されたのを確認しました。よって『無休』を獲得しました」
この音と共に……僕は立ち膝になって眠った。
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