列車の中
「ありがとう、イリスちゃん。凄く嬉しいよ」
「キース君がよろこんでくれてよかった。キース君が知っているかどうかわからないから言っておくけど、私の誕生日は七月七日 だよ」
さっきまで笑顔だったイリスちゃんの顔が大変怖くなる。僕の背筋に怖気が走り、気温が一気に八度ほど低下したように感じた。
「私、もう、一七歳なんだー。キース君からのお祝いがあると思ったけど、なーんにも無かったんだー。それって許嫁に対してどうなのかなー?」
イリスちゃんの鋭く威圧感のある瞳が僕に向けられる。全身から冷や汗が吹き出し、気温の上昇と反対に体温がどんどん低下していく。首筋に冷たいナイフを当てられているような感覚に近く、声を発するのも恐ろしい。
「キース君、かがんで」
「は、はい……」
僕は言われるがまま、かがんだ。すると、首筋に細い腕が回されひんやりとした肌が触れる。僕の今にも溶けそうなほど熱い唇と水枕のように冷たくて柔らかいイリスちゃんの唇が熱を交換しあった。それだけでは飽き足らず、誰が見ても恋人、又は夫婦だと思うような深い愛情表現まで……。
これから、数か月間会えないからと言い訳が飛んできそうだ。筋骨隆々の騎士達が、僕とイリスちゃんを隔離するように広めの通路を横並びで塞ぎ、誰にも気を遣わずに思いっきり愛を伝えられる瞬間が訪れる。
僕はイリスちゃんを抱きしめて少し強引なキスを与えた。後方でせき止められている人々の声が小さな水音をかき消し、現実を教えてくれる。このまま、何十分でも続けられるが、そうもいかない。あと数分で列車が出発してしまう。互いに愛をしっかりと感じあい、唇の熱が当分されたころ、全く同じ熱の皮膚をゆっくりと放した。空気に一瞬で熱が持っていかれ、唇が名残惜しいようにすーっと冷える感覚を得た。
青い瞳がサファイアのように光輝き、僕の瞳を見つめてきている。空のように吸い込まれてしまいそうなほど深い瞳に映る僕の顔もまた、いつもより頬が赤くなってみえた。
「ぷはっ……、これで、誕生日の件は許してあげる」
「あ、ありがとう……。じゃあ、もう時間だし、行ってくるよ」
「うん……。行ってらっしゃい。私はあなたの帰りをずっと待っているから……」
「はは、あなたって……、気が早いんじゃない?」
「こんな淫らなキスしておいて、なにを言っているの~? あ・な・た」
「キスして来たのはイリスちゃんだよ……。まあ、たまにはそう言う呼び方も悪くないかもね。……い、イリス、見上げ話を持って君のもとに必ず帰ってくる」
「はい!」
僕はイリスちゃんと離れる。すると、筋骨隆々の男達も人々を通らせた。すると、思っていたよりも多くの人がなだれ込んできて、少し危なかった。
イリスちゃんを守るように動き、壁際に押さえつける。
「イリスちゃん、大丈夫?」
「う、うん、大丈夫……」
壁際に追い込まれたイリスちゃんの顔が、先ほどよりも赤い気がするのはなぜだろうか。
「キース、もう、時間が無いわよ!」
「そうですそうです! 汽笛の音が鳴ってます!」
シトラとミルが後方から僕に声をかけてきた。どうやら、列車が出発するまで残り一分を切っているらしい。
「じゃあ、イリスちゃん。また」
僕は許嫁の頭を撫で、トランクを持ってカエルラ領行の列車に乗り込む。今回も一番高い車両なので、個室だ。出発するギリギリで乗り込み、事なきを得る。
「はぁー、危なかった……」
「キースがイリス様と場所もはばからず長ったらしいキスをするから……」
「そうですそうです、もう、普通のキスじゃなくて、愛し合っている淫らなキスでしたよ!」
「あはは……、騎士の方達が気を利かせてくれたからつい……。イリスちゃんに寂しい思いをして欲しくなかったんだ」
「もう、優しいんだから……」
シトラはベッドに座り、一呼吸おいていた。ミルもベッドに寝転がり、両手を持ち上げて背中を伸ばしている。
僕は椅子に座り、トランクを床に置いた。イリスちゃんから貰った懐中時計をしっかり見るためにテーブルに木箱を置く。列車の揺れは少なく、心地よいと感じられるほどの振動しかなかったので、落として割れるという心配はない。まあ、壊れてもアルブの力で直せる。
木箱を開けるとプルウィウス王家の紋章が掘られた懐中時計が再度現れた。ドラゴンを彷彿とさせる紋章で、七名の勇者を表す宝石がはめ込まれた王冠を被っている。
「凄い品を貰っちゃったな……。これを見ただけで、ほとんどの人が言うことを聴きそう」
「バカね、聞くに決まってるでしょ。プルウィウス王家の紋章なんて見せられたら貴族も震え上がるでしょうね。まあ、身分証とか、待遇を受けたいのなら見せてもいいかもしれないけど、見せびらかすのも情けないわね」
「まあ、そうかもしれない。僕は普通に時間を確認するためだけに使うよ」
「その方が良いわね。紋章は出来る限り手で隠すようにね」
「わかった」
僕は懐中時計を胸のポケットに入れ、いつでも取り出せるように常備しておく。
「ん、スンスン……、スンスン……」
シトラは鼻を鳴らし、箱を覗き込む。
「もしかして」
シトラは箱の中に手を入れ、布を摘まむ。そのまま、懐中時計が壊れないように緩衝材になっていた部分を外す。箱の内側にヒラヒラの布と手紙が仕込まれていた。
『愛する旦那様へ』と書かれた手紙を手に取り、二つ折りにされていた紙を開ける。達筆で書かれている文章の量は大して多くない。
『この手紙に気づくのはシトラちゃんかミルちゃんだよね。もし二人が先に気づいたら手紙をキース君に渡してね。えっと、キース君、お誕生日おめでとう。王家が使う特注の懐中時計を送ります。貴族に紋章を見せながら〝控えろ〟と言えば〝はは~〟となるでしょう。無暗に人を使っちゃ駄目だからね。そっちは表向きの贈り物で、もう一個贈物があります。使ってくれると嬉しいな~』
「えっと……、これをどう使えと……」
僕はイリスちゃんのパンティーを指でつまみ、苦笑いを浮かべた。なんなら、微妙に湿っぽい。
「こ、これ、イリス様がさっきまで履いていた下着なんじゃ……」
「えぇ……、じゃ、じゃあ、あの時のイリスさんって下着を履いていなかったのかも……」
シトラとミルは頬を赤らめ、僕は額に静脈を浮かばせていた。




