極限中のトラウマ
「あ!」
直ぐに手を伸ばし取ろうとするも重力には逆らえず、瓶は無慈悲にも落ちていく。
「無色魔法:『無重力』対象:三本の瓶」
「え……」
三本の瓶が一瞬だけ停止し僕の手が追いついた。
「よく間に合ったな。反射神経がまだ残っていたのか」
アイクさんは首をかしげながら感心したように言ってくる。
――黒卵さん……。ありがとう。
黒卵さんからの返事はなかった。
でも、また助けてもらった。
僕が黒卵さんにしてあげられるのは傍にいて温めるだけ。それなのに、黒卵さんに何度も命を救われた。
――いつか必ず恩返ししますから。
「それじゃあ、次のビラ配りまで頑張れよ」
「はい。全力でやりきります」
アイクさんはお店の方に帰っていく。
僕は二本のガラス瓶を安全な場所において一本のガラス瓶の蓋を開けた。
開けた瞬間、この世の物とは思えないにおいが眠気を軽く飛ばす。
「うぐっ! く、臭い……。こ、これ飲み物なのか。でも、アイクさんがくれたんだ。飲めるはず。こんなにおいで僕が恐れると思うなよ」
僕は鼻をつまむことなく液体を喉に流し込んだ。
「あが……、の、喉が……焼ける……。に、苦すぎるでしょ……」
僕は体中から訳の分からない程冷や汗をかき、背中から怖気が走る。
その状態が一分ほど続き、悪寒が止まった。
「はぁ、はぁ、はぁ……。き、気持ち悪かった。でも、凄いすっきりしたぞ。眠気も飛んだ。これなら、まだ仕事ができる!」
僕はポーションを飲んで活力を取り戻し、仕事に打ち込んだ。
☆☆☆☆
徹夜して作業していた午後四時頃……。
「う、すごい、今が一番眠たい」
『今、寝ないなんてありえるの?』って体が言っている。
「ありえるんだよ。僕は寝ないんだ……。ごめんね、体……、明日の午前七時から死ぬほど寝かせてあげるから……」
僕はアイクさんのお店に向い、調理室でビラを受け取ると舌を噛みながら走った。
そうしないと、体の疲労、眠気によって起きていられなかった。
アイクさんから貰ったガラス瓶を何度飲もうと思ったか。
だが、今飲んでしまったら、あとで後悔すると思い、絶対に手を出さなかった。
「このビラを配り終えれば、一度回復できる……。峠を越えて、一度眠気が冷めたけど……。この覚醒状態がいつまで持つか分からない」
きっと一時間も持たないだろう。なら、一時間でほとんど終わらせる。
最後の方はゆっくりでも確実に配れば、午後六時前には帰れる。死ぬ気で走る前提だけれど。
――ここで寝たら、シトラには一生会えない! ここで寝たら、シトラには一生会えない!
何度も何度も頭の中で叫び、時々……。
「うおおおおおおおおお! 負けるかああああ!」
大通を走りながら大声を出して、僕は眠気を吹き飛ばした。
きっと周りからは不審者としか思われていなかっただろう。
今日、大雨が降っていたら達成できなかった。でも、今日は快晴だった。
神様も僕を応援してくれている。
僕に、支えてくれる人がいる。その思いに答えなければならない。
――今度は僕がシトラを支えられる男にならなければならないんだ。
気絶しかけるたびに舌を噛んで、痛みで自我を保った。
体の傷が治りやすいお陰で、舌を噛んで血を出してもすぐ止まる。
なら、この痛みに頼るほか、僕が眠気に勝てる方法がない。
最後の手段がアイクさんに貰ったガラス瓶なんだ。
――そこまで持ちこたえれば……。え……、何でこんな時に、あの男がいるんだ。
僕の行く手にはトラウマの権化、赤色の勇者と知らない男が肩を組んで歩いていた。
「なぁ、フレイ。今晩はどこの店に行くんだ?」
「そうだなー。やっぱり高級な娼婦がいるところがいいだろー。低級はやり飽きたぜー。勇者なんだから高級店でもやって食って飲みまくるぞー、どうせただだからなー」
「さすがに、ただは無理だろ」
「魔物が来ても追い払ってやんねーぞーっていえば余裕よ」
「はは、さすが赤色の勇者だな。お前といると金が浮いて助かるぜ」
「あたぼうよ。親友のお前だから、特別だぜー」
「お、おう、俺達、親友……だもんな」
――どうしよう。時間が無いのに、こんなところでよりによってフレイに合うなんて。迂回するか……。
街の人がみんな、フレイを気にして道を開けているから、ここを突っ切ったらさすがに目立つ。
でも、時間がない。今のフレイなら酔っているし、思考が鈍っている可能性が高い。
――って、寝不足の僕も同じ状態じゃないか。
冷静に判断しないと本当に終わる。相手はフレイだ。
今日もこの場で、のこのこと生きているのが不思議な男なんだ。普通なら捕まっていないとおかしい。なのに……。
ダメだダメだ、今はフレイに構っている場合じゃない。
僕は少しでもバレないようにするために、露店で売っていたトマトケチャップを銀貨一枚で買った。
――これを髪に塗り手繰って、白い髪をマゼンタ色にして……。走り抜ける。そうすれば目立たないはずだ。
僕の部位で一番目立つのがこの白い髪。だったら、それを周りにたくさんいるマゼンタにしておけばいい……。
僕はトマトケチャップを髪に塗り手繰る。
以前被った腐ったトマトに比べれば凄くいい匂いだった。
「ここは一気に駆け抜ける!」
僕は道を全力で走った。絶対に大丈夫。そう決めつけて……。
「あー。おい! 道を走っている、そこの赤髪!」
酔っぱらったフレイが背後から話しかけてくる。
「え……」
――何で。話しかけてくるんだよ!
「お前……。どっかであったか……」
「い、いえ……。赤色の勇者様とは今日、始めて出会いました……」
「んー。そのうざったい眼……、どっかで見た覚えがあるんだよなぁ……。どこだったかな……」
「お前、人の顔覚えるの苦手だからな。あんな奴ほっておけばいいだろ。お前が用あるのは、黒髪なんだろ。あんな中途半端な赤髪はほっておけよ」
「まーそうだな。俺様みたいな完璧な赤色だったら、戦ってやってもよかったが、雑魚に用はねえ。さっさと消えろ」
「は、はい……。失礼します」
――よ、よかった……。これで、お店に帰れる。うっ……、めまいが……。うわっ、しまった!
僕はその時、眠気が限界すぎて道端の石に躓いて転んだ。そのせいで、抱えていた黒卵さんの入っている革袋が空中を舞った。
「え……。地面が凹んだ」
多くの人に押し固められてできた道の地面が黒卵さんの落ちた部分だけ辺りに罅を走らせながら凹んでいる。
「なははははは! だっせー! 間抜けすぎるだろー! 皆もそう思うよなー!」
「わ、わははははは!」
フレイはこけた僕を嘲笑い、周りの人たちに笑うのを強制させるような発言をした。
――別に笑われるのは慣れてるし、こけたのは本当に間抜けだからいいんだけど。それより、黒卵さん、いつの間にこんな重くなっていたの。
周りの人はこけた僕の方に注目しているため、革袋の方はあまり気にされていないみたいだった。
僕はすぐさま立ち上がり、地面に食い込んでいる黒卵さんを抱えて再度走り出す。
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