心の疲れ
「すうぅ……、すうぅ……、すうぅ……。はぁ! い、今何時!」
僕はベッドから飛び起きて、壁に掛けてある時計を見る。
「うわ! 六時五五分! 寝坊だ! って……、あぁ、今日は休みなんだった。朝食は七時からだったな。丁度五分前だし、朝食を食べに行こうかな」
僕は朝から感情の緩急が激しかったが、いったん落ち着いて調理場に向った。
料理が調理台にすでに置いてあった。二人分あり、いつもと料理が違った。量も全く違う。
「アイクさん、おはようございます。僕の朝食はどっちですか?」
「キース、起きたのか。お前の朝食はこっちだ」
アイクさんが指を刺したのは量が多めの料理だった。
「わかりました。それじゃあ、いただきます」
僕はお腹が空いていたので両手を握り合わせて神に祈り、すぐに食べ始める。
起きてすぐなのに食欲はあった。
料理と共に置いてあるコップ一杯の水を、飲み干す。
「ふぁ……、おはよう……。あ、今日はキース君もこの時間なんだ」
ギルドの受付の衣装を着たミリアさんが眠たそうな声を出しながら、眼の下を手の甲でこすり、調理場にやってきた。
「おはようございます。今日、僕はお休みらしいです」
「あぁー、休み……。いいねぇ、休み。私も休みたいなー。アイク、いつになったら私を専業主婦にしてくれるのー」
ミリアさんはアイクさんの方を向いて料理が置いてある調理台の近くに座る。
「お前は仕事以外何もできないんだから、料理を食って仕事にさっさと行け」
アイクさんは振り向きすらせず、大きな鍋に入っているビーフシチューを煮詰めていた。
「はぁーい、行きますよー。行けばいいんでしょ、行けばぁ。まぁ、ヒモになるのは性に合わないし、仕事嫌いじゃないし、アイクと仕事するのは絶対に無理だし」
ミリアさんはぶつぶつ言いながら椅子に座り、両手を握り合わせて神とアイクさんに祈っていた。
「仕事に行くためには朝食を食べないとねー、これがないと活力が湧いてこないよ。それじゃあ、いただきまーす!」
ミリアさんは朝食を食べ始めた。
ミリアさんの料理はあまり多くないのですぐに食べ終わってしまった。椅子から立ち上がり、仕事に行こうとする。
「ほら、昼食の弁当だ。もっていけ……」
アイクさんはミリアさんにバスケットを照れくさそうに渡した。
「いつもありがとう。これがないと午後に仕事できないんだよなー」
「何か……、いいですね。そういうの」
「ん?」
「へ?」
アイクさんとミリアさんは同時に首を傾げた。
「仲良し夫婦すぎて微笑ましいな……、と思いまして」
「な! こいつはほっておくとぶくぶく太るから、俺が食事を管理してやっているだけだ」
「もぉー、アイクー、照れなくいいんだよ。私はアイクがいないと生きていけない体にされちゃったんだからー」
ミリアさんはアイクさんに抱き着く。
「その言い方だとなんか、いかがわしいですね」
「料理の話だからな! キース、わかっていて言っているだろ!」
アイクさんをミリアさんとの関係で弄ると、いつもと違った表情が見られておもしろい。
完璧そうなアイクさんも焦ったりするのだと思うと、凄く安心すると言うか、人なんだなって思う。
――あれ……。僕って今まで人だったかな。朝起きて夜まで死ぬ気で働く機械みたいになってたかも。今の僕はちゃんと人間っぽい感情を持てる。
「あははっ、アイクさん動揺しすぎですよ。いいじゃないですか、仲睦まじい夫婦で僕もいつかそんな家庭を持ってみたいです」
「笑ったな……」
「笑ったよ……」
「ん? あぁ、面白かったので笑ってしまいました。すみません」
「いや……。お前が笑っている所をやっと見れたと思ってな。笑えるくらい心が回復しているのなら今日を休みにして正解だった」
「確かに、最近笑った覚えがありません。僕どれくらい笑ってなかったですかね?」
「ここに来てから一度も笑っていないと思うぞ。ずっと険しい顔をしていたからな」
「私がキース君を見たときは、いつもやつれていた。ギルドで受付していると、依頼で仲間を失った冒険者さん達の辛い顔をよく見るの。キース君はその時の冒険者さん達と同じ顔をしていたからずっと心配してた」
ミリアさんは僕に寄ってきて抱きしめてくれた。
誰かに抱きしめられるなんてプラータちゃん以来だ。
でも、プラータちゃんとは意味が違う気がする。
ミリアさんに抱きしめられているとすごく安心できた。
何だろう、母さんに抱きしめられていたころを思い出すからかな。
年齢も当時の母さんと同じくらいのはずだし、雰囲気も何か似てるかも……。
「あれ…………」
僕はミリアさんに抱きしめられて涙が出てしまった。
どうやら相当重症だったらしい。体は元気でも、心が疲弊しきっていた。
体の傷は治せても心の傷は簡単には治らないとよく言ったものだ。まさか、体験する日が来るとは。
「泣くのも大切、笑うのも大切、人には感情があるから幸せに生きていけるんだよ。キース君。もっと自分を大切にしてね。キース君の大切な人だって今のキース君は見たくないと思うよ」
「僕、自分を蔑ろにしていた気がします。家族を助ける前に自分が死んじゃったら意味ありませんもんね。心でも死んでしまうんだと実感できました」
「心が死ねば人は廃人になる。人ですらないかもしれない。そこまで追い込んだのは俺の責任だ。すまないと思っている。だが、ここまで来たお前が最後までやり切ったところを俺は見たい」
アイクさんは温めているビーフシチューを見ながら、僕に語り掛けてくる。
「はは……。僕は最後までやりきりますよ。もう、やり切った未来しか想像できないんです。今日はいっぱい休んで、明日に備えます」
僕は朝食を食べ終えたあと、散歩がてらいつも走っている道を歩いてみた。
「へぇ……こんなところだったんだ。前を向きながらずっと走っているだけだったから景色を気にする余裕もなかった。走る場所を知らないで走っていた。僕ってバカだな」
「お! いつも走っている兄ちゃんじゃないか。今日は走っていないのかい」
屋台のおじさんが話しかけてきた。
この声には聞き覚えがある。よく応援してくれていた人だ。
いつもは声を返す余裕もなかったので今回が初めての会話だった。
「今日はお休みなんです。えっと……いつも声援ありがとうございます。その、毎回ちゃんと返事を返せなくてすみません」
「何言ってんだ。俺は勝手に声を掛けてるだけだよ。必死に走っている兄ちゃんを見ていたら、昔みたいに心が熱くなってきてな。声を出さずにはいられなかったんだ」
「そうですか。それなら良かった。それでは」
僕は特に弾む会話が思いつかなかったので、その場をあとにしようとした。
「ちょっと待ちな。これ持っていけ」
おじさんは屋台の商品である、リンゴをくれた。
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