顔の見えない人間
「痛っつ……」
「俺、特製の軟膏だ。冒険者時代から使っている。効果は立証済みだ」
「軟膏まで作ってしまうなんて凄いですね」
「料理とさほど変わらない。必要な物を必要なだけ入れて混ぜればいい。簡単だろ」
「それが凄いと思いますけどね……」
アイクさんは僕の掌に軟膏を塗ったあと昨日とは違った巻き方で包帯を巻いた。
エルツさんは掌から肘までを均一に包帯を巻いてくれていた。
アイクさんは指同士を均一に巻き、掌を重点的に厚く巻き付け、手首を覆う程度で包帯を縛った。
「のこぎりを使って掌の皮が捲れたんだろ。包帯で少しでも衝撃を吸収して掌に伝わるのを抑える巻き方だ」
「へぇ……、そうなんですか」
「人を殴る時にも使えるぞ。硬い物を殴っても、指が掌に突き刺さらずに済む。冒険者はよくこれで殴りあって喧嘩していた。誰もエルツには勝てなかったがな」
「はは、何か想像できます」
「よし、これで夕方くらいまでは持つだろ。ビラを配る前に包帯をもう一度替えてから行けよ。ビラに血が付いてたら怖いからな」
「わかっていますよ。えっと、昼食と軟膏、包帯、ありがとうございます」
僕は深々と頭を下げてお店を出る。
そのままお店の裏に回り、血の滲んだのこぎりの取っ手を掴む。
四時間ほぼぶっ通しで丸太を切り続けた。それはもう苦しかった。ずっと走るよりも、手を炎で焼かれるよりもずっと苦しかった。
夏の暑さ、腕の疲労、終わらない薪割りの恐怖。初日にもかかわらず、僕の体は何度も悲鳴を上げていた。だが、その度にシトラの顔を思い出して、シトラとの生活を取り戻すために僕は動き続けた。
「おらああ! まだまだ!」
「バカやろう! ビラ配りの時間だ! さっさと包帯を変えて配りに行け!」
「す、すみません!」
僕はアイクさんに吠えられて、ビラ配りの時間だと理解し、包帯を変えてビラを抱え、今朝とはまた別の方に向って円状に走る。もちろん全力疾走だ。
当たり前のように途中で気絶し、二時間遅刻した。
帰って来てからの夕食は……。
「あの、またこれですか……」
「何だ。言いたいことでもあるのか?」
テーブルに出された料理は昼に食べたものと全く一緒だった。
実際、昼に食べた料理は未だに胃の中に溜まっている。
それにも拘わらずアイクさんは全く同じ料理を食べろと言って来た。
さすがに無理だと思いながらも食べ進めていくと、なぜか胃の中に入っていった。不思議でならないが好都合だ。
僕は食材と神に感謝してその場を去る。
午後一一時を回り、僕はお風呂に入る時間にも丸太を切り続けた。既に夜も深まり、視界が悪い。
体も限界まで使い、意識を失いかける寸前まで死力を尽くした。
その結果が五〇個。
最後の方は全力でやっても全く進まず、最低限の六〇個にすら到達しなかった。
実際の目標は一〇〇個。「どう頑張ったって不可能……だ」と思った瞬間、僕は血みどろの包帯で頬を叩いた。掌と頬に激痛が走る。
「まだだ……。まだ一三日も残っている」
自分を叩いた痛みで意識は保たれたが体は最後の一撃を食らったように動けなくなった。
僕は芋虫のように地面を這いながら、お店の入り口に向う。
お店の入り口は風通しを良くするために開いており、取っ手を握れない今の僕にちょうど良かった。
中に入ると、知らない男性とアイクさんが喋っていた。
「あの少年。なかなか根性ありますね」
「そうだな。あそこまで手から血が出たやつは初めてだ。俺の出した料理を残さなかったのもな」
「惜しいですね……。あれだけ根性があるのに三原色の魔力を持っていないなんて」
「別に惜しくないだろ。三原色の魔力を持っていないから、あそこまで本気になっているんだ。持ってたら魔法に頼るんだよ、普通の人間はな。だから弱い。根が腐っているやつが多いのはそれが理由だ」
「普通の人間なら魔法を使うのが当たり前なんですよ。アイクさん相変わらず厳しいですね。自分にも他人にも……」
「それが俺の生き方だ。俺の生き方を否定するなよ」
「否定なんてしてませんよ。もうすこ~し甘い味付けが僕は好みなだけです」
「訳がわからないこと言いやがって。それで、赤色の勇者がルフス領に戻ってきているのは本当か?」
「本当ですよ。何でも、魔物の大量発生を何とかしてほしいみたいで、ルフスギルドが呼んだみたいです」
「なるほどな。確かに、今回の魔物の数は異常だ。だが、あいつを呼び寄せる必要あったのか?俺はいつも疑問に思う」
「まぁ、赤色の勇者ですからね。いつ魔物の大量発生が激化して国を滅ぼしに来るか分かりませんから。雑草は小さなうちから引っこ抜いておきたいんでしょう」
「あいつが真面に働くと思えないがな……。どうせ、いつまでも酒と女に入り浸っているんだろ」
「アイクさんの言う通りですよ。僕もギルドを見てきましたけど、飲んでいましたね~。髪色と同じくらい顔を真っ赤にしてましたよ。今の状態だったら僕でも倒せそうでした」
「は、止めとけ。お前は無事かもしれないが、この街が燃える。酔った勢いで一つの山を全焼させるような奴だ」
「初耳ですよ、その話。お金の匂いが漂っていますね……」
「情報屋がそんなにがっつくなよ。それで、お前はここに何しに来たんだ。水一杯で、よくそれだけ居座れるな」
「ま、どれだけ安く良い情報を得られるかが僕の取り分なんでね。つかぬことをお伺いますが、赤色の勇者の情報をください。何でもいいですよ。どこで生まれて、育ったか。誰が魔法を教えたのか」
「あいつの情報は国中に回っている通りだ。名前も出身地も何もかも本当だ。あいつは、嘘だけはつけない。そこだけは心が通っているんだよ」
「なるほど、なるほど……。その情報だけでも十分な価値がありますね。こちらをお納めください」
フードをかぶった人は懐から袋を取り出してアイクさんに渡そうとする。
「金は要らねえよ。俺の懐はあったかいんだ。今、努力して減らそうとしているのに一向に減らん。これ以上金を持ってても、妻が喜ぶだけだ」
「いいじゃありませんか。奥様との生活が円満になるのでしたら」
フードの男はアイクさんに袋を押し付ける。
「だから、いらん。俺は赤色の勇者の情報を喋ったつもりはない。ただ、正直なやつだと教えただけだ。お前の依頼主に伝えろ、あいつに喧嘩を売ろうとしたら焦げて死ぬぞってな」
「ま、そうですよね。相手は赤色の勇者ですし。でも、僕には全く関係の無い案件なんで、適当に仕事しますよ」
「お前も、適当に仕事が出来ないたちなのは知っている。いいか、絶対に伝えろよ。あいつが人を殺すとろくな事態にならない」
「はいはい。そんなに、強く言わなくてもわかっていますよ。それでは、あ……。丁度よかった。君、このお金あげるよ。あの人いらないって言うからさ」
カウンターに座っていた人は僕に気づいたのか近寄ってきて、顔の横に袋を置いて行った。
その人の顔は全く見えなかった。
仮面を付けていたわけではなく、フードを被っていた。だが、中身が真っ暗で顔が無かった。
僕はおぞましくなり、口をきけず、冷や汗をだらだらと垂らし、生唾を飲む。
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