血滲む掌
アイクさんのお店の裏は、とても広い庭だった。雑草は生えておらず、手入れが行き届いている。
大きな斧と大木を切り落としてきて、枝を落としただけの大量の丸太が異様な雰囲気を放っていた。
「この木をすべて薪にしろ。のこぎりで三〇センチほどの長さに切って、斧で薪の形に割るんだ」
「こ、この丸太一本ですか……」
「何を言ってる。ここにある丸太を全部だ」
「はい……?」
僕は丸太の山を見る。
大きく太い木の幹が何本も積み上げられており、苦笑いが自然に出てくる。屋根付きの薪置き場が空っぽになっていた。
「まだ夏だが、すぐ冬になる。薪が無いと凍え死ぬからな。この時期から木を割り、水を抜いておかないと使いものにならない。俺がやろうと思っていたが丁度いい時に来てくれたな」
「えっと、何本あるんですか……」
「丸太は一四本ある。一日に一本終わらせればすむ。昼になったら鐘がなる。それを合図に昼食を食べに来い。そのあと午後四時まで続きをやり、その後はビラを再度配りに行く。帰って来たら夕食を食べて薪作りの続きだ。午後一一時ごろ風呂に入り、すぐに寝て午前四時から仕事開始だ。またビラを配りに行く。これの繰り返しだ」
「は…………、はは……」
「開いた口が塞がらないな。だが、お前はやるしかないんだ。これをやり遂げないとお前は死ぬ。そう考えろ。お前の守りたい者すら守れず無様に死ぬ。わかったか?」
アイクさんは目を細め、僕を睨んだ。本気を見せろとでも言わんばかりだ。
アイクさんの言う通りだ。力の無い僕が弱音を吐いて良い時はない。
アイクさんが僕に挑戦させてくれているんだ。
死ぬ気でやらないと。シトラも取り返せない。
「わかりました! やってやります!」
「そうか……。なら、やり遂げて見せろ」
「はい!」
アイクさんは一言いい残してその場から去っていった。
「よし……。時間が惜しい。今すぐやり始めないと間に合わないぞ」
僕は丸太を動かそうとした。だが、もちろん全く動かない。一人で丸太を持ち上げるなんて、魔法も使っていない一般人が出来るわけがない。
「だ、ダメだ……。切り分けて移動させないと全く動かせそうにないぞ」
僕は丸太を三〇センチメートルあたりのところでのこぎりを使い、切り取っていく。
「おらぁあああ!」
僕はのこぎりの歯を丸太に食い込ませ、前後に何度も動かした。のこぎりの刃渡りが一メートル以上もあるので、全身の筋肉を使わないと真面に引けない。
ずっと動かし続けてやっとの思いで切り取れたが、既に両手の疲労が溜まっている。
腕が持ち上がりそうにないのだが、まだ薪にすらなっていない。
丸太の一部を、大きな木の台に乗せた。近くに置いてある大きな斧を持ち、木を切ろうとした時、腕が引っ張られる。
「う、嘘……。おもすぎて持ち上がらないんだけど……。ど、どうする。これが持てなかったら、薪に出来ないぞ」
僕は何とかして斧を持ち上げようとするのだが、全く持ちあがらない。斧の先端は地面に突き刺さっておりと言うかビクともしない。
「こ、こりゃダメだ。僕の筋力が無さすぎる。まずはこの斧が持てるだけの筋力を付けないと話にならない。この斧が持てるようになってから全力を出せば、薪を割っていける」
僕は簡単に絶望しなかった。なんせ、シトラがいない状況がすでに絶望なのだ。それ以外の絶望など関係ない。
「筋力が付くまで、全部の丸太を三〇センチメートルに切り落としておこう。この、のこぎりを使った運動でも腕の筋肉は少なからず着くはずだ。時間を一秒も無駄にするな」
僕は丸太の一部を拾い、庭の端に転がす。庭の一角を丸太の一部を置くための場所に決めて、切り取った丸太を溜めていった。
ちなみに、丸太の全長は僕の歩幅で考えると約三〇メートルあった。
――あの人、バカなのかな……。
三〇センチメートルで切ったら、一日一〇〇個切り取らなければならない。一個切り取るのにのこぎりを使って全力で切っても、一〇分は以上掛かる。一時間全力で行っても最大六個。一〇時間やっても六〇個、一七時間全力でやってやっと終わる計算だ。
何それ……死んじゃう。
「考えるな。考えるな。自分の成長を信じろ。今は一回一〇分以上掛るとしても、五分にすれば一七時間の半分、八時間三〇分で終わるじゃないか。でも、ずっと全力でやらないといけないんだぞ……、全力で走ってきたあとなんだぞ……」
僕は握っていたのこぎりを落とした……。
「あれ……、無理なのかな。あんな大見えを切ってやりますって言ったのに……」
僕は勝手に出来ないと心のどこかで決めつけていた。
そんな時、僕はあの言葉を思い出す。
「待ってるから……」
大切な人から言われた一言、その声が僕の心の不安を消し飛ばす。
「そうだ……。ここで諦めたらシトラを助け出せないんだぞ! 諦めるのも対外にしろよ、僕! 出来なかったら、出来なかったときに落ちこみやがれ!」
僕はのこぎりを拾い、丸太に振りかざし、前後に全力で動かした。もう、やけくそだ。
丸太を切り続けて一時間後。
「はぁはぁはぁ……。な、何とか六個は切り取ったぞ……。この包帯のおかげで手の皮が剝がれずに済んでいる。怪我しててよかった。まさかあの領主に感謝するとは思ってなかったよ」
薄汚かった包帯は、さらに薄汚くなりほぼ黒に近づいていた。
「腕は上がらなくなってきた。力も入らない。でも、腕だけで動かしているわけじゃないんだ。体を使って動かせ、休むとその分進まなくなるぞ」
僕は喉の渇きを唾で無理やり潤わせ、のこぎりを再度動かす。
☆☆☆☆
日が昇り僕の真上にちょうど来た時。大きな鐘の音が鳴った。昨日は全く気付かなかったが、確かに鐘が鳴った。おそらく、大きな時計台の鐘だろう。
それと同時に僕はのこぎりを落とす。薄い鉄の板が地面に落ち、何とも情けない乾いた音が鳴った。
「くっ……。て、手が……」
掌の包帯は真っ赤になっていた。どうやら包帯を巻いていても手の皮が捲れてしまったらしい。
包帯から血がにじみ出し、雫になって地面に落ちる。
「昼食だ……。食べに行こう」
僕は掌をぐっと握り閉め、痛みを我慢した。
たったこれしきのことで弱音を吐くわけにはいかない。
シトラはもっと苦しい目に合っているかもしれないんだ。
シトラを助けるためなら全身が焼かれても耐えきってやる。
僕は店の入り口に回り、中に入った。
「お、昼食に来たか」
アイクさんはお店のテーブルに料理を既に置いていた。
「これが、僕の昼食ですか……」
「そうだ。俺特製の料理だ。残さずに食えよ」
「も、もちろんです」
テーブルに並べられていたのは、緑黄色野菜のサラダ、豆の入ったスープ、鶏肉のバター焼き、牛乳だった。
どれも、体にいい食材ばかりで、今の僕にもってこいの食事だった。
箸は持てないのでフォークでいただく。
「いただきます」
両手を合わせ神に祈りをささげたあと、野菜サラダから食べる。
ブロッコリーが多めで食べ応えが凄い。何ならサラダだけでお腹がいっぱいになってしまうほどに量が多く、食べきるのがやっとだった。
豆の入ったスープも液体より豆の方が多い。
器の底から渕までほぼ豆で埋まっている。
スープはどこに行ったのかと思うほどだ。そもそも、これはスープと言えるのか?
だが僕は口に無理やり豆を掻きこみ食べきる。
鶏肉に移るがこれもまた量が多い。四人前を一人で食べている気分だった。
それでも食べ物を粗末にする訳にはいかず、吐きそうになりながらも食べきる。
最後に手をつけたのは牛乳だったのだがもう胃の中は既に食べ物でいっぱいだった。
涙目でアイクさんを見ると、蛇のように鋭く睨まれる。
聞かなくてもわかる。飲め……。
僕はパンパンの胃の隙間に牛乳を流し込んだ。
木製の大ジョッキに入っていた二リットルの牛乳を飲みきると、お腹が妊娠したように膨れていた。
さすがにこの大きさは未だかつて見た覚えがなく少々恐れる。
「ご、ご馳走様でした……」
吐きそうになるのを喉の一歩手前で押しとどめ、丸太を着る作業を再開するために戻ろうとする。
「待て」
「え……。な、何ですか」
「その包帯を使い続ける気か。菌が繁殖して腕が腐るぞ」
アイクさんは僕に軟膏と新しい包帯をくれた。
「どうせ何度も付け替えるんだ。初めは巻いてやるが、次からは自分でやれ」
「は、はい。ありがとうございます」
包帯を取ると、昨日受けた火傷は既に治っていた。
代わりに掌の皮が捲れまくっており、赤い皮膚が丸見えになっていた。
「昨日の火傷が消えてる……。どういうことだ。傷の直りが速すぎないか……」
アイクさんも手の状態を見て驚いている。きっとエルツさんに昨日の状況を聞いたのだろう。
「えっと、僕……。傷が癒えるのが速いみたいで」
「そうか、良い体だな。神と丈夫に産んでくれた母に感謝しろよ」
「はい。もちろん」
アイクさんは軟膏を僕の掌に塗る。
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