無理難題
僕は先ほどまで歩いていたので、普通の人より遅い速度だが何とか移動できるようになっていた。
お店の奥に向い、木製の扉を開けてさらに奥に歩いていく。
関係者以外立ち入り禁止の掛札が着けられている扉を見つけた。
「この先かな」
僕は扉を開けて中に入る。
「ここは、休憩室かな」
部屋にはソファーとテーブルが置かれており、棚にティーカップやティーポットが完備されている。
必要な物しかなく、綺麗に整理されていた。
「えっと、こっちがお風呂かな……」
僕は脱衣所らしき場所を見つけ、汚れた服を麻籠に入れる。
トマト色がまだ抜けきっていない白髪が纏まりなく跳ねている姿が鏡に映っている。
裸になってからお風呂場まで歩き、低い石造りの浴槽に手を入れる。お湯ではなく、水で冷たかった。
シャワーが壁際に付いており、相当お金をつぎ込んでいる風呂場だとわかる。
体を綺麗にすればいいのだから、水に浸かる必要はない。そう思い、風呂椅子に座って固形石鹸に水をつけて擦り、泡を作り出した。
全身を泡で洗い、シャワーからお湯を出して汚れを落とす。
その後、汚れてしまった黒卵さんに石鹸を付けて綺麗に洗う。
もこもこの泡が立ち、黒卵さんを覆い隠した。
シャワーから出るお湯で泡を洗い流すと黒卵さんが姿を現す。
光沢は全くない。殻がつるつるになり、汚れは落とせた。
体感五分程度の入浴だったが、風呂場の鏡に映る僕は髪が元の白色を取り戻していた。
綺麗になっている。これで十分だと思い、お風呂場から出た。
脱衣所に置いてあった乾いた布で体を拭く。
麻籠の中に入れた僕の服が無くなっており、先ほどの男性が着ていた服と新しい下着がいつの間にか入れられていた。
下着と白の半袖シャツ、黒の長ズボン、黒茶の前掛け、黒の靴下をすぐさま着る。
体を綺麗に洗った僕は清潔感が増し、別人になっていた。
体を少し温めたからか、身体が軽くなった気がする。
足も軽々と持ち上がり、普通に歩けるようになっていた。
腕は水や石鹸が染みて痛かったが耐えられる痛みだった。
僕の自己回復能力を信じて完治を願う。
――熱で指同士がくっ付かなくてよかった。エルツさんが包帯を指一本ずつ巻いてくれたからくっ付かなかったのかもしれない。
僕は男性がいる部屋に戻ってきた。
「やけに早いな。ちゃんと洗ったのか?」
「はい。綺麗に洗ってきました。待たせるわけにはいかないと思い、体を洗う方に専念してすぐ出てきました」
「なるほど、いい心がけだな。それじゃあ、エルツ、白髪の男を二週間預かるぞ」
「ああ、わかった。キース、あとはお前しだいだ。俺はここまでしかしてやれない。最後までやり切って見せろよ」
「はい! 必ずやり遂げます!」
「いい顏だな。きっとお前なら大丈夫だろう。じゃあな、また二週間後に様子を見に来てやるよ」
エルツさんは僕の顔を見て、口角を少しあげたあとお店を出ていった。
「まずは自己紹介だな。俺の名前はアイク・ナーベス。三原色の魔力はマゼンタだ。元冒険者で今はこの店で料理を作っている。結婚しているが子供はいない。妻は仕事に出ていて今はいないが、夕方を過ぎたころに帰ってくるからその時にまた紹介してやる」
アイクさんはすらっとした体形で身長は一八〇センチメートルくらい。
細身に見えるが、腕の筋肉はしっかあるので体も引き締まっていると考えられる。
顔は整っておりカッコいい。
つり上がった凛々しい目で、瞳は髪色と同じマゼンタ色。赤色寄りで激しく燃えているような瞳孔だった。
カッコいいが赤色の勇者を思い起こされる。
「次はお前だ。名前は聞いたが他に言っておきたいことがあったら言ってくれ。絶対に出来ない仕事は今、言ってもらったほうが後々考えずにすむ」
「僕は三原色の魔力を持っていないので魔法を使った仕事は出来ません。それ以外は出来る限り何でもやります! 早朝でも深夜でも働かせてもらえるなら、何時間でも働きます! 絶対に諦めません、死んでも食らいついていきます! それだけの覚悟を持ってここにやって来ました!」
「そうか。なら、今のお前にもできる仕事をしてもらおう。こっちだ、ついて来い」
「は、はい! よろしくお願いします!」
僕はアイクさんの後ろをついていく。
――僕にもできる仕事。いったいどんな仕事なんだ。
アイクさんは料理場の方に向い、大量の紙が重ねられている所に手を置いた。
「このビラをここら一帯の家のポストに入れてこい」
「え、そんな簡単な仕事でいいんですか……」
「簡単かどうかは、やり終えてから言うんだな。今は午後四時くらいだな。よし、制限時間は店が混み出すまでの三時間だ。午後七時までに帰って来られなければ、仕事とは認めない。だから賃金も払わない。間に合ったのならその分、二週間後に賃金を与える。ほら、早く行かないと時間が無くなるぞ」
「は、はい! わかりました!」
僕はアイクさんの手が置いてある大量の紙を両手で持つ。
黒卵さんは背負って地面に落ちないようアイクさんに紐で結んでもらい一緒にいられるようにした。
僕は紙の束を抱えながらアイクさんのお店を飛び出して周りの家に向う。
☆☆☆☆
「はぁはぁはぁ……。い、いったい何枚あるんだ。入れても入れても、数が全く減らない。家と家の距離も結構離れてるし、絶妙な坂が心臓にくるぞ……。足が上がらなくなってきた」
ビラを配り始めて、ふと、ルフス領のどこからでも見渡せそうな大きな時計台を見ると、一時間ほど経過していた。
ただ、ビラは三分の一すら配り終えていない。
このままいくと三時間では確実に間に合わないと悟った。
「はぁはぁはぁ……簡単なんて言った僕がバカだった。怪我しているうえに、体力の衰えた体……、食事もろくに取っていない。こんな状態で全力疾走をもう、一時間以上続けてるんだ。それでも全く終わっていない。はは……、一回目から心折れそう」
――って、僕は何弱音を吐いているんだ! シトラを助けるんだろ! これくらい何としてでもこなして見せろよ!
僕は離れていくシトラの顔を思い浮かべて重たくなっていた足を動かす。
炎天下の中、水分補給もせず、常に動き続けていた僕の体は既に限界を迎えていた。
二時間経ってもビラを半分も配れず、意識を失いかける。
「く、くそ……。まだだ、まだ動けるだろ、僕の体……。ここからが勝負どころじゃないか!」
残り一時間を切ってから僕はさらに足を速める。
視界はぼやけ、息も途切れになり、意識は保っていられない。
どこに紙を入れたかも思い出せず、あと何枚あるかもわからなかった。
「あ……もう、三時間過ぎてしまった……。でも、まだこんなに残っている。最後まで全力でやって、配り切ろう。途中で投げ出すのは僕の性に合わない」
僕はその後も、死に物狂いでビラを配り続けた。
お店の周りを一周する頃にはビラが無くなり、両手が空いていた。ただ、空は暗くなり、綺麗な月が出ている。
「僕は午後四時から配り始めて、今終わった。月の角度からすると、午後一〇時くらいか……。六時間も掛かってしまった。何を言われるか……。でも返らないと、それこそ逃げたと思われる」
僕は靴裏を擦るように弱々しいお爺さんのような歩き方で、無理やり動きながら、アイクさんのお店に戻った。
お店に着くと、ガラスの窓から橙色の灯りが線を伸ばして辺りを照らしている。
僕はお店の扉に手を掛けて押した。
もうこの時には意識が飛びかける寸前で、お店に入った瞬間、全身に力が入らなくなり、前のめりに倒れ込んだ。
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