約二カ月ぶりの睡眠をとる
ミルも体を洗い終わり、僕たちは二人でお風呂のお湯につかって一〇秒数えてから脱衣所に出る。
「ふぅ。さっぱりした。色々思うところはあるけど、ミルには感謝しないといけないな。さっき水面で見た顔とは大違いだ」
僕は自分の顔を脱衣所に置いてある鏡付きの洗面台で確認する。少々やつれてはいるが、先ほどまで骨ばってはいない。服を着替えてアイクさんが戻ってくるまでベッドで少し休む。
「ベッドに寝ころぶの久々な気がする。この枕、僕の匂いがしていたのに、もうミルの匂いがするよ」
僕は枕に顔を埋め、うつ伏せになっていた。ミルが体を揉んでくれるというのだ。
「え、う、うそ。臭いですか。ぼく汗っかきだから、えっとその洗ってきましょうか!」
「いや、臭くないよ。逆になんかいい匂いで落ち着く。甘い香りがして僕は好きだよ」
「そ、そうですか。ならいいんですけど……」
僕は黒卵さんを隣に置いてミルに体を揉まれる。彼女は力が強くなったおかげか、力加減が良くなった。
丁度気持ちのいいところをググっと押してくると体の緊張がほぐれていく。
固まっていた筋肉がミルの指圧で柔らかさを取りもどし、血流の流れがよくなっていく。先ほどまでお風呂で温まっていたおかげか、温かい血液が全身を流れだした。
「ミル、すごく気持ちいいよ……。そんなのどこで覚えたの?」
「ぼくはただ、キースさんの固まった筋肉の部分を押しているだけですよ。触ったら何となくわかるので、グイグイッと指圧しているだけです」
「そうなんだ。それだけでこんなに体が楽になるなんて、ミルには体を癒す才能があるんじゃない?」
「そんな才能があったらいいですね。ぼくには何も才能がないですから。キースさんが少しでも喜んでくれたらぼくは凄く嬉しいです」
その後もミルは僕の背中、腕、脚、足裏など全身をもみほぐしてくれた。至福の時とはまさにこのこと。久々の眠気が襲って来て。僕は約二カ月ぶりの睡眠をとる。
☆☆☆☆
僕はどれくらい眠っていただろうか。自分ではわからないので、眼を覚まして時計を見よう。そう思った。ただ、すっごく良い匂いがして、もう一度寝てしまいそうだった。
ほどよい柔らかさ、温かさ、振動の鼓動……。ハッとして、身を引く。
「あ、キースさん。おはようございます。気持ちよさそうに眠っていましたね」
僕の目の前にはミルがいた。横を向き、向かいあっている。時計を見ると八時。外の明るさからして午後ではなく午前だ。
僕は律儀に黒卵さんを抱えながらミルに抱き着かれていたらしい。見かけによらず、あの胸も悪くないと思ってしまった。どうやら大きさなんて全くあてにならないようだ。
ミルは僕が起きるや否や笑顔が絶えない。
「ミル、なんでそんなに笑っているの?」
「ぼく、キースさんが眠ったところを見た覚えがなくてずっと起きている時しか知らなかったんです。でも、キースさんの寝顔が見られて凄く嬉しくて……」
ミルは両手を頬に置き、にやけ顔を戻そうと必死になっている。
「僕も久々に眠ったんだよ。ミルのおかげで眠れたみたいだ。ありがとう」
僕はミルの頭を撫でて感謝した。
「いえいえ。キースさんの寝顔を見てぼくも元気になりましたから、こちらこそありがとうございます!」
ミルは頭を下げて僕に感謝してきた。
「えっと、アイクさんは帰ってきた?」
「昨日の夜に帰ってきて夕食を作ってくれました。ぼくだけで食事をとるのは寂しかったですけど、いつも通り美味しかったです。あと、アイクさんは午前七時くらいにルフスギルドの手伝いに向かいました。朝食は置いてあるのでキースさんも食べてください」
僕はベッドから出て調理場に向かい、食台に乗っていた朝食を神に祈ってから得る。冷めていたが作りたてかと思うくらい美味しかった。朝食を終えると歯を磨き、顔を洗う。お腹が空いていたので料理を先に食べてしまったのだ。まぁ、いつも通りじゃないのはわかっている。
「ほんと、昨日は大変な一日だったなぁ。ミルがいなかったら完全に病んでたよ。ほんと、僕は助けられ過ぎだ。何も返せないのに。でも、その分他の人を僕が助けている訳だから、皆で助けたと言ってもいいんじゃないだろうか」
僕は朝の仕度を終え、ミルのいる部屋に戻ってきた。
「はぁ~。キースさんのにおい……。ひゃっ! も、もう! キースさん! 部屋に入る時は扉をちゃんと叩いてください!」
ミルは僕の枕を抱きかかえてベッドの上でゴロゴロしていた。
「ご、ごめん。扉を叩くの忘れてた。それより、ミルは本当に僕の匂いが好きだね。自分じゃ、匂いがわからないんだけど……、どんな匂いなの?」
「えっと~、なんて言うか、凄く強い男性の匂いというか……、安心する匂いというか」
ミルは枕で口もとを隠し、眼を細めながら枕の匂いを嗅いでいる。
「アイクさんに何か言われた? 仕事しておけとか、休んでおけとか」
「えっと、今日は仕事が休みだから、好きにしてていいぞって言っていました」
「そうなんだ……。じゃあ、冒険者さん達のお見舞いにでも行こうか。きっと病院に運び込まれていると思うから、菓子折りでも持ってさ」
「ぼくには冒険者さんの知り合いなんていませんよ……」
ミルは眼差しを鋭くして僕を見る。
「じゃあ、昨日のお礼にデートでもしながら菓子折りを見つけて僕の知り合いの冒険者さんのお見舞いに行くのはどお?」
「で、デート……。い、行きます! ぼく、キースさんとデートしたいです!」
ミルは枕を頭上に掲げ、耳と尻尾を大きく上げる。
「じゃあ、ベッドから降りて支度しないとね。ミルはそのグチャグチャの頭で外に出るの?」
「ぼくの髪、グシャグシャになっているんですか! じゅ、準備してきます!」
ミルはベッドから飛び降り、部屋を出て行った。
「さてと、僕も準備しないとな……」
僕はミルとの初デートなのだから、気合いを入れようと思い、一度だけ来た高い紳士服を着る。
ミルへのお礼だ。少しくらい、主っぽいことをしないと。靴は綺麗にしてもらったものがあるので大丈夫だ。髪は、整えてもらいに行くか。ミルも一緒に髪を整えてもらおうかな。
僕は高い紳士服を着て磨いた靴を履く。部屋に置いてある縦長の鏡を見て直立していた。
――少しは大人っぽく見えるだろうか。
こんな服装しているのは王都にいる貴族くらいなのだが、僕はこういったエスコートの仕方しか知らない。他の領ではまた違ったエスコートがあるのだろうか。
午前八時三〇分ごろ。ミルが部屋に戻ってきた。




