ミルの沈黙
「はぁ~。綺麗になった。これで綺麗さっぱりいい気分だ」
僕は入り口の掃除を終え、お客さんの少なくなった食堂を進み、調理場に向う。
「キースか。まだ仕事していたのか?」
調理場にはアイクさんがいた。
「少しだけ掃除を長めにしていました。仕事に気に食わない部分があったので……」
「そうか。自分の気が済んでよかったな」
「はい。今日はいつもより大変だったので、最後くらい満足のいくようにしたかったんです」
「なるほどな。まぁ、そう言う日もあるさ。明日が来れば今日はもう関係ない。過去を見ないで未来を見続けるんだ」
「そうですね。アイクさんに言われた通り、僕は未来を見て行動します。ミルにも笑顔でいるように言われたので、そうしていたら凄く気分が楽になったんです」
僕とアイクさんはミリアさんとミルがお風呂から出てくるまで待っていた。
アイクさんとの会話が弾み、とても楽しかった。アイクさんにも、うまくいかない日があるらしく、こういう時こそ美味しいお酒をチビチビと飲み、いい気分で過ごすそうだ。
僕も飲んで良いかと思ったが、踏みとどまり、お酒は飲まなかった。
お酒のような飲み物は無いかとアイクさんに聞いたら、ブドウの果汁と皮の汁を上手い具合に掛け合わせ、葡萄酒に近い味を再現して出してくれた。
見た目はブドウ果汁なのだが、匂いに少し違いがあるような気がする。
「いただきます」
僕はグラスに入れられた葡萄酒もどきを口に少し含んだ。ブドウの甘みと皮の渋みが口に残る。
喉を通り抜けると口の唾液が持っていかれるような感覚に陥った。ブドウ果汁は美味しいが、皮の渋みが要らないような気がする。
「アイクさん、これって美味しいんですか?」
「ま、葡萄酒は大人の飲み物だ。キースももう少し大人になれば味の良さが分かるかもしれない。アルコールが入っていない分、飲みやすいはずだぞ」
「これで飲みやすいって葡萄酒はどれだけ飲みにくいんですか?」
「感じ方は人それぞれだ。キースも試してみれば分かるさ。無理に飲めとは言わないが、気分のさがる日にはちょうどいい飲み物なんだよ。美味すぎると飲み過ぎちまうからな。ほんの少しが良いんだ」
僕はグラスに入った葡萄酒もどきの匂いを楽しみながらちびちびと飲んでいく。
少し時間がたつとまた一口飲みたくなってしまう。どこか癖になってしまう味わいで、一口、また一口と手が止まらない。
アイクさんがチーズを出してくれたので一緒にいただいた。チーズのうま味と葡萄酒もどきの苦みが打ち消し合い、何とも言えない味わいだった。
「何か癖になりますね。チーズとブドウがよく合ってとても美味しいです」
「ならよかった。それが美味しいと思えるのなら本物の葡萄酒を飲んでも上手く感じられるはずだ」
「そうですか。本物のお酒を飲む時が楽しみです」
僕とアイクさんが話しているとミルとミリアさんがお風呂からあがってきた。
ミルは頬を赤くし、少しのぼせているような顔だった。逆にミリアさんは僕を見て、睨みを効かせている。なぜだろう。僕にはわからない。
僕は一応お風呂に向かい、体を洗ってきた。その後、寝る準備して部屋に戻る。
部屋の扉を開けた。部屋の中にミルがいたのになぜ僕は扉を叩かなかったんだろうか。
「ん?」
「へ?」
ミルは僕の枕を抱きしめ右手を寝間着の下に突っ込んでいた。
少しの沈黙の末、僕は部屋の中に入り、扉を閉める。
――ミル、なにしているんだろう。股間が痒いのだろうか? まぁ、それくらい誰にでもあるよな。ミルは恥ずかしそうにしているけど、別に気にしなくてもいいのに。
ミルは枕に顔を埋め、丸まってしまった。声を出さず、ただただ丸まっている。
どうも、ベッドの上に置いてあるただの石だと思ってほしいくらいに静かになり、少し気まずいので、どうにかして会話をしたかった。
僕は今日買ってきたお土産を渡そうと思い、紙袋を探したがどこにもない。
――あれ、僕の紙袋。いったいどこにあるんだ。ベッドの端に置いてあったはずなんだけどな。まさかミルが捨てたわけないし、どこにもないのがおかしい。
探していると、ベッドの小さな棚に金平糖が置いてあった。
僕の買ってきた金平糖がなぜ小さな棚に置いてあるのか分からない。
「えっと、ミル。僕の紙袋がどこに行ったか知らない?」
「み、ミリアさんが……見て、色々言ってました……」
ミルは枕に顔を埋めながらぼそぼそと話す。
「ミルは見たの?」
「は、はい。見ました。はっきりと……」
どうやら僕のお土産はミリアさんとミルに見られていたらしい。
紙袋の中に下着が入っていたという事実が知られてしまったみたいだ。でも、仕方がない。だが、なぜミルが顔をあげようとしないのかがよく分からない。
「ごめんなさい、キースさん。ぼく、キースさんが大切な人のために買ってきた物を汚してしまいました」
「ん? どういう意味?」
「キースさんが大切な人に送ろうとしていた送り物、今、ぼくが着けてるんです」
「えっと。何で僕が大切な人に送ろうとしていたとか言う前提が付いているの?」
「え? だ、だって、その。下着と金平糖とか、大切なというか、恋人とかに送る物ですよね。あと、印も入ってましたから」
どうやらミルは盛大な勘違いをしているらしい。
僕は恋人になりたい相手はいるけれど、現時点で恋人はない。加えて、マークは知らない。子供の描いたいたずら書きに何かの意味があるのだろうか。
「ぼく、悔しくて。その、キースさんが取られちゃうのが、悲しくて。ううぅ」
ミルはなぜか泣いてしまった。いったいなぜ泣いているのだろうか。
「何から説明したらいいかな……」
「い、言わないでください! ぼく、また一人に戻りたくありません! あと、キースさんから離れたくありません! ぼ、ぼくじゃ駄目なんですか! ぼくなら、何でも好きなことしていいですから! な、なんならペットでもいいですから! キースさんの傍にいさせてください!」
ミルは涙ぐんだ顔で僕の方を見てきた。初めてあった日と同じ必死な眼だ。やはりミルはまだ情緒が不安定らしい。妄想が激しく、ありもしない現実を信じてしまっているようだ。
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