靴屋のお爺さん
「んー。これは、靴底が熱で溶けとるな……。いったいどこを歩いたんだ?」
靴を受け取ったお爺さんは靴裏を見て、眼を顰める。
「えっと、死地を歩いて来ました」
「死地……。わけがわからんこと言いおって。表面までボロボロだ。だが元は高級品だな。この革なら再生するはずだ。まぁ、靴底は変えないと真面に歩けないがな」
「はは、そうですよね。でも靴はそれしか持っていないので無理やり履いています。買い替えた方がいいですかね?」
「バカ言うな。これなら直せばまた履ける。靴の修理は金貨一枚だ。直していくかい?」
「金貨一枚……。それならお願いします! その靴には結構思い入れがあるんです」
――誕生日にオーリックさんから貰った靴だ。出来れば捨てたくなかったから、直せるなんて嬉しいな。
「だろうな。そうじゃなきゃ、ここまでボロボロになっても履かないだろ。今から治すと半日くらい掛かるか。大仕事だな」
「たった半日で治るんですか?」
「この道八〇年。普通の職人だと思うなよ。小童」
「は、八〇年……。えっと、失礼ですけどおいくつですか?」
「九八歳だ。一八歳の頃から修行し、今も修行中の身だ」
「す、すごい……。靴に人生を掛けた職人さんなんですね」
「そう言うことだ。今から直してやる。黙って見ておれ」
「は、はい」
僕は名前も知らない靴職人のお爺さんの手腕を目の当たりにした。あまりの速さに言葉を失う。一瞬で靴底が取り替えられ、樹皮が溶けていない綺麗な靴底になっていた。縫い付ける工程も綺麗なのにとんでもなく速い。
「お前さん、ちょっとこっちに来て足を出せ」
「は、はい」
僕はお爺さんに出された木版の上に足を置いた。
「もういいぞ。だいたいわかった」
「え、何がわかったんですか?」
「足の形だ。もう、要はないから直るまで待っていろ」
「わかりました……」
お爺さんは後ろに何個もある木製の足の中から一つ選び、僕の靴を履かせた。
ボロボロになった革の部分を削り、表面を滑らかにしていく。加えて、靴底をナイフで削り、形を整えていた。その後、靴がみるみるうちに綺麗になっていき、午後八時頃に靴が治った。
「よし。ピカピカの靴に戻ったぞ。どうだ?」
「す、すごい。ほんとに直っている……」
僕は靴を持ってカンデラの明りを靴に近づけると光が反射する。
靴はテカテカになっており初めて履いた時よりも綺麗だった。
「履いてみろ。さっきより格段に履きやすくなっているはずだ」
僕は靴をお店の床に置き、足を入れた。
「はえ……。なにこれ。え、なにこれ?」
「どうだ。履きやすいだろ。靴の形を足に合わせた。引っ掛かりがなくて靴を履いていないみたいだろ」
「いや、驚きました……。金貨一枚でこんなに直せるものなんですか」
「元がいいからな。靴を足に合わせただけでそれくらい当たり前だ。さ、報酬を貰うぞ」
僕は小袋から金貨を一枚取り出し、お爺さんに渡す。
「確かに。じゃあ、どうするか決めたらまた来るがいい」
「は、はい」
僕は靴屋さんを出る。先ほどまで履いていた靴と同じ物なのかと疑わしいほどに履き心地が違った。
「こんなに履きやすかったんだ。凄いありがたい。初めから靴を綺麗にしていれば今ごろ会えていたのかな。いや、どうせ靴も最高級にしてこいって言われてたんだ。お店に戻ってアイクさんに相談しよう」
僕は綺麗になった靴でアイクさんのお店まで戻る。その間、綺麗な女性に何度か声を掛けられたが今は話をしている場合ではないので、すべて断り、アイクさんのお店に戻る。
到着した僕はお店の中に入り、お客さんにジロジロとみられながら、調理場へ向かう。
「今、戻りました」
「だ、誰だ、お前……」
アイクさんは僕を目の前にして知らない人物を見たような顔をする。
「え……。誰って、キースですけど?」
「キースなのか! ど、どうなったら、そうなるんだ!」
アイクさんは僕の肩を掴み、声を張る。
「いったい何をそんなに驚いているんですか?」
「いや、見かけやら服装やらが何もかもが違うじゃないか……」
「髪色は同じですよ。顔も背丈も」
「まぁ、そうなんだが、雰囲気が違い過ぎてな……。誰だか一瞬わからなかった」
「そうなんですか。でも、アイクさんの反応を見るに悪くなっている訳じゃないみたいですね」
「ああ、よく似合っているじゃないか。にしてもいい紳士服だな。さすが王都製。作りが普通のものと全く違うようだ。靴も新しいのを買ったのか?」
「いえ、靴は直してもらいました。靴屋のお爺さんが凄い職人さんで一〇時間ほどで新品同様に綺麗になりました」
「なるほど。治したのか。きっと靴もありがたがっているだろう。だが、一人ということは駄目だったんだな」
「はい。紳士服だけではだめでした。でも、次のお題を貰いました」
「また何か言ってきたのか。今度は何を買ってこいと言ってきたんだ?」
「靴です。一等地にあるお店の中で一番値段の高い靴を買わないと行けなくなりました」
「靴か……」
「アイクさんにはまた後で話します。今は仕事中ですよね。私語はやめましょう。僕は夕食を得ますから」
「そうだな。また後で部屋に来るといい。料理はもう作ってあるからそれを食べろ。冷めると、味が落ちるからな」
「わかりました」
僕は脱衣所に向かい、洗面台で手を洗った。その後、調理場へ戻り、テーブルに置いてある料理を食べた。
いつもより少ししょっぱい味がしたがパンに塩は付いていないはずだった。
鶏料理は砂糖、醤油、唐辛子を下地にした味付けだったので塩の味は醤油かと思ったが鶏料理を食べていない間も塩の味がしたので、僕の味覚がおかしくなってしまったのか、いや、そんなはずはない。
塩味がしたところで特に味に変わりない。ただ少し唐辛子が強いのか少し眼に沁みる。そのせいで眼が痛くなっていた。眼の痛みを潤すための液体が滞りなく流れていく。
「はは……、シトラに合えると思ったんだけどな……」
僕は悔しさを噛み締めながら食事を終えた。
そのまま、自分の部屋に向い、紳士服と内シャツを洋服掛け(ハンガー)に通し、戸棚に入れて保管する。
どうせお風呂に入るので下着姿でもいいかと思ったが少し肌寒かったので冒険者の服を着てお風呂場にまで向かった。もちろん黒卵さんも抱きかかえている。黒い冒険着に真っ黒な卵が重なり卵がよく見えなくなっている。
「保護色になっていて黒卵さんとお揃いですね」
僕は黒卵さんを抱き貸しめながらお風呂の中に入った。
「ふぅ。今日は人生で一番の買い物をしたな。それでも領主邸に入れてくれなかった。仕方がない。と言えばそれまでだけど、一度でいいからシトラをこの目で確認しておきたかった。そうすれば、気持ちが上がる。シトラを見ただけで僕の心はいつもの二倍は動く。それなら、行動のしやすさも二倍になるのではないだろうか」
などとたわいのない仮説はさておき、僕はシトラに合えなかった、という事実だけが残っている。
悔しい。せっかくお金を貯めたのに。そう思っていたが、領主がなぜここまで僕をシトラに合わせたくないのだろうか。理由がよく分からない。
領主邸に一般人は入れるのに僕は入れないと言うのが引っ掛かる。




