政略結婚で姉の代わりに嫁いだら、本物の恋をした
彼女――ミンディ・インゼルは小さな島国の王の娘であった。
ミンディには十人の兄弟がいる。そのうち八人が女兄弟だ。
この度、一つ上の姉のネンディが別国へ嫁ぐはずだった。政略結婚だ。
しかしネンディは「好きな人ができた」と駄々をこね、婚約を破棄してしまった。さっさと恋人と結婚して逃げていった。
そして父に呼び出されたミンディは、こう告げられたのだ。
「ミンディ。お前がネンディの代わりにA国へ嫁げ」
ミンディには訳がわからなかった。
彼女は大きなコンプレックスを抱えている。それは口が利けないということ。
聞こえないわけではない。舌に病気があり、まともに動かせないのである。
口が利けないが故、一生独り身のつもりだった。
ミンディは姉のネンディを支える気でいたのだ。しかし逃げられ、ましてや代役として嫁がされるなど寝耳に水もいいところ。
(無理です父様)心の中だけで呟き、激しくかぶりを振るミンディ。
彼女は十七歳。ちょうど年頃とはいえ、こんな自分が結婚など相応しいはずがない。
しかし父は引かなかった。
「我が国の安定のため、同盟強化のため、どうしても必要なのだ。わかるな?」
他の兄弟に任せられればよかった。
が、上の姉たちはみんなそれぞれに嫁いでしまい、たった一人の妹であるユンディは十歳になったばかり。まだ結婚できる年齢ではなかった。
他に適任がいないのがわかるからこそ、ミンディは強く反論することができない。
そして仕方なしに了承し、彼女の政略結婚が決定した。
△▼△▼△
「おねーちゃん、頑張ってきてね」
ユンディがそう言って手を振ってくれる。
ミンディは小舟に乗って、十七年間を過ごしたこの島国を旅立とうとしていた。父母や兄弟が見送りにきてくれた。
「元気でな」
「ミンディ。どうか幸せに。母様たちのことを忘れないでください」
ミンディは思い切り手を振り返す。この国とお別れになるなんて悲しすぎるが、これが自分の運命なのだ。
そのまま小舟はゆっくりと動き出した。
△▼△▼△
A国には後宮があるので、形だけの結婚のはずだ。
(では側妃のような扱いになるのかしら?)
舟に揺られながらそんなことを考えていると、A国が見えてくる。
まもなく船は上陸し、海辺に聳え立つ城へとミンディは連れて行かれた。
A国の城は、祖国と比べ物にならないくらい豪華。
たくさんの兵士が列をなし、姿勢正しく並んでいる。思わずこちらの背筋も伸びた。
そして玉座の間へ通される。そこで、一人の青年と出会った。
玉座に腰を下ろす美丈夫。彼はこちらを見つめると、言った。
「君が俺の新しい婚約者か。俺はオゼ。この王国の王だよ」
若く美しき王に、少しだけ目を奪われてしまった。
が、すぐに我を思い出すと、ミンディは深々と頭を下げる。
そして、簡単に彼女の事情を書き記した手紙を手渡した。
「ふむ。口が利けない、か。了解した」
(よかった……。最悪、嫌われる可能性だってあったのに)
ホッと一安心。
オゼ王に「あとは自由にしてくれ」と言われ、兵士の先導に従い王の間を出て、そのまま自室へ案内された。
「ここがミンディ様のお部屋です。ご自由になさっていいとオゼ王様のお言葉です」
(側妃とはいえ自由過ぎない? まあその方が助かるしいいか)
部屋にはふわふわのベッド、綺麗なカーペットなどが揃えてあり、文句はない。
ミンディは少し部屋でくつろぎ、その日は寝た。
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王城での暮らしは最高だった。料理も美味しいし、身の回りのこともとても快適。
足りない教養を補うため、勉強係をつけてもらって勉強を始めた。すごく夢中になれる。
そして、婚礼の準備以外の時は自由に城を歩き回ることが許されていた。これがなんと言っても毎日の楽しみなのだ。
軽く昼食を頂いたあと、彼女は例によって城内散歩に出ていた。
(ここのお城ってとっても広いのね。何日も何日も歩いてるのに、まだ行ったことがない場所がたくさん)
喋らないのでおとなしいと思われがちだが、実は彼女、かなり活発だ。
城壁間際を歩いていて、花壇の向こうに道が伸びているのを見つけた時など、思わず花壇を乗り越えていってしまうほど。
そして現に今、そうしていた。
(確かこの奥には後宮があるはず。今日はあっちにでも行ってみよう)
ドレスが花壇の枝で少し傷ついてしまった。しかし彼女はそんなこと、気にも止めない。
(あの中にはどんなお妃様がいるのかしら。そういえばお妃様に会ったことないけど)
後宮の扉の前には数人の兵士が立っていた。
「ミンディ様。何のご用でございますか?」
中に入りたいと身振りで伝えると、兵士は「どうぞ」と言って中へ通してくれた。
……後宮の中身は、ミンディの想像と大きく違っていた。
てっきり正妃がいると思っていたのだが、入ってみると中にはそれらしい人物の姿はない。
(あれ、ここって後宮なんじゃ?)と思っていると、どこからともなく一人の女性が駆け寄ってきた。
「あらようこそ。わたくしはここを任されている者です。ええと、ミンディ様ですよね」
頷くミンディ。
女性は「やっぱりそうなんですね。王妃様になるお方とお話しできるなんて嬉しいです」と笑う。
よくわからないが、一応笑い返しておいた。
それから彼女は色々と教えてくれた。
どうやらここは、オゼ王の祖父の代に起こった戦争や災害で夫を失った女性たちを保護し、彼女等が子供を育てたり教育を受ける、そんな場所だったらしい。
しかし今や時が経ち、すでにその役割はなくなった。なので戦争の記憶を残そうという博物館と化していたわけだ。
壁には戦争の悲惨な写真、女子供が集って笑う写真などが貼られていた。
(そうか……。ってことは、正妃がいなかったり!?)
ミンディは重大なことに気づき、思わず声を上げた。もっとも、その声は呻き声のようにしかならなかったけれど。
やばいことになった。つまりミンディこそが正妃なのでは……?
今まで側妃だと思い込んでいたから、衝撃はかなり大きかった。
これからは正妃らしく振る舞わなければならない。でもどうしたらいいのだろう?
頭を抱えながら彼女は後宮を出た。
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お淑やかに過ごさなければ。
自分が正妃だと知ったミンディは、なるべく女らしく過ごすようにした。
元々野生の色が濃い島国の出の彼女にとって、『お淑やか』が何なのかいまいちわからない。けれどあまり動き回らないよう心がけたりした。
それでもやはり散歩がしたくなって、部屋から出てうろうろしてしまう。
その途中、よくオゼ王と顔を合わせることがあった。できるだけ恭しくお辞儀して立ち去る。
(あんな男性に自分は見合うのかしら)
会うたびに声をかけられて、「退屈していないか」とか、「何かあったら俺に言ってくれ」だとか優しく言われる。
その言葉に触れるとなんだか嬉しくなってしまう自分が、ミンディには妬ましかった。口も利けない女に好意を寄せる男などあるものか。
好意的に見える彼の態度は気のせいだ。それを喜ぶ自分の心も気のせいだ。
だってこれはあくまで政略結婚。愛も恋もありゃしないのだから。
そうしているうちに、結婚の日は刻々と近づいていた。
△▼△▼△
――結婚は義務なのだと、オゼはずっと思っていた。
自分は第一王子、王の座を引き継ぐ者だ。だから子を孕み次の代へと繋げていかねばならない。
だから恋などしなかった。恋は虚しいものだと聞かされていたから。
父が死に、王になってもその考え方は変わらない。ますます己の使命感を強くするばかりだった。
約束していた人がいた。別に会ったこともないが、婚約者と定められていた女性が。
しかしある日、彼女が逃げたとの知らせが届いた。絶望はせずとも、悩みはする。王である自分が結婚しないなど許されない。一体どうしようか。
そんな時に現れたのが彼女、ミンディ・インゼル。婚約者だった女の妹だという。
彼女は口が利けなかった。でもオゼ王はそんなことは気にしない。
なんと言っても、彼女はとても愛らしい。
よくある女のように無駄口を叩かず、けれど元気なミンディ。彼が理想と思う女性像の通りだった。
初めて出会ったその日に、オゼは惚れ込んでしまったのだ。
恋心などを抱いてはならないと思っていた。結婚は義務だ、私情を挟んではならないと。
けれど、果たしてそうだろうか? 王たる者が人を愛しては本当にいけないのか?
でも感情を表に出すことはできなかった。
けれどやはり求めてしまい、何かと都合をつけては頻繁にミンディに声をかける。
何気ない会話が面白く、令嬢らしからぬ行動などを目にするとますます好ましくて、心が弾むのを感じてしまっていた。
「これは、もはや運命なのではないだろうか」
胸の葛藤をよそに、歩き去る彼女を見つめながらオゼ王はボソリと呟いた。
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もうとっくに『お淑やか』なんて捨てていた。
そもそもミンディにそんなのは無理だ。一応彼女も姫として色々な作法は叩き込まれていたが、どうしても隠しきれない野生を行動に表してしまう。
時たま城の外へ出ては、飛んだり跳ねたり走り回ったりしていた。
そんな自分が王妃になるなんて、おこがましいにも程がある。A国の名が廃れ、そんな娘を嫁がせた父親や母親にも被害が出るだろう。
姉の方がずっとずっとよかったはず。なのに何故……。
けれど胸の中の気持ちはだんだん強くなっていた。押さえつけようとしても止められない。この身勝手な思いに押しつぶされそうだった。
――そして、とうとう式の日が訪れた。
結婚は父王からミンディに課された使命だ。絶対に果たさなければならない。
しかし彼女の心はいつになく重かった。立ち上がる気すら起こらないままで、でも時間はどんどん過ぎていく。
式の時刻が迫っていた。
(行かなくちゃ……)
そう心の中で言ってよろよろと立ち上がった時、突然誰かが扉をノックする音がした。
「ミンディ、いるか」
オゼ王の声だ。
ミンディが「あー」とも「うー」ともつかない変な声を出して答えると、扉がぎぃと開いて彼が入ってきた。
「式の前に、少しだけ話しておきたいことがあってな」
(話……?)ミンディは嫌な予感がした。
婚約破棄、されるのではなかろうか。
しかし次にオゼが発した言葉は、彼女の想像を遥かに超えていた。
「なあミンディ。実は、俺は君が好きになったんだ」
一瞬、頭の中に?マークが浮かんだ。
やっとその意味を理解した時、ミンディは呆気に取られてしまった。
(彼が私を、好き?)
「俺はずっと、結婚は義務だと思っていた。だから最初は、子を孕める女であれば相手は誰でもいいと思って君を呼び寄せた」
「しかし」と言葉を継ぎ、
「君と会って話すうち……と言っても話す機会はそう多くなかったが、それでも俺は君に惹かれてしまった。君の奔放なところも好きだし、なんと言っても可愛い」
おかしい。彼はミンディの何かを誤解している。
そう思い、ミンディはサッと紙を取り出して思いを書き殴った。
『私はそんなすごい人間じゃない。あなたになんか全然相応しくなくって、不躾で。勝手に許可なく後宮に入ってしまうし口は利けないし、愛される資格なんてないです』
オゼ王は強く首を横に振る。
「いいや。そんなことはない。口が利けないところも可愛い点の一つだよ。ペラペラ喋る女なんかよりよっぽどいい。なあ、君はどう思うんだ?」
そう問われて固まるミンディ。
本当のことを言えば、彼女の胸の内に彼への想いはたくさんある。かっこよくて、美しくて優しくて。そんな彼が大好きだ。
ずっと気のせいだと思い込んでいたけれどやはり好きなのだ。好きで好きで仕方ない、でも。
しばし、己との苦闘があった。本当に答えていいのだろうか、と。
(でも今を逃したらきっと後悔する。だから)
少女は目の前の青年に強く抱きついた。こんなこと、今までしたことない。
そのまま顔を近づける。そして彼の唇へ、自分の唇を押し当てたのだ。
「愛してる」と唇の形だけで囁いて。
△▼△▼△
白いウェディングドレスを身に纏い、控室を出た。
ふわふわとしていてとても可愛い。かなり歩きづらい。一つ間違えば転んでしまいそうだが、全然気にしなかった。
(さあ、頑張らなくちゃ)
式場に姿を表す。すると一斉に民衆が声を上げた。
「王妃様だわ」
「王妃様きれーい」
「あれが新しい王妃様か」
この結婚式は王立公園で行われており、国民にも開かれているのだ。
ミンディは佇み、彼を待つ。若き王はまもなくやってきた。
「さて新郎新婦殿。あなたたちは未来永劫、互いに愛し合うことを誓いますか?」
「もちろんだ」と言って妻の肩を抱くオゼ。「彼女は一生離さない」
ミンディは頬を赤らめて頷き、柔らかく微笑した。
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こうして二人は、真の愛で結ばれたのである。
ミンディは口を利けないながらも優しい夫に支えられ、王妃として幸せに暮らした。
きっとこの先もずっと、彼らは愛を育むのだろう。――命尽きるその日まで。