奪おうとするものは、奪われる……?
「アレクサ」
どれくらい時間が経ったでしょうか。
5秒、それとも10秒くらいだったでしょうか。
レウルスが低い声で私を呼んで、じっと見つめられました。
レウルスの片腕がスッとこちらに伸びてきます。
手を掴まれる、と思いましたが、彼の手はビタッと空中で張り付けられたように止まりました。
「ごほごほごほ!」
突然、レウルスが激しく咳き込み始めました。
「レウルス?!」
「ごほごほごほ!」
「レウルス、大丈夫ですか?!」
「気管に入ったのか?大丈夫かレウルス」
こんなの、聞いてません。媚薬で咳き込むなんて聞いたことがありません。
普通、媚薬を飲んだらとろんとして、対象を無我夢中で襲ってしまうものなのです。
レウルスの食べたクッキーは、ユーシスの言うようにどこか変なところに入ってしまったのでしょうか。
いえ、それなら全然いいのです。
でも、こんなに長く苦しそうに咽てているなんて、何かおかしいのではないでしょうか。
たとえば魔女が媚薬と咽薬を間違えて私に渡していたとか。実はこれは媚薬じゃなくて毒だったとか。
「レウルス、吐き出してください!」
捏造した最悪の可能性を想像して、途端に心配になってしまった私はユーシスを客室に残して、レウルスの腕をものすごい勢いで引っ張りました。
そして扉を開け、勝手知ったる人の家を駆け抜けて、レウルスをお手洗いにぶち込みました。
「レウルス、そのクッキーを吐いてください!」
お手洗いのドアの外側から、中にいるレウルスに呼び掛けます。
返事はなく、彼が咽る声だけが聞こえます。
ああ、とても苦しそうです。私の所為です。
彼の苦しそうな咳を聞いているのに何もできないこの時間は、私にとってとてつもなく長く感じられました。
「ゴホゴホゴホゴホ」
咳き込むレウルスは、まだ返事が出来ないようでした。
苦しそうな声を聞きながら、私はふと思い出しました。
そういえば、森の魔女のお姉さんはこう言っていました。
たとえば心に決めたような人がいる時など、どうしても私に欲情するのを拒む場合、この媚薬に拒否反応が出る場合もあると。
なるほど。では、もしかしたらこれは、媚薬の代わりに毒を間違えて入れてしまったとかそういう訳ではなくて、拒否反応なのかもしれません。
レウルスはああ見えて誠実なやつです。
物心ついた時からレウルスの幼馴染をやっている私でも、彼に好きな人がいるなんて話は一度も聞かなかったけれど、きっととても大切に思っている人がいるのでしょう。
だから彼は今、必死に媚薬の誘惑と戦っているのです。
本当に悪い事をしました。
私は踵を返し、せめてもの助けになればと水をボトルに汲んで戻ってきました。
コンコンとノックして、お手洗いの扉を開けます。
「レウルス、お水です。飲めますか……?」
「触るな!」
辛そうにしているレウルスの背に触れようとしたら、噛みつくように遮られました。
「ご、ごめんなさい」
「お前はこんなもの、ユーシスに食わせようとしていたのか……」
まだ咽ながらも、レウルスは責めるような目で私を睨んできます。
「だ、だって」
「あいつはお前の姉と婚約したんだぞ……」
「でも」
「もういい加減諦めろよ……」
「いえでも、どうしても諦められなくて。もうレウルスにはバレてると思うから打ち明けますけれど、今日は既成事実を作ってユーシスを寝取るつもりだったんです」
「は?!」
正直に今回のユーシス奪還計画を打ち明けると、気心知れた幼馴染も流石に絶句したようでした。
それはそうですよね。
信頼していた幼馴染は、自分の兄に媚薬を飲ませて寝取ろうとしていた稀代の悪女、もっと言えば世紀の痴女だったわけなのですから。
「ですから、既成事実を作ればユーシスだって私と結婚してくれますよね」
「ば、馬鹿!お前はユーシスを姉から寝取っても幸せになれると思っていた訳か?」
「ええと、まあ、はい。というか、幸せにしてやるという意気込みでした」
「お前はそれでいいのか」
「ええ、はい。とは言っても両思いが一番理想ではありますから、私だってユーシスに好かれるように一生懸命努力する所存ですし」
「わかった……」
「分かってくれたのです?」
これから2時間ほど説教をされるかと思っていましたが、レウルスは案外簡単に頷きました。
私は少し拍子抜けしましたが、少しホッとしました。
やっぱり私の幼馴染は、ブツクサ文句を垂れながらも、いつだって私の味方でいてくれる。そんな気がしたのです。
でも、そう思ったのも束の間でした。
「それがまかり通るのなら、お前もそれを人にされても文句はないな?」
「えっ?」
「お前が無理やり既成事実を作られる側になっても文句は言えないな?」
「それは、どういう……?」
「だから、既成事実さえあればお前は結婚してくれるんだな?」
「ええ?」
「……最初は、こんな薬に乱されるままお前に乱暴はしたくないと思って我慢していたが、もういい。俺が幸せにしてやるから、お前は大人しく俺に襲われろ」
「えっ!きゃ、きゃあああ!」
ばこーーーーーん!!!
熱い熱を持った目をしたレウルスの顔が近づいてきたので、私は思わず持っていた水のボトルでレウルスを殴っていました。
なんて獰猛なゴリラ女なのでしょう、私は。
水の入った硬いボトルで、大切な幼馴染を殴ってしまいました。
しかもレウルスは当たり所が悪かったのか、気を失ってバタンと倒れてしまいました。
レウルスは媚薬に侵されておかしくなっていたので、正当防衛と言えば正当防衛です。
が、その媚薬を用意したのが私なわけですから、レウルスには本当に悪い事をしてしまいました。
私は、クッキーには手を付けず客室で待機していてくれたユーシスを呼んで、ぐったりしてしまったレウルスを運び出し、彼の部屋のベッドに寝かせました。
そしてそのまま、私は彼が目覚めるまでその枕元についていたのです。
「……アレクサか?」
「ああ、目覚めました!本当にごめんなさい、レウルス。殴ってしまったところ、たんこぶになっていますよね」
「……ああ、痛かったが、もういい……大丈夫だ」
ブランケットの中で目覚めたレウルスは私の知っている元のレウルスで、媚薬はすっかり抜けたようでした。
「あんなものを食わされたとはいえ、すまなかったな」
珍しく、レウルスが素直に謝ってきました。
「いえいえ、謝るのは私の方です。ごめんなさい。私もその件は忘れますから、レウルスも忘れましょう?」
「いや」
「え?」
今、提案を拒否された気がしたのですが、気のせいだったでしょうか。
どう考えてもレウルスだって、女とも思わないような腐れ縁の幼馴染を口説いてしまった過去など忘れたいはずです。
「忘れるな」
「忘れるな、ですか?」
「正確には、俺がお前を驚かせて怖がらせてしまったことは忘れて欲しい。だが俺はお前が好きで、誰にも、ユーシスにも渡したくないと思っていることは本気だと覚えておいて欲しい」
「……えっ?」
「だから鈍感なお前も分かるようにハッキリ言うが、お前が誰を好きでも、俺はお前を諦められないんだ。たとえ悪役になっても嫌われても、それでも俺はお前が欲しいと本心では思っている」
「……え、あの」
「返事を求めている訳じゃない。だが、覚えておいてくれ」
言うだけ言って背を向けてしまったレウルスの枕元で、私は暫く放心していました。
何も言葉が出てきません。
この気持ちを表す言葉が見つかりません。
ずっと仲の良いだけの幼馴染だと思ったいたレウルスの気持ちは、私にも共通するところがありました。
でも彼のその言葉に対する私の気持ちを表現する、丁度いい言葉が分かりません。
考えても考えても何も思いつかず、ただただ真っ白な思考が堂々巡りをするだけなのですが、唯一辿り着いた先に、嫌ではないという感情がありました。
いえむしろ、嬉しい寄りの感情だったかもしれません。
ユーシスに抱くものとは別の、でも触り心地の良い感情です。
フワフワとした、新しい味の感情です。
くすぐったいようなおかしいような、そんな未知の匂いのする感情です。
私には、この感情がこれからどう育っていくのか皆目見当がつきません。
でも、きっと未来は悪いものではないのではないでしょうか。……と、そんなことを思ってしまったのです。