私がそれを贈った理由
ユーシス奪還計画と私の悪女デビューは、襲われた姉と、それを助け出したユーシスの仲を深めてしまっただけに終わりました。
そして更に私は酷い目に遭った訳ですが、まだまだへこたれません。
だって私の中の悪女が、まだまだやれると言っているのですから。
ある日の私は、ユーシス奪還その2と題して、「婚約は破棄しましょう」と姉の字を真似て書いた手紙をユーシスに送りつけました。
これで二人を別れさせようと思ったのですが、手紙を持って姉を訪ねてきて「僕は婚約破棄などしたくはない」と姉を懸命に説得するユーシスを目撃する羽目になってしまいました。
要するに、ユーシスが姉をどれだけ愛しているか、見せつけられる形になってしまいました。
姉は婚約破棄の手紙に身に覚えはないと言って一件落着したのですが、「婚約破棄したくない」と言ったユーシスの真剣なまなざしに姉は感動したようで、二人は今まで以上に、お互いの顔を見合わせて笑い合うようになりました。
もしかしたら、私はまたしても二人の仲を深めてしまったのかもしれません。
でも、私はめげません。
失敗があれば成功もあるはずです。
出来るまで何度も挑戦していれば、きっと最後には報われるはずです。
私のユーシス奪還計画その3は、街角の占い師に化けて姉とユーシスの運勢を占い、彼らの相性は最悪だと言って別れさせるというものです。
ユーシスは割と現実的ですが、姉は少し夢見がちなところがあるので、きっと占い師の言うことを真に受けてしまうでしょう。
しかし、これも失敗に終わりました。
ユーシスが「いくら不幸なことが起ころうとも、僕は君といられたら幸せだよ」と姉を慰めたからです。
私は、喉から手が出るほど聞きたかった言葉を他の女性に向けて放つ好きな人を、目の前で見るはめになってしまいました。
ユーシス奪還計画その3でも精神に大きなダメージを負いましたが、私はやっぱりヘコたれません。
だって、誰よりもユーシスのことが好きなのですから、悪女を貫き通してでも彼を手に入れなければ、この気持ちは収まらないのです。
ユーシス奪還計画その4として、私は痛む心にムチ打ち、姉はビッチだという噂を流しました。
姉は清楚で可憐な見た目をしていますが実は大の男好きで、毎晩男性を部屋に連れ込んでいるから隣の部屋の私は眠れないのだ、と大勢の学友に言って回りました。
この根も葉もない噂が、ユーシスの耳に入るまでコソコソと暗躍したのです。
そして程なくして、姉は何人かの女子生徒から責められるようになりました。ユーシスの婚約者でありながら男をとっかえひっかえして何事か、と。
私はハラハラしながら見守っていましたが、女子生徒たちの姉に対する態度はきつくなるばかりです。
私は全部自分の空耳だったと打ち明けて姉の噂などなかったことにしようと思いましたが、私が決意をした時には、もう姉は有志たちの手によって階段から突き落とされていたのです。
なんてこと。
姉が痛い思いをすることなど望んでいません。
私は咄嗟にこの身を投げ出しました。せめて姉の下敷きになって姉の体を守ろうとしました。
でも私はグイッと引っ張られて、ついでに落ちていた姉の体も支えられて、私たち姉妹は落下から救われたのでした。
見上げれば、呆れた顔をしたレウルスがいました。
この一件で流石に懲りたかと思いきや、私はまだまだ精力的に悪女活動をしていました。
だって、一度悪女に成り下がった私ですもの、少々のことで改心することなど出来ません。
ユーシスを簡単に諦めるなんてできません。
ユーシス奪還計画は、その5その6その7その8その9と順調に失敗していきましたが、私にはまだ計画その10もその11もその先もあるのです。
諦めるわけにはいきません。諦めてなるものですか。
「何してるんだ、アレクサ」
「ひゃああ!」
ユーシスの屋敷、エバードール邸の門の影でユーシスが出てくるのを今か今かと待ち伏せしていた私は、後ろから声をかけられて飛び上がりました。
振り向けば、私の背後にはレウルスが立っていました。
出掛けた帰りなのでしょうか。少し余所行きの服を着ています。
「その手に持ってるものは?」
「べ、別に何でもいいですよね」
「ユーシスにか」
レウルスは私が抱えているプレゼントボックスを見て、眉を顰めました。
この幼馴染は妙に鋭いところがありますから、一瞥でこれがユーシスへのプレゼントだということを見抜きました。
「別に誕生日でもないのに贈り物なんて……。いい加減諦めろよ。あいつはお前の姉と結婚するんだろ」
「まだ!結婚するって決まったわけじゃないですし!」
「婚約破棄なんてそうそうしないだろ」
「します!絶対します!」
「いや、しないだろ」
「します!させてみせま……あっ」
口を慌てて押さえましたが、時すでに遅し。
もしかして私今、口を滑らせたでしょうか。
今まで慎重に行動してきた私の、ユーシス奪還計画が明るみに出てしまったでしょうか。
「前々から何かおかしいと思っていたが、何か企んでいるな?」
「いやですね。人を疑うなんて」
「変なことするなよ?」
「べ、別に何も」
「じゃあその箱の中身、見せてみろ」
私が不自然に目を泳がせると、レウルスはやはり何かを察したのか、ちょっぴり怖い顔で睨んできます。
色々あって言い忘れていましたが、実は私は、真っ黒い髪でつり目の令嬢です。
いかにも悪女然とした、悪女になるために生まれてきたような見た目をしています。
それに対して姉はヒロイン然とした穏やかな金髪美少女です。
それはもう、皆に愛されるための見た目をしている姉ですから、きっとレウルスだって一度や二度は憧れたことがあるでしょう。
その姉の周りで悪女面した私が挙動不審であれば、何かを疑うのは当然ともいえる行為です。
ましてや、怪しい前科があるのですから、彼が警戒するのは当然です。
「でも箱の中身は見せられません」
「じゃあ何が入っているのか言ってみろ」
「……」
「なんだ。聞こえない」
「び……」
「び?」
駄目駄目駄目です。
これ以上口を開いては絶対にダメですよ、アレクサ。
これは媚薬入りのクッキーです、なんて正直に言ってはだめなのです。
それをユーシスに食べさせて、姉と結婚する前に彼と既成事実を作ってしまって、責任を取ってもらって私と結婚という計画を立てていますなんて、流石に気心知れた幼馴染相手でも言えません。
ええ、絶対に言ってはなりません。
「び、びっくり箱です」
「へえ」
何とか誤魔化しました。
いえ、レウルスはまだ訝し気な顔で私を見ています。
誤魔化し切れていない気がします。
この幼馴染は、私がユーシスを追いかけていると、いつも物凄く機嫌の悪い顔で登場して、なんだかんだとしつこくいちゃもんをつけてくるのです。
昔はこんな性格の悪い子ではなかったのですけれど、やっぱり時は人を変えてしまうのでしょうかね。
「まあいい。客室に案内してやる。来い」
「あっ、えっ」
私は有無を言わせぬレウルスに引っ張られ、私はあっという間にエバードール邸の見慣れた客室に案内されたのでした。
「いつもの茶を頼む。ああ、アレクサはカモミールだ」
客室のソファに腰かけていると、対面に座っていたレウルスが侍女に指示を出していました。
暫く黙って見ていると、あれよあれよという間に豪華なアフターヌーンティーが目の前に用意されてしまいました。
「ユーシスはすぐ来る。それまで茶でも飲んでいろ」
「えっと、ユーシスの件は分かりましたけれど、レウルスは今日忙しいのではないです?」
「いいや。今日の俺は暇すぎて死にそうなくらいだ」
レウルスの今日の予定は知りませんが、早くどこかへ行ってくれないかなという気持ちを込めて、遠回しに聞いてみました。
だって、ユーシスがやって来て私の媚薬入りのクッキーを食べた時に、レウルスが近くにいたらまずいでしょう。
いくら気心が知れた幼馴染とはいえ、イチャイチャしているところを第三者に見られてもいいかと言うと、私も流石にそこまで恥じらいは捨てていません。
彼だって、自分の兄と幼馴染がイチャイチャしている現場など見たくない筈です。
だから双方の利益の為にも、今日ばっかりは早くどこかへ行って欲しいのですけれど。
「なんだ。俺にどこかへ行ってほしそうな顔だな。そんなに俺が邪魔か?」
「い、いえ。そういう訳でもあるのですけど……」
「本当、お前は正直だな」
はあと溜息をついて、レウルスはティーカップの中のお茶を一口口に含みました。
蛇足ですが、足を組んでお茶を飲んでいる彼は、ユーシスと同じくらい絵になります。
こういうところは、流石血のつながった兄弟と言ったところでしょうか。
「待たせたね。用は何だい、アレクサ」
ガチャリと扉が開けられて、待ち望んでいたユーシスが客室に入ってきました。
ああ、今日は髪を後ろで束ねているのですね。
レウルスはいつも長めの髪を後ろで束ねていますが、やっぱりユーシスがした方が大人っぽくて恰好良いです。
私はユーシスを笑顔で迎え入れ、レウルスの隣に座った彼にお茶を勧めました。
当初の私の計画は、ユーシスと二人きりでお茶をして、そこでクッキーも食べさせてしまおうというものでした。
でも今はレウルスがいるので、少しお茶を飲んだら何だかんだと理由をつけてユーシスの部屋に転がり込み、そこでクッキーを食べさせる方向で行きたいと思います。
「ユーシス、ちょっとお茶を飲みながらお話を……」
「アレクサはお前に渡したいものがあるらしい」
先ずは場を和ませてから機会を窺おうと考えていた私の言葉を遮って、レウルスがいきなり私の計画を滅茶苦茶にしてくれました。
ここでこのプレゼントボックスを開けてしまったら、必然的にレウルスも中身が確認できてしまいます。
何と空気を読まない幼馴染でしょう。
「へえ。渡したいものとは何だいアレクサ」
「え、えっと……」
あっという間に、渡すしかない状況に追い込まれてしまいました。
私は、背中に隠していたプレゼントボックスをおずおずと引っ張り出しました。
「お、贈り物を……」
「わあ、ありがとう、アレクサ。開けてみてもいいかい」
「え、ええ、もちろん……」
私はたどたどしく答えます。
嬉しそうにしてくれる優しいユーシスに心がキュンとすると同時に、ユーシスの隣で私の一挙一動を観察しているレウルスの鋭い視線が焼け付くように痛いです。
「クッキー?アレクサが焼いてくれたのかい?美味しそうだね」
プレゼントボックスを開けて中を覗き込んだユーシスが微笑んでくれました。
ああ、優しい。
ユーシスは、彼を媚薬入りのクッキーなんてもので嵌めようとしている、こんな邪な私にも優しいのです。
彼はいつもそうでした。そんなところが好きなのです。大好きです。
ですから私は、心を鬼にします。
悪女にでも鬼にでもなって、何としてでもこの優しいユーシスのお嫁さんになりたいと誓ったではありませんか。
ユーシスには、ここで媚薬入りのクッキーを食べてもらいましょう。
レウルスがいますが、もう致し方ありません。彼の前で盛大に乱れてやりましょう。
ユーシスと既成事実を作ってしまえば、あとは私がどれだけ罵られようと構いはしないのです。
「ユーシス、どうぞ食べてみてください」
私は心の葛藤など何事もなかったかのように微笑みました。
「じゃあいただこうかな」
ユーシスは頷いて、私のつくった高濃度媚薬入りクッキーに手を伸ばしました。
そうです。そのままクッキーの一かけらを指でつまんで、ポリポリ齧って飲み込んでください。
そのクッキーは、森の魔女のお姉さんに特製で作ってもらった、食べた人間はもれなく私に発情してしまう私の涙入り媚薬がたっぷり入ったクッキーなのです。
「待て!」
クッキーを摘まんでいたユーシスの手が止まりました。
ユーシスを制止したのはレウルスです。
「アレクサお前、これはびっくり箱だと言っていたな?なのに中身は普通のクッキーか?」
訝しげな顔をしています。
なんだか犯人を追い詰める探偵のような顔でもあります。
ということは、私はさながら証拠を掴まれかけた犯人と言ったところでしょうか。
「く、クッキーでもびっくりしませんか?私手作りのクッキーですよ」
「お前が料理を作れたなんて確かに驚きではあるが、何か引っかかる……俺が毒見する」
まずいまずいまずい。
レウルス、それは暴挙というものです。
良く分からないものを食べてはいけないと、ご両親から教わらなかったのでしょうか。
私が「駄目です!」と声を上げる前に、レウルスは媚薬入りクッキーをヒョイパクッと口に入れてしまいました。
そしてポリポリと軽快な音を立てて飲み下します。
……ああ。ほんとに食べちゃいました。