カウントダウン
引っ込み思案な高校生の小林柚季が少し変わった形でクラスメイトと関わって行くようになるお話です。
デートまでの2週間。学校で見る小林さんは、日に日に上機嫌の度合いが増しているように思えた。
第1週目の前半。
小林さんのノートを書く指の爪先は丁寧にヤスリがかけられたあとにトップコートが塗られ、さりげなく輝いている。
第1週目の後半。
小林さんの唇が、少しだけ光るのがわかった。発色も、いつもより少し鮮やかだ。生徒指導の先生がギリギリ許可する程度の、動脈血のようなオレンジがかった、薄い赤の色付きグロスをつけているように見える。
第2週目の前半。
髪の毛が少し艶めいている。また、少しだけ甘い匂いがする。たぶん普段のシャンプーとリンスに加えて、トリートメントを足したんだろう。
第2週目の後半。
ほんの少しだけあった肌のくすみが綺麗に無くなっていて、しばしば小声で鼻歌を歌う様にすらなった。遂によく喋ってる女子(名前は知らない)が、「どしたの?最近ご機嫌じゃん?」と放課後話しかけた。
「え。そうかな?」
小林さんが学級日誌を書く手を止めて答える。
「うん。なんかネイルとかリップとか光ってるし。なんかいいことあったの?」
「いや、特にそんな事はなかったんだけど、単にちょっとやってみようかな、と思って」
「ふーん……。でもさ、ミズキって素がいいから、ちょっとやると凄い変わるよね」
「え、ありがとう。でも、そうかなぁ」
「うん。私的には隣のクラスの榎本より好み。ぶりっ子じゃないし」
「榎本……。あー。あの、よく色んな人から噂を聞く、榎本サン?」
「そーそー。あの人ホント凄いよね……。男子のいる前だとメッチャハイテンションのくせに、女子だけになると名前呼ばれても無視だし」
「ハハハ……そうなんだ……」
「いやホントホント。それでもあの見た目だから男子は寄ってくるじゃん?そうすると賑やかしの一部の女子とかも榎本の周りに行くし……」
「そんなのいるんだ……」
「いるよー……。例えばバレー部の……ってゴメン。ミズキにこんな話しちゃって……そもそも榎本なんか全然知らないって話だよね」
「ううん。大丈夫」
「ありがとう。そろそろ時間だから、部活行くね」
「うん。頑張って」
「さっきは変な話しちゃってごめんね!また来週!」
「気にしないで。バイバーイ」
部活に行く友達を見送ると、小林さんは少し疲れた様に日誌に目を落としたかと思うと、何か嫌な考えを振り払う様に小刻みにかぶりを振った。そして、隣にいる僕に気付いた。
「あ、小林くん。お疲れ」
「お、お疲れ様」
「ちょっと恥ずかしいところ見られちゃったね」
「え、そ、そうかな?」
「うー。あー。人によってはそうじゃないのかもだけど、目に見えて今、私落ち込んでたなって思って」
……そ、そうかな……?
「あ、そ、それなら、これ、あげる」
僕は思いつきで、カバンの中に入れているチョコレートを1粒小林さんの机に置いた。板チョコのような板状のパッケージの中に、一粒ごとに銀紙に包まれたチョコレートが12粒ほど入っているものだ。
「え、いいの?」
「うん」
「ありがとう!いただきます」
小林さんはそう言って、僕のおいたチョコを嬉しそうな笑顔で美味しそうに頬張った。
「美味しい!私これ好きなんだ」
「そ、そう。よかった……」
そういうと僕は逃げるように立ち上がって、気づけば教室の出入り口にいた。普段人と会話しない僕には、好意的な笑顔や「ありがとう」という言葉ですら、どう応えたらいいかわからない。だから逃げ出したくなってしまったのだ。
「あ、小林くん、もう帰り?」
「う、うん……」
「そっか。気をつけてね!」
僕に今まで同年代の女子にむけられたことのない笑顔で、小林さんが僕を見送る。
「あ、ありがとう。こ、小林さんも……気を……つけ……て……」
そんな屈託のない笑顔を僕は直視できず、即座に目を逸らして、そそくさと教室を出た。
「また、明日ね」
小林さんが小声で、そう呟いた気がした。
人間臆病者になると、他者の感情が怖くなるのだと思います。それが好意か害意かは関係なく、他者の感情が恐怖の源泉になるのです。そしてそれは、とても辛いことです。