上下関係
「へっ……変態って……人違いじゃないですか?」
もちろん、心当たりはある。踊っている時に思いっきり匂いを嗅いでいた。バレないようにしたつもりだったが、しっかりバレていたらしい。
「私、そんなにいい匂いだった? 変態さん」
「は……離して……」
「ダメよ。お仕置きなんだから。もっと嗅ぎたい? 途中でお預けされてどんな気分だった?」
どうやら鎖骨の旅が打ち切られたのは偶々ではなく意図的だったらしい。
「い……いや……嗅いでないです……」
リリィ・ルフナは私の顔のすぐ横の壁に手を叩きつけた。耳元で大きな音が鳴り、体が反射的にビクッと動く。
「嘘はやめなさい。本当の事を言ってくれたらさっきの続きをさせてあげてもいいわよ」
飴と鞭。目を細めて冷たく笑う彼女に誤魔化しは通用しないようだ。無言で何度も頷く。それでも壁に押し当てるような拘束は解けないどころか、むしろ力が強くなっている。
「最初から正直に言えばいいのよ。嘘を本当にできるのは力を持つ者だけよ。今この空間にいるのは私とあなただけ。どちらが優位なのか分かるでしょ?」
私は弱き者。それは身分や順位だけでなく、力、性格、相性。ありとあらゆる要素で彼女には勝てないと思った。
「そ……それで続きは?」
「ある訳ないでしょ。この場では私は嘘をつける立場なの。文句ある?」
「ないです……」
数回の言葉のやり取りで私達の上下関係は固まってしまった。私が力関係を理解したと察したのか、拘束が緩くなる。
「そういえば名前が同じだったわね。自分を呼んでいるみたいで気味が悪いから新しい名前をあげる。……そうね。リフィなんていいんじゃない?」
「はい……」
尊厳も名前も奪われた。もう好きにしてほしい。そういえば風呂に行こうとしていたのだった。早く解放してくれないだろうか。
「リフィ。そこに座りなさい」
彼女が指さしたのはベッドの端。言われたままに腰掛ける。
「そこで脚を組むの」
また言われるがままに脚を組む。すると、彼女は私の前に来て床に座った。これでは私の方が見下しているみたいになってしまう。
いや、別に問題ないのだった。厳し目に上下関係を刷り込まれかけていたが、建前上は私達は対等なはず。だから、私の方が目線が高いのも問題ないのだ。
彼女はそのまま私の脚を凝視してくる。何がしたいのか分からないまま、私の脚を見つめる彼女を見つめるだけの時間が過ぎていく。
「あの……まだですか?」
彼女はハッとした顔を私に向けてくる。いかにも『ノープランだった』みたいな顔をされても困る。座れと言って私の脚を眺めだしたのはあなたの方じゃないか、と言いたい。お仕置きが怖いので言わないけど。
「いい脚ね。ただ食事を拒絶してガリガリに痩せただけの細い脚とは違う。筋肉もついていてしなやか。それに白くてハリがある。一本も毛が生えていないのね」
ウットリとした表情で私の脚を見てくるので少し恐怖を覚える。
「あ……ありがとうございます」
「脚を開いて」
「えぇ!? いや……それはちょっと……見えちゃいますし」
スカートなので脚を開くとそのままパンツまで見えてしまう。
「は、早くするのよ。そんなもの見ないから」
逸る気持ちを抑えられないように、噛みながら私を説得してくる。
渋々だが脚を開くと彼女は顔を私の膝辺りに埋めてきた。彼女の細い髪の毛が内腿と擦れてくすぐったい。
やっと気がついたが、どうやら彼女も変態だったようだ。頬を私のふくらはぎに擦り付ける毎に鼻息が荒くなっている。どうやら私が優位に立つ順番が回ってきたらしい。
脚をキツめに締めて彼女の頭を固定する。自分が思うように動けないからか、顔を無理矢理引き抜いて私を睨みつけてくる。
「脚、舐めてみますか? いいですよ」
彼女は数秒固まった後、獣のように私に襲いかかってきた。両手を掴まれ、ベッドに押し倒される。
照明に縁取られて輝く銀髪が私の顔に触れる。絹のような柔らかさが伝わる質感だ。手櫛をしても、一度も引っかからずに毛先まで到達できるのだろう。
「調子に乗らないで。貴女の脚も名前も、全てが私の物なの。貴女の名前をリフィに変えたように、貴女の脚も私が好きなタイミングで好きなようにするの。指図しないで」
「少し考えてたのは自分の欲望と調教のどっちを優先するか悩んでいたんですか? 素直になって良いんですよ」
目を見て言い返す。彼女は私の言葉を聞くなり、覆いかぶさった体勢のまま私の耳たぶにかじりついてきた。甘噛というには少し強いので、痛みを感じる。手で目隠しをしてきたので、視覚を奪われてしまった。そのまま耳元で囁くように告げてくる。
「このまま耳を噛みちぎってもいいの。私にはそれが許される。貴女はお仕置きされる側の人なの。いい加減自覚なさい」
喋りながら耳にかかる吐息と彼女の匂いで背筋がゾクゾクしている。鳥肌が止まらない。意図せずに何度も唇から漏れる吐息と共に「はい」と返事をしてしまった。心の底から彼女の言う通りだと思った。彼女の匂いはそれほどまでに私の判断を鈍らせる、悪魔のような香りだ。
彼女は右手を支えにして身体を百八十度回転させ、私の横に寝転がる。風の吹く草原に二人で寝転がっているかのような体勢だ。
「脚はまた今度ゆっくり味わう事にするわ。もう出ていっていいわよ」
「え? もういいんですか? 他に話は?」
「ないわよ。後、この事は他言無用よ。分かってるよね?」
嘘を真実に、真実を嘘にする力。それを彼女は持っている。だから、いくらここで起こった真実を私が説いたところでそれは嘘になる。痛いほど分かっているので私は無言で頷く。
扉の鍵を開け、ドアノブを引く。
「じゃあね。リフィ」
ベッドの方から気だるそうな声が聞こえる。名前まで奪われて、やられっぱなしは癪だ。何か一つでも仕返しがしたいと思った。
「じゃあね。脚フェチリリィちゃん」
激高したリリィが飛びかかってくる前に部屋を出て、風呂にダッシュで向かうのだった。
 




