境界
風呂から戻りリリィの部屋のドアが閉じるなり、私のバスローブは剥ぎ取られる。無言でベッドの上に押し倒された。
垂れ下がってくるのは、まだ雫が定期的に垂れる程に濡れそぼった銀色の髪の毛。頭のてっぺんから降りてきた水分が雫となり、私の頬に水が垂れている。
薄暗くてリリィの顔は見えないが、笑っている事だけは分かる。リリィもバスローブを脱いでいるのだろう。肌と肌が密着する感覚が強い。
「リフィ。私は素直になろうと思うわ。自分の気持ちにも、欲望にもね」
「い……今までは隠していたってことですか?」
十分にやりたい放題だった気がするけれど、これでもまだ欲望を抑えていたと言われると私も受け止めきれるのか不安になる。
「まぁ……その二つは似てるかもね。きちんと私の気持ちを伝えていなかった。自分がどうされたいのかも隠していた。貴女が満足していそうだったからそれで良いと思っていたのよ」
性の欲望というよりは、もっと別の、人との触れ合い的な意味だったと察して、少し残念な気持ちと安心が入り交じる。
リリィの言葉を待つようにじっと目を見つめる。いつもより瞬きが多い。緊張しているのだろう。
よく考えたらリリィにだけ緊張させている気がした。風呂場でも言われた事だが、私が受け身すぎたということ。
リリィの言葉を誘い出すためには私も自分から言わなければ。
「リリィさんの事、好きですよ」
リリィの目がカッと開く。無意識に色々な感情を抑え込んだが故の反応だろう。
私の言葉が消えて久しく感じるまで沈黙が続く。
やがて、リリィは唇を何度も震わせて、やっと口を開いた。
「リフィ……私も好きよ」
何を言われるのかは分かっていたから、心の準備も出来ていた。だか心の準備なんてものを一挙に押し流す程の感情が渦を巻くように流れ始めた。
その渦は身体中を駆け巡って、涙腺に影響を与える。嬉し泣きなんてする人はいないと思っていたけれど、私は今泣いているはずだ。
頬にはしつこいくらいにリリィの髪の毛から水が垂れてくる。拭っても拭っても、雫の垂れるペースは早まっていく。よく見るとリリィも泣いていた。泣きながら、リリィはまた口を開いた。
「好きだから……もう、やめましょう」
一瞬で冷静な自分に引き戻される。正しく意味は理解できた。この関係の解消だ。
だから、リリィから逃げるように、身体を起こして壁に背をつける。リリィは微動だにせず、私の顔があった位置に残り続け、一人泣いている。
「どういう……ことですか?」
「言葉通りよ」
「理由を教えて下さい。リリィさんの事だから何かしらの考えがあるってことは分かりますから」
不思議と怒りは湧いてこない。リリィはこういう人なのだと分かってきたからだ。何かしらの理由があって私を遠ざけたい。ただ、その導入が少しばかり下手くそなだけなのだ。いや、かなり下手といっても良い。
リリィは顔を上げて私を見つめる。風呂場の時のような感情のぶつけ合いにはならない。そう察したようで、リリィも少し落ち着いてきたらしい。
「ネリネ……というか父の事が気にかかるの。次に狙われるのは貴女だと思っている。ランやピオニーは我が強いし、投票の上位の人ばかり使ってオーディションをぐちゃぐちゃにするのは父も本意ではないはず。二人でいる所を見られているし、チームも同じ。必然的に次は貴女がターゲットになる」
リリィは淀みなくこれから起こることを予言する。真偽の程は分からないけれど、父の性格を手がかりに誘拐作戦の全貌を予想していたくらいなので、この話にも一定の信憑性が伴う。
だからといってリリィの事を諦めたくはない。やっと欲しい言葉を貰えて、私も言うことができたのだから。こんなところで終わらせたくない。
「リリィさん。その話の前提は私がリリィさんを裏切るって事ですよね? そんな事になると思ってますか?」
リリィは痛いところを突かれたと言いたげな顔をする。
「そ……そんな事は思っていないわ。ただ、父は狡猾なの。ネリネを騙したように、どんな手を使うのか分からない。例えば、私をオーディションから脱落させたら私を好きにして良い。同性だろうと構わない。権力を使って全力でバックアップする、と言ってきたら?」
「断りますよ。父親のバックアップがあったらリリィさんは本当の意味で解放されていないです。そんなところで二人で過ごせても嬉しくも何ともないですから」
ただ真っ直ぐにリリィを見つめて言う。リリィのように、身体を指でなぞったり、頬骨に沿って顔を撫でたりなんて大人の余裕が漂うことはできない。
「口では何とでも言えるわ」
リリィは頑なに私の事を信用しようとしてくれない。妹のような存在だったネリネ、そしてネリネを裏切らせたのが実の父という事がかなり尾を引いているのだろう。
口ではない別の行動で信用してもらうしかない。
「リリィさん、来てください」
裸のままリリィをベッドから引きずり下ろし、窓の側まで誘導する。寒いので開けていなかった窓を全開にすると、レースのカーテンが風を受けてそよいだ。窓の目の前にいた私達は風を受けたカーテンに包まれる。
「私は本気です。リリィさんもいい加減本気になってください。ネリネだって今日の昼間、リリィさんを裏切った負い目を感じて寝込んでいました。私がリリィさんを裏切った時はこうします!」
窓枠に足をかけ、体重を少し前にかければいつでも落下できる。ここは二階なので死にはしないだろうけど、リリィへ私の覚悟を伝えるには十分な高さだ。
「ちょっと! やめなさい!」
リリィに窓際から引き離され、床に投げられる。カーテンがリリィに纏わりついて服のようになっている。布一枚を雑に纏うだけで絵になる美しさ。その美しい人が私のものになりかけている。実感が伴ってくると気恥ずかしさが出てきてじっくりと前を向けない。
「リフィ。馬鹿な事は止めなさい!」
「裸でカーテンを着てる人だって十分馬鹿っぽいです。リリィさんは本気になったら、もしもの時は塔から身を投げるんですよね? 私も同じです」
リリィは恥ずかしそうにカーテンを払い、窓を閉める。
「いつまでも守られてばかりじゃないですから。今日だって私はリリィさんを守りました。身代わりになって誘拐されたんです。逆だったらリリィさんは絶対に助かってませんよ。私はリリィさんみたいに追跡なんて出来ないですから」
リリィは私の言ったことを噛み砕くのに時間がかかっているらしい。私も自分で言っていることが支離滅裂な事はわかっている。それでも口を動かし続けてリリィのペースに巻き込まれないようにする他ない。
「明日からも私は活躍します。リリィさんが苦戦しているところに颯爽と現れてドラゴンを一撃で倒すんです。いい加減私を守ってやってるって意識は捨ててください。もう対等なんですから!」
そんな訳がない。少しばかり生意気になって自我が強くなっただけで、実力は相変わらず伴っていないのだから。
リリィに少しでも私を強く見せたいがための嘘。すぐに見破られてしまうけれど、意思表示にはなったはずだ。
「……分かった。けど一人で何でも背負い込むのはやめてね。私達は仲間よ」
リリィは私の前に胡座をかいて座り、そう言う。
「仲間だけですか? 友人、パーティ、チームメイト。後は何ですかね」
私もリリィに近づいて、顔を目の前まで持っていく。額と鼻の頭同士がくっついているけれど、肝心の唇はまだ距離を保っている。
「貴女から踏み越えなさいよ」
照れ隠しに目線を逸しながらリリィが言う。
「嫌です。リリィさんからの言葉を待っているんです」
「対等なんでしょ? 少しは私の頑張りに応じてくれてもいいじゃない」
「それとこれは別です。本当に私の事好きなんですか?」
「当然でしょ。貴女こそどうなの?」
「す……好きですよ」
言わされてしまった。リリィに先に言わせようと思ったのに。
リリィは私の言葉を聞くと満足気に顔を外し、ベッドに腰掛ける。
「ありがとう。それじゃ、忠誠の証を見せて頂戴」
組まれた足がプラプラと宙を舞う。
こういう風に流されるのでリリィにペースを掴ませてはいけないのに。そうだと分かっているにも関わらず、火に引き寄せられる虫のように四つん這いでリリィに寄っていってしまった。




