別荘
「絶対に何かある。ネリネはもっと馬鹿なのよ。勇者になりたくないだけならとっくに辞退しているはずなのにそうしない。誰かに脅されている? いや……」
時たま大きく揺れる馬車の窓から外を見ながら向い合せの席に座っているリリィは独り言と共に考え事をしている。
口元に手を添え、物思いに耽るリリィも絵になる。私が画家だったらこの場面を切り取って絵にしたいくらいだ。
馬車の中には私とリリィだけ。数日経った今もリリィとネリネの溝は埋まっていないためチームも二分されており、馬車も二台編成となった。
ピオニーもランもリリィの事を嫌っている訳ではないが、年下でこれまでも貴族からの強い当たりに晒されていたネリネに同情しているようだ。
私は中立の立場だが、リリィを一人にするのは忍びないのでリリィ側の馬車に同乗した。勿論、個人的な感情ならリリィを全肯定するけれど。
この馬車の行先はルフナ家の別荘。私の家は一軒しかないので当然リリィの方のルフナ家だ。
郊外で実際に魔物と戦いながらドラゴンと戦うイメージを付けていく事になったのだが、宿泊先のグレードを下げたくないというリリィの要望によりルフナ家の別荘を使う事になった。
郊外には宿舎のようなきちんとした宿泊施設も少ないため、そういうところでじわじわと疲れを溜めていくよりはよっぽど良い、という全員の見解も一致した。
「リフィ、どう思う?」
「えぇと……何がですか?」
「ネリネの事よ。一次審査の時は変な様子は無かった。二次審査になった途端、何かおかしくなったと思わない?」
「どうでしょうね……でも、結構前にネリネと二人で話した時も貴族に嫁ぎたくないって言ってたので、その気持ちは本物だと思いますよ」
「或いは、彼女の自立したいという夢に誰かがつけ込んでいるのかしらね」
「ネリネが誰かに操られているって事ですか?」
「その可能性もあると思っているわ。あんなに素直だった子が嘘をついてまでチームの和を乱そうとしている。それに、相談も無しに魔物を選ぶならゴブリンでしょう。チームメイトが誰も魔法を使えないのを分かっているのにドラゴンを取る人がいる?」
「うーん……そうですけどぉ……」
確かにネリネの行動には一貫性がないというか、引っ掛かるところが多い。裏で誰かが糸を引いているとしたらその人は何のためにそんな事をしているのだろう。分からない事が多すぎて背もたれに頭を投げ出す。
「まぁ……ここで考えても仕方ないわね」
リリィはそう言うと席を立ち、馬車の窓に付けられた仕切りを下ろし、外から完全に見えなくした。
私の隣に座ると、太い人が三人は余裕で座れそうな広い椅子の端に座っている私を更に壁に追い詰めるように距離を詰めてきた。
一次審査を私が突破したら私達の関係の事を考える。そんなリリィの約束だったが、実際二次審査が始まってから荷造りや訓練先の選定でバタバタしていてゆっくりと話せていない。
何せドラゴンと戦わさせられるのだ。夜もチーム全員で集まって計画を立てていたので、二人っきりでゆっくり話せる機会がやっと訪れたことに気づく。
「リリィさん……その……約束って、覚えていますか?」
「そんなモジモジせずに堂々と聞けばいいじゃない。忘れる訳ないでしょう」
リリィは横からギュッと私を抱きしめ、別に誰に聞かれる訳でもないのに耳元で早口で続ける。
「私は逃げないし、貴女を絶対に逃さない。時間はたっぷりある。でもその前に面倒事を片付けないとね。貴女も考え事をしていたら気分良く達せないでしょう?」
「ネリネですか?」
「そうよ」
リリィは何でも言うように見えて、何でも遠回しに言ってくる人に思えてきた。まるで私達の今後のことを交渉の材料にするかのように、ネリネとの間を取り持てなんて言ってくるのだから。素直にそういえば良いのに。
「分かりましたよ。別荘についたら話してみます」
「ありがと。助かるわ」
リリィはそう言うとまた私の向かいに移動して窓から外を眺め始めた。私が欲しい言葉は「ありがとう」でも「助かる」でもない。わざと焦らしているようにも感じてしまい、恨めしい目でリリィを見つめ続けた。
別荘に到着した。馬車は鉄格子の立派な門をくぐると大きな噴水をぐるりと半周して屋敷の前で停止する。
「ついたわ。行きましょうか」
リリィに続いて馬車から降りると、もう一台の馬車に乗っていた三人は長旅の疲れを抜き取るように体を伸ばしていた。
「疲れたわね」
「そうっすね……今日はゆっくり休めるから良かったです」
ネリネに後ろから話しかけると疲れを隠すような笑顔で答えてくれる。ネリネも天然だがバカではないようで、私を敵と認識はしていないようだ。
「お嬢様方、長旅お疲れ様でございます。お待ちしておりました」
馬のいななきで到着を知った使用人が迎えに来た。リリィの指示でテキパキと荷物が屋敷の中へ運び込まれていく。
「いやぁ。リリィ様々だよな。こんなところで二週間過ごせるなんてよ。しかも温泉が湧くんだろ? やべぇよな。ずっと住みてえよな。使用人で雇ってくんねぇかな」
「ラン、あくまで訓練が目的なのよ。火山の近くにドラゴンがいるからここに来ただけで、温泉が目当てじゃないわ」
浮かれているランをピオニーが嗜める。繁殖期のドラゴンが近くの火山に集まるらしく、訓練にはうってつけの時期と場所だった。
火山の副産物として湧いている温泉。それを引き込んでいるのが、目の前に鎮座する屋敷らしい。王都の屋敷に比べると高さはないがその分横に広い。等間隔に取り付けられた窓を数えるのも諦めてしまうほどだ。
「皆、順番に部屋に案内するわ。彼女について行って」
私達とそう年の変わらないメイドが入り口に背筋を伸ばして立っていた。彼女についていけばよいのだろう。ゾロゾロと四人で連れ立ってメイドの後ろを歩いては、扉の前で説明を受けていく。王都の屋敷ほど使用人を見かけないのは別荘で普段は使っていないからなのだろう。
宿舎と違い、一人一部屋が用意されているらしい。三人が順番にいなくなると最後は私の部屋だ。自分の部屋に着くなり、ベッドに飛び込む。宿舎の物と同じかもっと良いグレードだろう。ふかふかでどこまでも身体が沈んでいきそうだが、しっかりと身体を包み込んでくれる。
種類は分からないが花が飾られていたり、ベッドにもいい匂いの香水が振られていたりと至れり尽くせりな歓迎だ。ランではないけれど、貴族の娘と仲良くなると色々と良い思いが出来るものだと思う。
だが、私にゆっくりしている暇はないのだった。皆が長旅の疲れを癒やしている今が、ネリネと二人で話をするチャンスだ。ネリネも疲れているだろうから可哀想だけど、私も必死なのだ。
私を逃さまいとするベッドの誘惑を必死に振り切り、部屋から出る。長い絨毯を踏みしめながら、ネリネの部屋に向かう途中、パリンという甲高い音に身体が反射的に反応した。
驚いて振り向くと、部屋を案内してくれた若いメイドがツボの破片を拾っているところだった。
「おい! またなのか! 数日で……」
使用人のボスらしき人が音を聞きつけて叱責にやってきたが、私に気づいて途端に大人しくなる。
その場にいるのも気まずいので早足でネリネの部屋に向かう。
「あの子、王都のお屋敷にいたんでしょう? よくあれで首にならないわね」
「リリィ様はお優しい人だからねぇ。仕事の少ないこっちに回したのもリリィ様の配慮なんじゃないの? あれで許されるならいいよねぇ……あ……どうもぉ」
途中の備品室の扉が開きっぱなしになっていて、中で話されていた陰口が丸聞こえだった。「リリィ様にはご報告いたしませんわ」という意味を込めて人差し指を口に当ててニヤリと笑い立ち去る。
ランは使用人でいいと言っていたけれど、このイビリに耐えられるのだろうかとお節介なことを思ってしまう。
長い廊下を歩くとやっとネリネの部屋に着いた。ドアをノックすると中からいつもの可愛い声がしたので中に入る。
中に入るとネリネは荷解きも中途半端な状態で布団に潜り込んでいた。
「あ、リフィさん。どうしたんっすか?」
ネリネはミノムシのように布団から目だけを出して来客者を確認している。寝ていた割には元気そうな声だ。
「あ……えぇ。ちょっと話がしたくて。体調悪いの?」
「いえ! 布団がフカフカでいい匂いだったので抜け出せなくなっちゃったんすよ」
「分かるわ。私も出られなくなっちゃいそうだったし」
元気そうなのでネリネの近くに腰掛けると、私の重みでベッドが沈むと同時にフワッと花の香りが漂う。私のベッドとは違う匂い。私の部屋と飾られている花も違うし、何かしらのこだわりがあるようだ。
「それで、話って何なんすか?」
「ネリネ……この前、リリィに冷たかったでしょ? どうしたの? 責めてる訳じゃなくて、何か悩みでもあるのかなって」
努めて明るく、ネリネの敵では無い事をアピールしながら尋ねる。
「分かんねっす。リリィさんはずっと輝いて見えてたのに、追い越した途端にどうでも良くなっちゃったのかもしれないっす」
「一度、二人で話をしてみたら? リリィもネリネの事を嫌ってる訳じゃないからさ」
「どうっすかね。モヤモヤしてるだけなので話したところで何か変わる気もしないっす」
意外とネリネは頑なだ。根は頑固な性格なのかもしれない。ぶっきらぼうな言い方に可愛げも覚える。
「どうしちゃったのよ……」
脇でもくすぐれば元気を出すだろう。そう思って布団を剥ぎ取る。
枕には大きなシミが出来ていた。その原因はネリネの涙。
いまいち原因は分からないけれど、不安定そうな事だけは察したので泣きやむまで頭を撫で続ける事しかできなかった。




