シーツ
リリィは気でも狂ったのではないかと疑いたくなるほど一心にシーツを引き裂いている。何本もの細長い布切れが出来たところで満足したように私の方へ近づいてきた。
「リリィさん、それで何をするんですか?」
「楽しい事よ」
私が楽しい事をする番だと言っていたのに、リリィは恍惚の表情を浮かべ細い布切れを扱いている。
嫌な予感がしたので椅子から立ち上がるとすぐにリリィに戻されてしまった。
「じゃ、縛るから。動いてはダメよ」
そう言うと私の腕を椅子の手すりに、脚を椅子の脚に布切れを使って縛りつける。抵抗する気はさらさらなかったのだけど、四本の拘束対象を縛り付ける度にリリィは楽しそうな笑顔を私に振りまいてくるので、この後に起こる事が分からず不安になる。
「あのぉ……このまま階段から突き落としたりしないですよね?」
リリィの手が止まる。まさかと思ったが、リリィは笑って手を横に振った。
「私より愉快な事を思いつくのね。それが希望ならお望み通りにするけれど……」
「い、いやいや! 大丈夫です! 死んじゃいますよ!」
「この塔で死ぬのは三人目ね」
冗談とも本気とも取れないトーンでそう言うと残った布で私の目を覆う。一枚、二枚、三枚とぐるぐる巻きにされるにつれて光すら感じられない真っ暗闇になった。
「リフィ、身体の自由を奪われる気分はどう?」
「まだ口がありますから。大したことは無いですね」
これは強がりだ。さすがに階段から突き落としたりはしないだろうけれど、何をされるのか分からないのでたまらなく不安だ。
「良いわ。とても良い。どんどんボロボロになって、泣き喚いて絶頂するところを私に見せて」
リリィは私の肩を叩くとカツカツと大きめに足音を響かせる。私の正面に来たようだ。
「リフィ、今私がどこにいるのか分かる?」
「私の正面です」
簡単なクイズだ。リリィは「正解」と言うとまた大き目にカツカツと音を立てて右の方へ移動する。
「次はどこ? 私のいる方へ顔を向けてみて」
指示通り右の方を向くと、また「正解」と言う。
「これ、何なんですか?」
「ルール説明よ。次から私は喋らない。移動し終わったら適当な場所に石を投げるから、それを合図に私のいる方向を向くの。声を頼りにしても無駄よ」
リリィは私が声を手掛かりに居場所を突き止めていたと考えているらしい。その実、足音の時点でバレバレだったのだ。これは、勝てる。
「分かりました。ゲームですね。賞品は何にしますか?」
「当然、私と貴女よ。そうね……私が勝ったら貴女に針を刺すわ。見えないからどこから刺さるかも分からないでしょう? 口元で存分に恐怖を表現して頂戴」
「じゃあ、私が勝ったらキスしてください。たっぷりと。夜が明けるまで唇を離したらダメです」
「えぇ。交渉成立ね。じゃあ始めるわよ。ちなみに今は貴女の真正面に移動しているわ」
リリィが嘘をついていない事は声の位置で分かる。
暫しの静寂の後、カツカツと足音がし始めた。正面にいたリリィはゆっくりと大きく円を描くように私の右側へ移動している。真横まで来たところで今度は反対周りに私の正面を通り過ぎて左側に移動した。そこから再び逆回りで移動し、正面に戻ってきた。
しばらくの間無音が続いたかと思うと、カラン、と石の落ちる音が正面からする。時間を置いて惑わせた上に、まさか自分の居場所に石は落とさないだろう、という裏をかいた作戦だ。完全に私が読み勝った。リリィの誤算は、私が足音で位置を予測できないと考えたことにある。
「リリィさん、正面にいますね! さぁ、キスで正解発表をしてください!」
リリィの足音は全くしない。息すら私一人分なのでリリィは途中で消えてしまったのではないか、と思ってしまうほどだ。
「残念。後ろよ」
急にリリィの気配が背後から立ち上る。
「え……えぇ!? いや、右に行って、左に行って……また正面に戻ってきましたよね?」
「そこまでは正解。更に靴を脱いで半周したのよ。残念でした」
リリィの心底嬉しそうな甲高い笑い声が部屋に響く。リリィは一切足音を立てずに部屋の中を走り回っているようで、歓喜の声がぐるぐると私の周囲を回っている。
練習の時からわざとらしいほどに靴音を響かせていたのは私の無意識に靴音とリリィの位置がリンクしていると刷り込むためだったらしい。私は最初からリリィの掌の上にいたのだ。
「さて、という事で罰ゲームね。針、どこに刺そうかしら」
うなだれる暇も与えずにリリィが首筋に針をつける。先端を軽く付けられているので刺さりはしないが、少しでも私が動くと一気に針の先端が私の肌を貫くのだろう。
リリィは鼻歌を歌いながら針の先端を滑らせていく。首から二の腕を通り、指先までゆっくりと焦らすように移動した針は膝へ到達した。
「早く……早くしてください」
「ダメよ。もっと恐れなさい」
針は一番の刺さりどころをまだ探索する。脛を経由して足先まで到達すると、針の動きが止まった。だが深くは刺さらない。そのまま針は離れていった。
「リフィ、針が貴女に刺さりたがっているわ。これから一気に深くまで突き刺す。声は我慢しなくていいわよ。どうせ私以外の誰にも聞こえないのだから」
遂に一番緊張する瞬間がやってきてしまった。どうせ何も見えないのに思いっきり目を瞑って痛みに耐える準備をしてしまう。準備が終わるや否やリリィのカウントダウンが始まった。
「三……二……一、で指すわね」
何度もフェイントをかけるのは止めて欲しい。過呼吸気味に繰り返し息を吐きだすとえずいてしまった。リリィは嬉しそうに笑い声を立てる。
「今度こそ本当に行くわよ。三……二」
カウントダウンが終わる前に太ももに痺れる感覚があった。本当に他の人に聞こえていないのか心配になる程に大きな声が出る。
だが痛みはない。太腿の痺れは甘い快感に変わり、徐々に全身に広がっていく。全身の筋肉が緊張と弛緩を繰り返す。
余韻に浸っている間も太腿には一切痛みを感じない。リリィは何をしたのだろうかと気になっていると、目隠しが取られた。スカートが捲られ露わになった太腿には傷一つついていなかった。
「あ……リリィさん、これは?」
「刺すフリをしたのよ。脚は軽く爪で引っ搔いただけ。ピアスの穴を開ける時に気付いたのだけど、焦らすほど首筋が赤くなっていたの。本当にこれで達するとは思わなかったわ」
「そ……そんなぁ……」
とりあえず痛い事は無しになったようで安心する一方で、爪で引っ掻かれた瞬間の快感を思い出してしまい、太腿を擦り合わせながらリリィを上目遣いで見つめる。
「あら、リフィ。どうしたの?」
「も……もう一度しませんか?」
私のおねだりを聞いた途端、リリィは悪魔のような笑みを湛える。滝のように涎を垂らし、まんまと罠にかかった獲物を捕食しようとしている獣のようだ。知性のある獣。今のリリィはそれになり切ってしまった。私も獣になって受け止めるしかないのだ。
「構わないわ。声が枯れるまでやりましょう」
リリィはまた私に目隠しを始める。
数時間後、限界を迎え椅子ごと床に倒れ込むと舌打ちと共にリリィの足が近づいてくる。彼女の細い脚の隙間は窓に繋がっており、満点の星空が見えたのだった。




