指輪
ドンの居室に通される。ドアの両脇にも中にも護衛のごろつきがいて気が落ち着かない。これでドンは休めているのかとお節介な気持ちになる。
部屋の中でも一際目立つ黒い革張りの椅子に腰かけるとドンは大きく息を吐く。体調の程度は知らないけれど、老体には階段の上り下りすら体に来るものがあるようだ。
「さてと、昨日は楽しいものを見せてもらったよ。もう一度、踊りを見せてくれんか?」
ドンは孫に話しかけるかのような表情でにこやかに話しかけてくる。
人とぶつからないくらいの場所を取り、最近は踊る機会の多い平民舞踊を披露する。
踊っている間、ドンは微動だにせず私を見ていた。踊り終わると、何かを噛みしめるように目を瞑っている。
しばしの瞑想の後、目を開いたドンが話し始めた。
「素晴らしいな。子供達も喜んでたよ。ありがとう」
「あ……ありがとうございます。勝手に入っちゃったのに……悪い人とか入ってこないんですか?」
「ここにいる奴より悪い奴はいねえからな。やってくる人は皆善人さ」
豪快に笑うドンはここにいる人なら受ける悪人ジョークをかましてくるが、私も笑っていいのか分からず立ちすくむ。
私が笑っていないのを見てドンもすぐに笑うのをやめた。どうやら笑ってよかったらしい。
だが、すぐに笑えない程に鋭い目つきになる。リリィなんて目じゃない程の恐怖で、蛇に睨まれた蛙というのは私の今の状況なのだろうと理解できる。それほどまでに体が硬直して動かなくなる。
「それで、若いのがゾロゾロと何の用なんだ?」
「あ……えぇと……そのぉ……指輪を……」
あまりの迫力に「指輪をください」なんて言えない。だが、ドンは豆鉄砲でも食らったような顔で私を見てくる。そして、フッと笑いを漏らした。
「指輪は儂がいつも肌身離さず持っている。奪い取るという事は儂を殺すという事だ。だが、踊り子さん……名前は何だ?」
「リフィ……リフィ・ルフナです」
「リフィ・ルフナ、踊りは誰に習った?」
「あ……お、お母さんとお婆ちゃんです」
良く分からない質問タイムが続く。正解を踏み抜いたら指輪をくれるのだろうか。
「お婆ちゃんの名前はエリカだな?」
ドンの方が脈絡もなく正解を踏み抜いた。心臓がバクンと高鳴る。さすがにこれだけの質問でお婆ちゃんの名前が分かるなんて、私の心を読んでいないと成り立たない芸当だ。
「な……何で分かるんですか!?」
「分かるさ。その顔も踊りもそっくりだからな」
「お婆ちゃんの知り合いなんですか?」
ドンの事は聞いたこともないし、こんなに怖い人と繋がりがあるような話も知らない。実はお婆ちゃんも悪人だったのか、とか思考がぐるぐると回りだす。
「あぁ……知り合いか……まぁ、そうだな。愛した人とはいえ過去の話だ。居場所も知らないから、今は知り合いですらないのかもな」
「あ……愛したって……」
「もう何十年も前の話だよ。リフィが欲しがっている指輪は、儂がエリカのために王都で一番の職人に一番の宝石を使って作らせた。渡せないまま、気づいたらエリカは王都から居なくなったがね」
この『依頼』を誰が出したのかは知らない。だが、ドンの大切にしている指輪はただの高価な代物ではなく、思い出やドンの想いが詰まったかけがえのないものだった。
殺してでも奪い取りかねない勢いだったランもさすがにこの話を聞くと下を向いて大人しくなってしまった。
そして、私の中に一つの突拍子もない仮説が生まれた。私のお爺ちゃん、つまり、お婆ちゃんの夫はずっと前に死んだと言われている。本当にそうなのか。目の前にいる老人が実はそうだったりしないだろうか。
「お婆ちゃんは生きていますよ。王都からはずっと遠くにある田舎で暮らしています。お爺ちゃんは私の生まれる遥か昔に魔物に襲われて死んだらしいので顔は知りません……ドンが私のお爺ちゃんだったりしますか?」
ドンは一瞬目を丸くする。だがすぐに豪快な笑い声をあげ始めた。
「そんな訳ないだろう! 儂等は純愛だったから、子供が出来るような事はしてないよ」
「そ……そうですか」
背後では、私たちの会話に興味を失った人達が雑談をしている。ネリネなんて誰に向かってのセクハラか分からないが「子供ってどうやったら出来るんっすか?」なんて聞いている。
振り返ってネリネをキッと睨むと口を手で覆って黙った。顔を赤くしているのはメリアだったのでネリネはメリアにセクハラをしていたらしい。
「私達はある人から『依頼』を受けたんです。ドンを倒してくれ。倒した証拠として指輪を持って来い、と」
「ちなみに依頼主は不明です。オーディションの運営が仲介しているけれど、私達には依頼主を教えてくれませんでした」
後ろからリリィが補足をしてくれた。
「まぁ……儂もこんな仕事をしていたら敵は増える一方だからな。この指輪も昔は知らない人はいないくらいに有名だったんだ。もう死んでしまったが、歴代最高の職人の最後の作品で、闇市に出しても真っ当な価格で買い取れるような人はまずおらんよ」
誰が『依頼』を出したのか、ドンも心当たりはないという事だろう。値段が付けられない程に貴重な指輪は、最早指輪というよりは宝物だ。そこまで織り込み済みの高ポイントだったのだろう。
そんな高価で思い出の詰まった指輪をくれとも言えないし、力づくで奪う訳にもいかない。用心棒だって構えているのだから、私達も無事では済まない。
八方塞がりになったところで、ランが私の横に進み出てきた。
「なぁ、爺さん。物覚えはいいみたいだな。私と同じ顔の東洋系の女を知らないか? 母親なんだよ」
「儂は人探しの専門家ではないんだぞ。そもそもだが……言葉遣いを弁えんか! 誰に向かって話していると思っているんだ!」
急に大声を出すので驚いて体が跳ねる。いきなりボリュームを大きくするのは止めて欲しいのだが、老人だから仕方ないのだろう。
ランはその怒声にも動じる事は無く、下を向いて握り拳を作っている。
「誰に向かってって……母親の仇だよ。私の母さんは借金の肩にお前の部下に連れていかれた。後一日待ってくれと懇願する父さんには目もくれなかったよ。ざまぁねえな。自分も逃げられてんのかよ。指輪も受け取ってもらえねえなんてな。悪人なんて好いてくれる奴はいねえよな」
ランがしたいのは母親の話のはずなのに、ドンの弱点を見つけたとばかりに私のお婆ちゃんの話をして挑発している。あまり怒らせない方が良い気がするのだけど、私も誰も止められない。ランがドンに会いたがっていた理由を知ってしまったから。
「それで、儂にどうしてほしい? 謝罪はせんぞ。謝ったところで母親は戻ってこんだろうし、これが儂の仕事だからな」
ドンはランを冷たく突き放す。なまじ私には優しさを見せていたので、その時との違いが冷徹さを増している。
ランもドンの私への態度を見て謝罪を期待していたのだろう。その期待を裏切られたランは俯き、涙を流す。
「もう……死んでくれ……これ以上不幸な人を増やさないでくれ……」
ランの悲痛な叫びが部屋にこだまする。だが言っていることが不穏なので、用心棒が一斉に武器を構え、その言葉を最後に動かなくなったランににじりよる。
ランは皆の方をゆっくりと振り返る。
「皆……皆も私の味方だよな? 勇者になるんだろ? じゃあ悪い奴は懲らしめないとな」
だが誰もランに同調しない。相手が相手故の保身、指輪が欲しいがための媚、法を無視した復讐を遂げたために悪の側にいるのではという葛藤、人によって理由はまちまちだろうが、反応は一様に沈黙だ。私も思うところがありランに同調できない。それどころか反論が口をついて出た。
「ドンは孤児院を持っているの。ランにもそこにいる子供達を見て欲しい。皆、とても良い笑顔をしているわ。悪い人に育てられたらああはならないはず。悪い面もあるけれど、同じくらい良い面もあるのよ」
「そんなのわかってるよ! 今は善人でも、それでも……こいつは立派な悪党だよ! それに私達は勇者になるんだろ? 正義の味方、悪の敵、それが勇者なんじゃないのか? そうだろ!? それに、孤児院だって怪しいけどな。洗脳して、成長したら自分の手下にでもしてるんだろ。孤児院じゃなくて、ただの悪人の養成機関なんじゃないのか!?」
「ラン、それは言い過ぎ……」
なぜか私がドンの擁護をする不思議な形になった。それを制するようにドンの手が伸びる。
「物は言いようだな。偏見で塗り固めればそういう言い方も出来るだろうさ。儂の事は好きに言えば良いが、子供達を侮辱するのは許さん。皆、自分のやりたい事を見つけて巣立つんだ。中には儂の仕事を手伝ってくれる人もいるが少数だよ。皆、きちんと善悪の区別がついている。残る奴は悪だと分かったうえでここに居るんだ。ここまで言いたい放題とは覚悟はできているんだろうな?」
ドンは静かに怒りを湛えていた。ランもその迫力に気圧されたのか、何も言えずにドンを見据える。
「ラン、この辺りにしておきましょう。事を構えるのは今でなくても良い。波風を立てずに一次審査、そしてその先を突破する事を優先するの。これから先、チャンスはいくらでもあるわ」
リリィの声だ。一刻を争うと判断したのか、早口でランの耳元で話している。
ランはリリィの説得が功を奏したのか、何も言わずに部屋から出て行った。ランを心配したピオニーとオリーブが後についていく。
「最近の若いもんは謝ることも出来んのか。まぁ、儂も謝ってないがな……それで指輪の話だったな。踊り子……エリカの孫よ。お前に指輪をあげようと思う」




