子守
「ビリのお姉ちゃん! 起きてよぉ!」
フッと飛びかけていた意識が小さな女の子の声で呼び戻される。面の欠けた床の上には危険が無いよう角を削られた木の玩具が並べられている。果物や食器を模したものだ。
そういえば、目の前で私のやる気の無さにむくれて小さな頬をリスのように膨らませている女の子とままごと遊びをしているのだった。
今日の『依頼』は子供のお世話。夫婦でデートをしたいのでしばらくの間、面倒を見ていてほしいという内容だ。子供の世話ということでダリアが思うところがあったようで頑なにこの『依頼』を受けると言って譲らなかった。
三人もいるので余裕だと思っていたら、子供側も三人体制だったので誰も余裕ができずマンツーマンでお世話をすることになった。
「お姉ちゃん聞いてるの!? そんなんだからビリなんだよ!」
私が担当している三兄弟の長女は五歳とは思えない程心に刺さる言葉を投げつけてくる。
「き……聞いてるわよ。りんごパイを作るんだったわよね?」
「それはもう作ったの! やっぱり寝てたんだ!」
昨日はリリィが以前オリーブにお楽しみを中断されたことをを思い出していつも以上に盛り上がってしまい、外が白みだした頃に眠りについた。それでもリリィはルーチンを崩したくないようで、短い睡眠を経てトレーニングをしたため昼前にも関わらず睡魔の攻撃が強い。
眠気を取るため目に力を込めて両目を思いっきり開くと女の子のツボに入ったようで大笑いしている。何が面白いのか分からないけれど、これで喜んでくれるなら楽だ。
ダリアの担当は一歳の末っ子なのだが、慣れたもので紐を使って抱っこをして家の中をウロウロしたり、普段の低い声からは想像もつかない優しい声色であやしている。
メリアは真ん中の子の担当。唯一の男の子なのだが、大きな胸を有効活用して寝かしつけている。頭を撫でられながら眠りについているあの子の性癖は歪んでしまっただろう。将来が心配だ。
「ねえ、お腹空いたぁ。ご飯食べに行こうよぉ。お外で食べたいなぁ」
私の変顔も見飽きたようで少し長女がぐずり始めた。
「そうね。この子も寝ちゃったし行きましょうか」
胸元に顔を埋めて寝息を立てている末っ子の寝顔を見せながらダリアが言う。ダリアの事は人間的に好きではないが、未だに子どもがいるとは信じられないくらいの若々しさと美貌なので美容の魔法でも使っているのかと思ってしまう。
メリアの胸を堪能していた真ん中の子を起こして六人で市場に向かった。
昼時の市場は同じように腹を満たそうとする人でごった返していた。メリアとダリアに子供の面倒を任せ、一人で食糧の調達に向かう。
簡易な屋根を備えた屋台の中からは、大きな鍋で煮込まれている料理や果物の匂いが放たれていて食欲をそそる。
同じように匂いに釣られてあちこちの店を物色している人出は真っ直ぐに歩けないくらいの量なので、通路ですれ違う人も私が勇者候補生だとは気づかないらしい。田舎に比べて人の密度が段違いなので少し気持ち悪い。
適当な店で五人分の料理を注文する。料理が出来るまでの間、人の流れに背を向けてボーっと壁を眺めていると誰かが尻を触ってきた。
驚いて振り向くとニタニタと気味の悪い笑みを浮かべたおじさんが立っていた。面識はないし、尻を触られるいわれもない。
「な……何ですか?」
「姉ちゃん、オーディションに出てる踊り子だろ? ほら、金だよ。投票もしてやるよ。あっち行って楽しい事しようぜ」
「やめてください!」
強引に手首を掴んで私を連れて行こうとしてくるので、屋台の柱を反対の手で掴む。
どうもこの人は私が踊り子なので売春でも何でもやると勘違いして話しかけてきたらしい。掴まれている手首から鳥肌が広がっていき、背中に到達する。
いつもなら横に誰かしらがいて助けてくれたのだが、街行く人は誰も私たちの諍いに気付かない。いや、何人かは気づいていたような気もするけど見て見ぬふりをしたのだろう。自分の身を守れるのは自分だけだ。
だけど守り方を知らない。武器も持っていないしどうしたものかと考えていると、ふとリリィに壁に押し当てられた時の事を思い出した。
力をそこまで抜いていた訳ではないのに、まるでリリィに操られているように壁に連れていかれた。確か、リリィは私の手首を掴んでターンをするように後ろに回り込んでいたはずだ。踊りと一緒みたいなものだろう。
「わ……分かったので、手を放してください」
おじさんが手を放すと反動でよろめく。もう一度落ち着いて手首を取り、踊りの時と同じように腕を巻き上げながら背後に回り込む。
本能的にやったので良く分からないけれど、おじさんの背中でしっかりと腕が決まっていた。
顔は見えないが痛みにあえぎながらしきりに謝ってくるので成功したみたいだ。
普段はリリィにいいようにやられてばかりなので優位側も中々楽しい。少しだけ勝ち誇った優越感に浸りながら勝利宣言をする。
「私は踊り子ですが、踊り子全員がそういう事をすると思わないでください。分かりましたか?」
「わ……分かったから放してくれ! 殺されちまうよぉ! おぉい! 誰かぁ!」
「ちょ……殺しませんって!」
往生際の悪いおじさんは急に周囲に助けを求める様に大声を上げ始めた。さっきまで見て見ぬフリを決め込んでいた周囲の人も何事かと輪を作って私達を囲む。
「こ……こいつにいきなり襲われたんだ!」
「言いがかりは止めてください! 貴方がいきなりお……お尻を触ってきたんじゃないですか!」
公衆の面前でこんなことを言わされるだけで不愉快だ。だけど身の潔白を証明しないとこの場を収めるどころか投票にも影響が出てしまう。
私の声も大きかったようで人だかりはどんどん大きくなり、通路の人の行き交いすら難しくなってきている。どうしたものかと頭を抱えてきたところでふと好きな匂いがした。
気づかない間に誰かが私の背後に立って私の肩に手を置いた。
「勇者候補生のリフィさん。何か揉め事ですか?」
振り向かなくても分かる。リリィの声だ。外なので他人行儀な話し方だが間違いない。もしかするとこの人だかりは私を心配しての事ではなく、リリィ目当てだったのかもしれない。
「あ……この人が私にその……臀部を触られて、売春を強要されまして……」
いまいち大衆の前でのリリィとの距離感が分からず私の言葉遣いが変になってしまう。
「おいおい! いきなり腕を決めてきたのはそっちだろ! 皆、見てたよなぁ!?」
周囲の人はおじさんには賛同しないが、決定的な場面を見ていないので誰も私の方にもつこうとしない。
「お尻を触った事と売春を持ちかけた事は否定されないのですね。事実なのかしら?」
「こ、こいつの……嘘だよ!」
結局私の証言しかないのでどうにも話が進まない。人だかりの中から若い女の子が進み出てきた。
「わ……私もこの人に誘われました……断ってもしつこく追いかけてくるので衛兵さんに助けてもらったんです」
格好からすると踊り子のようだ。私の住んでいた田舎だと若い踊り子なんて私くらいだったけれど王都にはまだ生き残りがいるらしい。とにかくこれで形勢は私にとって有利になった。
「それでは、お話の続きは衛兵の所でしましょうか。貴方では、嘘を真実にすることは出来ないのよ」
最後は私とおじさんしか聞き取れない位に小さな呟き。リリィと相対して嘘を真実に出来る人なんて王様くらいじゃないだろうかと思わされる。
声を上げてくれた踊り子の人とリリィと協力して衛兵におじさんを突き出した。どうも前から似たような苦情が多かったらしく常習犯だったらしい。衛兵に感謝はしてもらえたが、新聞記者がいないので私の手柄の拡散は期待できない。
注文していた料理を受け取るためさっきの店に向かうためリリィと並んで歩く。
「リリィさん、ありがとうございました」
「気になさらないで。当然の事をしたまでです」
どこで誰が聞き耳を立てているか分からないからか、リリィは他人行儀な態度を崩さない。それは料理を受け取ってメリア達が待っているところまで変わらなかった。
何だか本当に貴族のお嬢様と話している気分だった。実際そうなのだけど、これまではそんな風に意識したことは無かったのだ。
「あれ? リリィさんは一人なんですか?」
メリアが男の子にご飯を食べさせながら手持無沙汰な風に立っているリリィに尋ねる。
「えぇ。そうなの。握手を求めてくる人が多くて、固まっていると迷惑だから一度分散しているのよ」
皆といるからか、リリィの話し方は元に戻った。リリィだけに握手を求めると気まずいからか、遠巻きに見ている人は多いが近づいてくる人は皆無だ。
リリィのチームメンバーは人気上位の人が集まっている。そんな集団が市場をウロウロしていたらパニックになりかねない。私達ではそこまでの事にはならないので少し羨ましい。
雑談をしていると遠くから鐘の音が聞こえた。
「そろそろ時間だわ。皆、また宿舎でね」
リリィは去り際、私に肩をぶつけ耳元で早口で囁く。
「今晩、貴女のお尻を私で上書きしないとね」
前にルナットに首を絞められた時、上書きと称してルナットに触れられたところをリリィは舐め回してきた。
今日私が触られたのはお尻と手首。今晩も何時に寝られるのか分からなくなってきて、俄然午後の子守りのやる気が湧いてきたのだった。




