天板
依頼主の家に戻るとメリアとダリアが外で待っていた。
「もう終わったの?」
ダリアは疲れ果てた顔でため息をつく。
「終わったわ。旦那がメリアのファンらしくてね。手を握ったら一発だったわよ」
「そ……それはそれで奥さんも可哀想ですね……」
「本当にね。ドンからの借金で首が回らないらしいわ。私の知ったことではないけどね」
依頼主が満足したのであればポイントは手に入る。借金問題が解決したとは思えないのでモヤモヤはするけれど、モタモタしていると目を覚ましたアンディが怒り狂ってこちらに戻ってきかねない。
「そうなんですね。じゃ、早く行きましょうか」
「リリーちゃん、何か変わったねぇ。昨日の感じなら『借金問題が解決しないと意味がない!』って言いそうだったのに」
「そ……そうかしら。一次審査はパスしたいからね」
メリアが探るような目つきで見てくる。アンディに物理的に手を出したことがバレるのは問題ないのだけど、その背景を探られると面倒なので適当に濁す。二人共、そこまで興味は無いようで深追いはしてこなかった。
そこからも何件も『依頼』をこなした。街を歩いていると握手を求められる事も増えてきた。半分は下卑た言葉をかけてくるオジサンだが、もう半分は踊り子に偏見のない小さい女の子や老人だ。
ヨチヨチ歩きの女の子に「ビリのお姉ちゃん頑張って」と言われた時は色々な意味で泣きそうになった。
宿舎に戻ると、リリィの部屋ではなくオリーブの部屋に向かう。扉をノックをするとオリーブが出てきた。
「あら。リフィさん。どうされましたの?」
「ちょっといいですか……ここだと話しづらくて……」
オリーブは何かを感じ取ったのか神妙な顔になる。部屋から連れ出して、二人で今は使っていない私とメリアの部屋に入った。
部屋の中は数日しか経っていないのに懐かしい匂いがする。だけど少し埃っぽい。
「それでお話というのは何でしょうか?」
オリーブが机に積もった埃を指でなぞりながら聞いてくる。この部屋に戻ったら最初にやることは掃除だろう。
「エルムの復讐の事です。お姉様」
昨日の今日で話を蒸し返されると思っていなかったようで、少し戸惑っているオリーブの肩を抱き耳打ちする。
数言話すとオリーブは覚悟を決めた顔でいそいそと部屋から出ていった。
リリィの部屋に戻るとベッドに死体のように寝転がっている人がいた。綺麗な銀髪が細い身体に沿って横たわっている。
物音をなるべく立てないように椅子に座ったのだが、木の軋む音でリリィの体がビクンと動く。
「ふぁ……お帰りなさい」
体を起こして腕を真上に伸ばす姿は同年代の少女だ。いつもの威圧感も冷たさもない。何度も目を擦る姿は母親に寝坊を咎められた娘のようだ。
「そんなところに座って、何かあったの?」
寝ぼけているのか、自分が出した宿題の事を忘れているらしい。
「宿題です。オリーブさんの件」
「あぁ……そんな話もあったわね……」
リリィは気だるそうな態度で朝と同じ香草を袋から取り出して一枚口に含むと、椅子に座っている私に跨るように座って首に腕を回してきた。一人で座った時よりも大きく椅子が軋む音が鳴る。
リリィからは香草の匂いが漂う。足は執拗に嗅がせてくるくせに口臭は気になるらしい。
「それで、一日考えてみてどう? 自分なりの答えは見つかった?」
すぐ目の前でリリィの口が動く。合格を貰えるのか不安だし、この件をなし崩し的に流すために言葉を紡ぐのをやめてリリィの唇にかぶりつきたい衝動に駆られる。
だがグッと衝動を抑え込んで自分の考えを整理して言葉にする。
「オリーブさんは……復讐をするべきです」
「なるほどね。続けて」
「今日もたまたまアンディと会ったので話しました。欠片も反省していなくて、それどころか笑い話にしていたんです」
あのアンディの顔を思い出すだけで怒りがこみ上げてくる。
「アンディには子供がいます。ただ、ずっとダリアさんが面倒を見ているので、指があろうと無かろうと子供には影響はありません」
リリィは私の目を見て頷きながら話を聞いてくれる。
「そうね。それでも周囲の人は? 同居しているお婆さんがいるのよね?」
「はい。なので、オリーブさんには復讐をするならお婆さんだけは静かなところで暮らしを送らせてあげて欲しいとお願いしました。後、ダリアさんはまだ未練があるみたいですけど、正直あの人のことはあんまり好きじゃないので……どうでもいいです」
「ちょっと待って。お願いをした? オリーブにはもう話したの?」
「ここに帰ってくる前に話しました。今頃アンディの指は手と繋がってないかもしれないですね」
リリィは驚いた顔で私を見てくる。行動に移したのが意外だったようだ。
「も、もちろん迷いましたよ! 私も痛い事は嫌いですから。でも、オリーブさんがあのまま苦しむよりはマシかなって。それに、ずっと私を弟だと思って絡まれるのも……えぇと……ダルいですし」
適切な言葉が見つからずダルいと言ったところでリリィが吹き出す。私は真面目に話しているのになんとも気が抜ける雰囲気だ。
吹き出したのを切っ掛けにリリィの笑い声はどんどん大きくなる。天井を向き、喉の動きが分かるほど高らかに笑う。愉快を通り越して恐怖を覚えるほどだ。
「あ……あの……何か変でしたか?」
リリィは何度か咳き込んでやっと笑いが収まったらしい。目尻の涙を拭いながら話す。
「貴女は本当に私を愉快にさせてくれるわ。合格よ」
合格らしいけれど、何がそこまで受けたのか分からず呆然としてしまう。
「あ……ありがとうございます。そんなに面白かったですか?」
「まさかもうそこまで進めていたなんてね。私達で話をして終わりだと思っていたもの」
「すみません。やりすぎましたかね……必死だったので……」
「昨日も言ったけれど、この件はどう転んでも私達に不利益はないの。好きにしていいのよ。それよりも貴女の成長ぶりが嬉しいわ」
リリィは本当に嬉しそうな顔で私の頬に手を添え、頬骨を親指でなぞる。訳も分からずポカンとしているとリリィは更に続ける。
「自覚はなかったのね……お披露目会で踊る貴女は自信に満ち溢れていて美しかった。だけどいつしかその自信は無くなり、くすんで、意志のない人形みたいになってこの部屋に流れ着いた」
リリィはウットリとした顔で私を見てくる。
「貴女が動けば物事も動くのよ。貴女にも力があるの。別に全知全能で無くても良い。自分の目で見た事に基づいて考える事、忘れないでね」
平民の踊り子だから、なんて理由付けをして諦めるのは辞めよう。少なからず応援してくれる人もいる。リリィはそんな風に前向きに思わせてくれる。微笑みが漏れ出た口を真一文字に引き締めながら頷く。
「それにしても嬉しいわ。また貴女は人間になった。私の横を歩くための最低限の条件だけれどね。これからも友として宜しく頼むわ」
「あ……ありがとうございます」
ひとまず認めてもらえたらしい。要するに自信を持って自立しろと言いたかったようだけど、回りくどいし面倒な手続きだった。
それでもまだペットから友人に昇格しただけ。リリィの心は果てしなく遠い。
リリィは言いたい事を言い終わったようで私から離れていく。向かい合うように椅子に腰掛けると、指を組んでそこに顎を乗せこちらを見てくる。
「良く出来た子にはご褒美を与えないとね。足と酒、どちらが良いかしら」
足を選ぶとまたブーツを脱ぎたての足を舐めさせられるのだろう。何だかんだであの行為はリリィのお気に入りらしい。もちろん、私が選ぶ方は決まっている。
「あ……足で……」
「あら。貴女も病みつきになっちゃったの? 来なさい」
椅子から立ち上がると手を伸ばして制してくる。
「そこじゃないわ。ここよ」
リリィが指差すのはテーブルの天板。テーブルの下に潜り込めということらしい。言われた通りに、体を丸めてテーブルの下に潜り込むとリリィの組まれた脚と自重で形の歪んだ太腿が見える。
「たまには趣向を変えてみようと思ったの。今日は音だけで私を愉しませて頂戴」
足が喋っているように、言葉に合わせてリリィの足首が動く。
足を舐めるときの水音を大きめに立てれば良いのだろうか。床に置かれているリリィの足に恐る恐る舌を伸ばすと昨日よりも少し強い匂いがした。




