親指
リリィは器用に足の親指と人差指で私の鼻をつまんでくる。
ブーツに使われている皮の香りと酸味の強い匂いが混ざって鼻腔に突き刺さる。正直、かなり臭いので眉間に皺がより顔が歪む。
リリィを見ると恍惚の表情を浮かべ、私に集中している。半開きの目が何とも艶めかしい。足を舐めさせることが目的では無い。私の顔をしかめさせる事、左右対称の顔を歪め、崩すことに快感を覚えているのだろう。
他の人に同じ事をされたら全力で拒否するけれど、これはリリィが望んでいる事なので受け入れるしかない。流石に私も嫌だけど。
リリィから目を離さずに片手でリリィの足を支え、親指にしゃぶりつく。
「どう? 臭い?」
当たり前だけど、こんな美女でも足は臭い。素直に臭いと言ったらどうなるのだろう。どんな状況でも臭いなんて言われたら私は悲しいので嘘をつくことにした。
「全然……臭く無いです」
「嘘をつかないの。怒らないから」
「臭いし……美味しくないです」
「そうよね。嫌よね。心底嫌なことをさせられているのよね」
今日はいつもより機嫌が悪いのかキツめに私をいじめてくる。でも、嫌かと言われればそれほど嫌ではない。
足は臭いししょっぱいけれど、リリィの足を舐めさせられている。その事実だけで私は十分に興奮してしまっている。
それに指の隙間や足裏に舌を這わせるとくすぐったそうに身をよじるリリィが可愛くて目が離せなくなる。
「やけに挑発的な目ね。今日は虫の居所が悪いの」
やはり機嫌が悪かったらしい。機嫌が悪いとはいえ、誰彼構わず足を舐めさせはしないだろうから、私はリリィにとって特別な存在なのだと自分に言い聞かせ、心を満たす。
この行為は興奮はするけれど気持ち良くない。リリィの顔はどんどんトロンとしてきていて、一人で愉悦に浸っているのが丸わかりだ。
「なんだか不満そうね。楽しくないの?」
また嘘をついてもすぐに見破られるので本当の事を言うことにした。足から口を話そうとするとリリィが足を伸ばして口から抜こうとしないのでモゴモゴと話す。
「楽しくは……ないです。気持ち良くないので」
「素直ね。何をしても感じない私と入れ替わったら絶望して死んでしまうのかしら」
「どうでしょう……」
「煮えきらない返事ね。じゃあ、今日は私の分までしてくれる? 二回達するまで自分を慰めなさい」
「え……二回……ですか?」
普段は三回くらいでやっと満足するので二人分で二回というのはやや少なめに感じた。
「どうしたの?」
「な、何でもないです」
「嘘も隠し事も無しよ」
リリィの冷たい視線が突き刺さる。初めて二人っきりになった日のことを思い出させる目だ。私に何も言わせず、ただ従順にさせる目。
「そ……そのぉ……少ないなって思っただけです」
リリィは目を丸くする。そもそもリリィはしない人だったので回数の感覚がなかったらしい。私も他の人の回数なんて知らないけれど、回数を申告するのはかなり恥ずかしい。
「そ……そうなの?」
リリィが若干引き気味に顔を引きつらせて私を見てくる。
「そうですけど……周りの人がどのくらいとか知らないですし……」
「言われてみればそうね。じゃ、回数制限は無し……いや、三回にしましょうか。貴女みたいな変態に夜通し付き合っていられないもの」
「そっ……そんなにしませんから!」
私のツッコミを受けて、本気とも冗談とも取れないトーンでリリィは笑う。さすがに夜通し続けるような人だと思われてはいないと信じたい。
「それじゃ、始めて。何があっても私から目を逸らしてはダメよ。最初から最後まで、私の目を見続けるのよ」
私が見続けなければならないと定められたリリィの目が楕円から三日月状に歪む。私がリリィを見ていた間、リリィも私から目を逸らさなかった。つまり、リリィはずっと私を見ている。
リリィの真っ直ぐに伸びる足の向こうに見える顔を凝視しながら、リリィの足を支えていた手を自分の下腹部に伸ばす。
息が荒くなるにつれてリリィの顔も綻んでくる。リリィに見られているという事実がより興奮を掻き立てる。
身体の中を昇ってくる感覚が強くなってきた。
「リリィさん……そろそろ……」
「目を瞑ってはダメよ。いつもの癖みたいだけど我慢してね」
リリィの足の親指を咥えたまま体が痙攣する。目を瞑らないように神経を集中させた結果、口を思いっきり閉じてしまった。リリィの親指に噛みつく形になったが、リリィの顔は一切歪まず、だらしなく口を開いて私を見ている。
姿勢を維持するために腹筋に力を入れていたがそれにも限界が来て床に崩れ落ちる。顔をつけた場所のすぐ横には水たまりが出来ていた。リリィの足を伝って落ちた私の涎だろう。
「リフィ、目を逸らしてはダメと言ったでしょう。これじゃ一回に数えられないわ」
「え……えぇ……結構しんどいです……」
リリィに見られながらという事もあって一回当たりに使うエネルギーが尋常ではない。なんとも言えない緊張感が興奮を強めて身体を疲れさせている。
「あら。まだ噛みつくの?」
リリィは私が嚙みついた親指を見せるように右足を左右に振る。歯形はついているが出血はしていないみたいだ。
「すみません……力が入っちゃって……」
「意外と痛いのよ。今度貴女のも噛ませてね。次は、とりあえずそこに横になって」
リリィに対して身体を左に倒すように横になると、リリィは慌てて制してくる。
「逆よ。こっちが頭」
そう言いながらリリィはブーツを履いた左足で私の頭が置かれるべき場所を指す。次は左足の出番らしい。
体勢を入れ替えるとリリィは鼻歌を歌いながらブーツを脱ぐ。
「今度は噛まないでね。足裏を舐めるだけでいいわ」
踏みつける、とはいかないまでもかなり強く左足を私の顔に押し付けてくる。右足に負けず劣らずの臭いが鼻腔を攻撃してくる。一瞬えずいてしまったがリリィは気にしていないようだ。
舌先でチロチロと足裏を舐めるとリリィは満足そうに鼻で笑う。
視界の端でリリィの右足が動いているのが見えた。どうなるのか考えるよりも早く服の上から私の下腹部に触れてくる。触れながら動いたのは一瞬で、すぐに動きが止まる。さぞかし物欲しそうにリリィの顔をみてしまっているのだろう。
「リフィ、私の親指が泣いているわ。少し慰めてあげて」
器用に右足の指をくねらせながら私を責め立ててくる。すぐに二回目がやってきた。リリィからすれば一回目らしい。そんな事を考えている間に身体が震える。だがなおもリリィの足指は動きを止めない。
「……っちょ……リリィさん、一回ストップ……」
私の悶絶を聞いても一切止めるつもりは無いらしい。
「まだ親指が泣き止まないのよ。ごめんなさい」
私の方が泣きそうだ。頭がおかしくなってくる。一瞬だけ我に返り、リリィに足で好き放題されている現実と向き合う。だがそれもすぐに快感に打ち消され、過呼吸気味に空気を取り込む事に神経を費やす。
もはや喘ぐというよりは唸り。喉の奥底から声が絞り出されている。何度懇願してもリリィは止めようとしない。
その時、ダン、とドアの開く音がした。
「リリィさん! 大変ですの! ピオニーさんとランさんが喧嘩をして……いるん……」
声の主は視認できないが話し方で何となく察しがついた。オリーブだ。すぐに冷静に戻り、リリィの足を振り払って体を起こす。
オリーブは今自分が目にした光景が何なのか分からないようで、口をあんぐりと開けて私とリリィを交互に見ている。
どうも部屋の鍵はかかっていなかったらしい。疲れたリリィがフラフラと入ってきたのでかけ忘れていたのだろう。
「オ……オリーブ。これは……」
咄嗟の言い訳すら出てこない私達の目を覚ますようにオリーブは両手を打ち鳴らす。狭い部屋にパンと乾いた音が響いた。
「この件は後で。兎に角ピオニーさんとネリネさんの喧嘩を止めて下さい。私の部屋です!」
「あ……分かったわ」
リリィは裸足のまま駆け足で部屋から出て行った。「逃げられた」と直感する。このタイミングでリリィはオリーブの処理を私に押し付けたのだ。
後でどんな言い訳をするのか楽しみに思いながらも目の前にいる強敵に目を移す。
「オリーブさん、これは……そのぉ……」
オリーブは私の話を聞こうともせずにドアを閉め、鍵をかけると私に抱き着いてきた。振りほどこうと体をよじるがオリーブの力が強く全く身体が自由にならない。
「エルム、また虐められていたのですね。助けに来ましたわ。お姉ちゃんに任せてください。今度こそ……」
最後はオリーブの言葉にならない嗚咽だけが静かな部屋に響き渡っていた。




