右足
棚の修理を皮切りに『依頼』を次々とこなしていった。猫の捜索やら食堂の給仕やら本当に雑用ばかりだった。
どうも『依頼』をかき集めるために質より量を重視したらしく、『依頼』を出す側は無償らしい。だから良くわからない『依頼』も多くあるみたいだ。勇者オーディションが国に運営されているからこそ出来る事だろう。
夜まで続いた肉体労働を終えて宿舎に戻ると、部屋に帰る時間も惜しんで一目散に食堂に向かった。労働の後の夕飯はこれまでで一番美味しく感じた。
夕飯を食べた後、三人で部屋の並ぶ廊下を歩く。以前はここからメリアが離脱して私はダリアの部屋で乱暴された。
少し緊張しながら歩いているとダリアが笑いながら話しかけてくる。
「何もサプライズは仕掛けてないわよ」
誰のせいでビクビクさせられているのかと思ってしまう。もう少し気を遣っても良いじゃないかという意味を込めて唇を尖らせるとダリアは肩をすくめて自分の部屋に入っていった。
水に流すとは言ったけれどその態度はどうなのかとネチネチと腹の中で考えてしまう。
「リリーちゃん、おやすみ。早く一緒に寝られるといいね!」
「え……えぇ。そうね」
そういえばリリィ達がどこに行くのか聞いていなかった。舌の根も乾かないうちに私達を置いて郊外に行ったりはしないだろうけど何も打ち合わせていないので少し不安になる。
リリィの部屋に入るとまだ帰ってきていないようだった。荷物はそのままなので郊外に出て行った訳ではないようで一安心だ。リリィ達の事なので遅くまで真面目に『依頼』をこなしているのだろう。
ベッドに目をやるといつもリリィの頭を優しく支えている枕を見つけた。
フラフラとベッドに、リリィの枕に吸い込まれるように近づく。うつ伏せに寝転がり、枕に頭を埋めるのに罪悪感は一切なかった。仮にリリィに見つかっても疲れていただけだと言い訳もできる。
鼻だけで息を吸うとリリィの匂いがする。脇よりは弱いけれどそれが甘さを引き立てていて、長時間ゆっくりと楽しめる。
実際、今日はかなり疲れた。うつ伏せのまま何度か深呼吸をするだけで眠ってしまった。
ガタンと乱暴にドアの開く音で目覚めた。足音もバタバタとしていてリリィではない誰かが入ってきたらしい。少し身構えながら起き上がると、予想に反してリリィが部屋に帰ってきたところだった。
「あ……おかえりなさい」
「ただいま。そこ、少し空けてくれない?」
二人で使っているベッドのど真ん中に寝転んでいたので少し横によると、リリィはおじさんのような呻き声を出しながら、靴も脱がずにベッドの空いたスペースに倒れ込んだ。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないわ……パン屋のビラ配りで一日を過ごした事はある? 握手会なんて比にならないくらいの人に揉みくちゃにされながら、ずっと笑顔を振りまくのよ……慣れていない事をするもんじゃないわね。後、パンの匂いはしばらく懲り懲りね」
さっきまで私が顔を埋めていたところに同じように顔を埋めて話すので声はモゴモゴとしているが、リリィの声に全神経を集中して聞き取ることができた。
パン屋のビラ配りは街中で顔を売ることもできるので当たりの『依頼』だったみたいだ。リリィの様子を見ていると一概に当たりと言い切れないかもしれないけど。
「お疲れ様でした。お風呂、行きますか?」
「あぁ……お風呂も面倒。このまま寝てしまいたいわ」
リリィがここまで弱音を吐くとは珍しい。追い込まれたところは見たことがないので、普段は強がっているだけで、実は脆いタイプだったのかもしれない。
無言でリリィ頭を撫でると、うつ伏せのまま徐々に私の方に近づいてきた。そのまま私の太腿を枕にして休み始めた。
「やっぱりここが落ち着くわ」
そう言うとリリィはモゾモゾと顔を太腿の間に埋めてうごめく。
「リフィはどうだった? 今日は何をしたの?」
「似たようなものですよ」
「具体的に話しなさい」
今日の事なんて興味もないだろうから適当に濁そうとしたらピシャリと窘められた。
棚の修理の依頼に行ったらダリアの元カレであるアンディと会った事。実はダリアが子持ちだったこと。他にも猫の捜索で手をひっかかれた事なんかを話した。
リリィは次第に興味を失ったようで、最初は高笑いしていたが、猫の捜索の件に入った時には目を瞑ってしまった。
人に話をしろと言っておいてその態度はどうなのかと少し苛立つ。
話が終わるとリリィはまた私の太腿を堪能する時間に戻った。この姿もそうだし、話を聞く態度にしても普段のリリィからかけ離れたダメ人間になっている気がするけれど、そんなにビラ配りがキツかったのかと驚く。
だが、よくよく考えたらリリィは普段の態度が立派なだけでその実はかなりのお嬢様だった。肉体労働なんてした事もないし何をするのかも想像すらしていなかっただろう。体というよりも心が疲れているのかもしれない。
「意外と疲れますよね。リリィさん、王都に残ってくれたんですね」
太ももでうごめいていたリリィの動きが止まる。
「残ってくれた? 貴女は私が自分の利益を度外視して残ったと思っているの? 勘違いしないで」
私の思い込みを打ち砕くようにリリィの言葉が槌となって襲い掛かってくる。別に期待していたわけではないけれどはっきりと言われると傷つく。
「残ったのはオーディションで有利になるからよ。郊外に行った連中よりも顔を広く売るの。ギルドなんて私にとってはどうでも良い。勇者になれないと意味がないんだから」
「私を守るっていうのはどうなったんですか?」
「もちろんそんな話もあるけれど、あくまで自分の事を優先した結果よ。ついでに守ってあげてるだけ。私達は運命共同体でも何でもないの。あまり過度な期待や気持ちを寄せられても困るわ」
「い……いや、別に期待とかしてないですから」
これは嘘。別に本心ではなくてもいいから、冗談でもいいから「私のためだ」と言って欲しかった。もっと欲張るなら本心で。
リリィは私が一次審査を突破しないとこれ以上の進展はないと言っていたけれど、それを私に言ってくる時点で私は淡い期待を持ってしまった。だがリリィは本当にそれまでは何もない、と言いたげな態度で接してくる。
私の太腿に顔を埋めているのもただ自分が気持ちいいから以外の理由はないのだろう。私がリリィのその行為でどれだけ気持ちが満たされ、一方で傷ついているのか知る由もないみたいだ。
リリィは私の言葉を受けて仰向けに体勢を変える。手を後頭部で組みながら私を下から見上げてくる。
「いかにも『期待していました』って顔ね。希望が絶望に変わっていってるのが良く分かる。綺麗だわ。本当に綺麗」
リリィがゾッとするような笑顔で私を見てくるので恐ろしくなり目を逸らす。
「み……見ないでください!」
「貴女を見るか見ないかは私が決める。そして、私は貴女の顔が見たいの。リフィ、早く私の方を向いて」
リリィの声のトーンが徐々に優しくなってくる。こうやってほだされていって、また過度な期待をしてしまう。最後に痛い目を見るのは私なのは分かっている。それでもリリィの命令は絶対。
ゆっくりと顔を下に向けるとリリィは少女のような上目遣いで私を見ていた。そんな顔も出来るのかと驚く一方で胸が高鳴る。顔にも出ているだろう。口元がどうしても緩んでしまう。
私の表情の変化を敏感に感じ取ったリリィはにやりと笑う。
「どうしたの?」
分かっているだろうにそんな事を聞くなんてズルい。
「い……いや、可愛いなって思っただけです……」
「当然よ。この部屋には世界一の美女が二人もいるんだから」
「それって……どっちが一番なんですか?」
「決まってるでしょう? 勿論貴女よ。でも、私が求めているのはそんな幸せそうな顔じゃないのよね。ベッドから降りて四つん這いになりなさい」
世界一の美女を屈服させている自分という設定に満足しているのかリリィは自分ではなく私が世界一だと言ってくれた。簡単な飴と鞭で私はベッドから降りて四つん這いになる。さながら餌を待つ犬だ。
「今日はずっと立ちっぱなしで疲れたわ。ブーツだったから足が蒸れて大変だったの」
そう言うとリリィは踝の少し上まであるショートブーツを右足だけ脱ぐ。出所はリリィの足だと思われるツンとした刺激臭が漂う。
「そ……それは大変でしたね。マッサージでもしましょうか?」
リリィは私の提案を鼻で笑って却下する。腿のあたりまでスカートをたくし上げ、足を組む。磨かれた大理石のように光を反射する肌質で羨ましくなる。
「マッサージは結構よ。今から貴女が使えるのは、可愛い声を出すその小さな口だけ。さ、舐めて」
リリィは自分の右足を、私の顔にめり込みそうな程に押し付けてきた。




