報復合戦
浮遊感。起き抜けに感じるにしては不快な感覚だった。床に着地した衝撃で目覚める。
「う……リリィさん?」
寝起きでかすむ目をこするとベッドの上からリリィが覗き込んでいた。いたずらが成功した子供のように笑っている。
「早く起きなさい。何をしても起きないのね。メリアさんの苦労が偲ばれるわ」
私の顔に服が降ってくる。服を振り払って立ち上がり外を見るとまだ薄暗い。朝と言うには早すぎる時間だろう。
「えぇ……まだ暗いですよ」
「朝のトレーニングよ。朝食までに日課をこなして風呂場で汗を流して髪を乾かして化粧をするの。早くしないと朝食の時間が無くなるわよ」
「もしかして、私もトレーニングに行くんですか?」
「当然よ。一人で部屋に残したらまた誰かちょっかいを出しに来るかもしれないでしょう。少しは私にも合わせて頂戴」
部屋に泊まらせてもらっている立場なのであまり我儘を言いたい放題にも出来ない。渋々だが服を拾おうとすると床に枕と私の下着を見つけた。
枕は私をベッドから突き落とす前にリリィが敷いてくれていたのだろう。下着は酒を吸い込んでいてシミになっているし臭い。
「あら。丸出しなのね。寝る時は履かない主義なの? それとも私に見せたいだけかしら」
リリィの声に驚いて振り向くとベッドにうつ伏せになり頬杖をついて私の下半身を凝視してきていた。慌てて汚いパンツで隠す。
「や……見ないでくださいよ……昨日のお酒でビショビショになったから脱いだだけですから」
リリィはハッと目を開くと顔を赤らめる。自分がした事なのにあまり意識がなかったのだろうか。
「あ、あれは……その……盛り上がってしまって、つい。ごめんなさい、リフィ。これを使って」
リリィは自分の鞄から純白の下着を取り出して私に手渡してきた。細かい刺繍やレースが可愛らしい。職人が何日もかけて作っているのだろう。これだけで何日分の食事が市場で買えるのか想像もつかない。
「い、いやいや! こんな高そうなもの借りられないですって!」
「私が着なさいと言っているの。早くなさい」
さっきまでの照れはどこへやら。リリィの毅然とした一言で私の小汚い下着は剥ぎ取られる事が確定した。
リリィに背中を向けて上下の下着を身に着ける。少し胸の締め付けが強い。よく考えたらこれはリリィ専用に誂えられたものだろう。
そして風呂場でのリリィの裸体を思い出す。そういえば胸は小ぶりだった。サイズが合わないのも頷ける。
「あ……あの……これちょっとだけ……そのぉ……胸が……苦しいです」
リリィはすぐに意味を察したようで「私はこれからなのよ」と小さく言うと私から下着を剥ぎ取っていった。善意を無碍にするつもりはなかったのだけど、トレーニング中もその後の風呂もリリィの目線が胸元に集まっている気がしてならなかった。
支度を済ませていつもの会場のホールに入る。民衆や記者にあらぬ噂が立てられても良くないので、会場に向かう時はリリィとは適度な距離を保ちながらも別行動だった。
ホールには大きな荷物を抱えて来ている人が何人もいた。郊外に出て行って魔物討伐でもするのだろう。
ホールの真ん中には大きな掲示板が立てられている。何枚も紙が貼りつけられていて、その前が一番人でごった返しているので『依頼』が貼りだされているのだろう。
どんな『依頼』があるのかも気になるが、まずはチームの皆と合流するために会場を見渡す。
会場の端の方にメリアがピオニーと二人で立っていた。私が気づくのと同時にメリアも私に気付いて手を振って駆け寄ってくる。
「リリーちゃん! おはよう!」
「おはよう。メリア、ピオニー」
「アンタ……昨日は大変だったらしいわね」
ピオニーが心配と好奇心の入り混じった顔で聞いてくる。
「え……えぇ。メリアのお陰で何とかなったわ」
私がそう言うと、何故かピオニーは苦虫を噛み潰した顔をしてからそっぽを向いてしまった。
理由を尋ねる前に今度はダリアが輪に入ってきた。昨日のことを思い出してしまい、自然と体が彼女から離れてメリアの腕に抱きつく。メリアにはダリアにやられた事は言っていないけれど私の態度で察してくれたようで背中を撫でてくれた。
自分の事に精一杯だったがダリアの右腕は包帯が巻かれていて固定されている。何とも痛々しい姿だ。誰かにやられた事は明白なのだけど心当たりがない。
「そ……その腕は?」
「酔って窓から落ちたのよ」
ダリアの回答は犯人は言えないという合言葉だった。的外れな恨みで私を嬲ったのだからいい気味ではある。
「あら。ダリアさん、御機嫌よう」
気まずい空間にオリーブが割って入ってくる。オリーブの肩に手を添えているがプルプルと震えているので力が入っている事が分かる。
「エルム……困った事があったらいつでも私を呼んでくださいね。すぐに駆けつけますから」
他人の名前だが、私の方を見ているので、私に向かって話している事が分かる。エルムはオリーブの弟の名前。考えたくはないが、昨日の件から弟と私を重ねている気がしてならない。豹変したように私に優しいのもそれが原因なのだろう。
「あ……オリーブさん。あっちでリリィさんが呼んでいますよ」
オリーブは振り返ってリリィ達を一瞥する。こちらを向くときに、怪我をしているダリアの右腕を強めに叩く。
「そういえば、ピオニーさんを呼びに来たのでしたわ。参りましょうか」
ピオニーはあまり状況を飲み込めていないようで、怪訝そうな顔をしながらオリーブと二人で輪から離れていった。
オリーブに聞こえないくらい離れたところでダリアが口を開く。
「貴族に媚びるのが好きなのね。男に媚び、貴族に媚びる。踊り子さんらしい生き方ね」
私はどちらにも媚びていない。たまたまリリィとは仲良くなったけれどオーディションに関しては力を貸してはくれない。オリーブが暴走気味なのは気になるが。
むしろ商人に媚びようとしていたダリアに相応しい言葉だと思った。だがダリアもこれから一週間は大事な戦力なのだ。一時の感情を満たすよりも一次審査の通過を優先したい。
「メリア。ダリアさんの腕って治療できる?」
「うーん……これ、折れてるのかなぁ? 切り傷は?」
ダリアの嫌味を無視してメリアに尋ねると、メリアはダリアの腕を人差し指で無神経にツンツンと突く。顔を歪めているので痛むのだろう。
「なるほどね。あれだけ痛めつけたのにすぐ復活したのは彼女のおかげなのね。つくづく人の力に頼りっきりなの……っ……」
ダリアはなおも戦闘態勢を崩さない。嫌味を言い切る前にメリアが力強く腕を捻ったので痛みで話せなくなったようだ。
「ダリアさん。私達は仲間なんだよ? 仲良くしようねぇ。私もリリーちゃんも戦う力はないかもしれないけれど、ダリアさんよりも可愛いし特別な力はあるんだぁ。腕、治してあげてもいいよ。気持ち良いことは好きかな?」
メリアの目が怪しく弧を描く。メリアの治癒は怪我の程度に比例して快感を伴う。軽い裂傷と骨折で私が気絶するほどだったのだから、ダリアもこの場で治療されたら、あられもない声を皆に聞かれてしまうことになるだろう。
ダリアが頷くとメリアの先導で二人して物陰に入っていった。すぐにダリアと思しい叫び声が聞こえる。皆、何事かと周りをキョロキョロするが一瞬だったのですぐにざわつきを取り戻した。
物陰から出てきたダリアの顔はツヤツヤとしていて、一欠片の曇もなかった。病みつきにならない事を祈りながらメリアに目で合図するとウィンクを返してきた。
アイコンタクトの意味について、私とメリアで認識が大きくずれている気がしてならなかったのであった。




